Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

歩く集団

2006-04-06 08:23:40 | ひとから学ぶ
 新年度が始まり数日がたった。町の中を通勤していると、人々の姿が変わった。もちろん春だから装いが変わってくるのは当たり前で、とくに4月になるとすっかり春の顔を見せる。それは人々の顔の表情もそうなのかもしれない。どこかしら毎日会う顔も変わっている。人事異動などがあったり、新社会人が街に現れてくれば、明確ではないが変わった印象をもつ。そんな季節である。

 自転車で歩道を走ると、朝の通勤時間はけっこう危ないことも多い。それだけ歩道に人の数が多い。昨日のことであるが、歩道をいくつかの集団で若い人たちが歩いていた。3メートルほどある歩道を横に並んで歩いているから、後ろから自転車で行くと向こうも気付かないから抜けそうもないと感じる。すると、横並びで6、7人歩いている端っぽの人が後ろから自転車が来ていることに気付いてその人が除けてスペースを開けてくれる。若干スピードを緩めたが、こちらとしてはずいぶん早くに気がついてくれたとありがたく思う。

 その集団を抜いたかと思うと、数メートル先にまた同じような集団がいる。「またかー」と思うと、また集団の端っぽにいる人が気がついて除けてくれる。若い人たちだから話しながら歩いている。盛り上がっているようで身体でなにやら表現していて、かなりまわりに気を配る状況ではない。だからとても気がつきそうでないのに、なぜか気がついてくれる。集団の端にいる、そのポジションの取り方そのものが集団の中でどんな位置にあるのか、そんなことを思う。歩きながらの話題から外れている人なのか、それとも常に控えめな人なのか、と。誰しも集団になりたがるが、その集団においてのポジションというものがこんな歩く集団にも見えていておもしろい。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****