Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

フードマイレージ

2007-07-24 08:27:55 | ひとから学ぶ
 中日新聞の7/20朝刊社説において、ウナギの話が登場していた。「食文化というのなら」節度ある消費をしてこそ「文化」というものだろう、というのが主旨のようである。日本では「文化」という名の下に、伝統的に習慣づけられてきた食材も遠方から輸入している。日本の商社が欲したものか、それとも外国の売り手が欲してそういうことになったのか知らないが、もともとはどちらも銭になるから始めたものだろう。遠くても安く手に入るから、どんどん消費量も上がる。そうなれば種が尽きるほどに銭勘定の世界に陥る。鯨がそうてあったように、マグロの漁獲量が制限され、銭勘定でネタを手に入れていた日本人は、世界で笑いとばされるほど文化をかざして食べあさってきたのかもしれない。

 遠くのものではなく近くのものを食すという話は、もう昔からのわたしのポリシーだ。身近の誰でも食べられるものは贅沢という名のものにはならないたろうが、だからといって、遠洋のものや高級な豚肉が贅沢だとは思わない。ときには違うものを食べたいという気持ちは誰にもあるだろうし、わたしにもけしてないわけではないが、消えてなくなるものに銭をかけてもどれほど記憶に残っているかは定かでない。唯一ビールを飲むことぐらいがもしかしたら贅沢というものなのかもしれない。ふだんの食材のなかで、遠いものといえばそのくらいだろうか(穀物類が大きな割合を占めていることから、食材として認識せずにかなりの外国産物を口にしている可能性は高いが)。それでも時おり妻が夜遅くに値引きになった刺身を買ってくるが、「チリ産」なんて書いてあるから、ずいぶんな遠さである。

 さて、そんな距離と重さをかけて数値化するフードマイレージという言葉があることを最近知った。その数値でどれほどエネルギー消費量が多いかということもわかるわけだが、その数値だけでは測れないものもあると思う。ちなみに、2001年における総量(食料輸入量×輸出国から輸入国までの距離)は、日本で約9003億、韓国で3172億、アメリカで2958億(いずれもトンキロメートル)ということらしい。日本は韓国の2.8倍、アメリカの3.0倍ということになる。前年値3.4倍、3.7倍というから少しよそに接近してきているが、総量そのものは前年値に対して倍近い。この値2001年と言うからもうだいぶ前のデータである。フードマイレージで検索すると、おおかたが2000年か2001年のデータである。たまたまこの2年のデータだけでとらえているが、現在の数値はさらに大きなものとなっているに違いない。それは日本だけではなく世界的にそういう傾向はあるはずだ。経済至上主義にまい進すれば、望むものいれば自ずとその流れは止まらない。『ウィキペディア(Wikipedia)』で確認すると、日本では、当時農林水産省農林水産政策研究所所長だった篠原孝氏によって2001年に初めて概念が提唱されたという。だからきっとこの時代のデータが流れているのだろう。篠原孝氏といえば衆議院北信越ブロック選出の民主党議員である。農水省のお役人だった流れからいくと自民党議員だったとしても少しもおかしくないが、長野県1区から2度出馬して2度とも地盤の強い小坂憲次氏に負けて比例での復活当選をされている。政界に少なくなった農業通としてさらなるこうした問題に焦点をあててほしいものだ。

 ところで、フードマイレージというが、本当はフードだけの問題ではない。検索しているとウッドマイレージなる言葉も見える。木という重いものを、遠く海外から運んでくるのもエネルギーとしては大きなものだ。いや、木ならまだ軽いほうで石などもけっこう輸入されている。結論的には前述したように、望むものがいれば自ずとそこにビジネスが生まれる。もしこの輸送距離を短くすれば、そこて働く人々の暮らしを脅かす。ではそうした均衡をどうとっていくのかということになるのだろうが、パズルをはめていくようなうまい具合にはいかない。答えを出せない計算不能の人間社会の問題と捉えられるかもしれない。ただいえることは、そうした経済の中に身をどれほど置いているかという度合いによって、もしものときに被災を受けるか受けないかという違いが明確になってくるのだろう。
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