Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

思うような人生

2007-07-03 08:27:28 | ひとから学ぶ
 「お仕着せ」で触れたように、賞与の季節にあらためて生業の打算さを考えたわけだ。生涯の生業がどうであったのか、それが給与というもので計れるものなのかどうか、というところまで考えてみないと、よその財布をのぞいて妬むようなことはしていけないだろう。NHKで放映された〝日本のこれから「納得していますか、あなたの働き方」〟において、正規雇用を受けていない人たち何人かが「今の仕事は好きだから続けたいが、正規雇用をお願いするとなかなか雇用してくれない」と言って嘆いていた。前述のように生業を考えたとき、好きな仕事を続けられることはありがたいことだ。せめて正規雇用で将来の安定を図りたいところだろうが、それは人生の選択ともなるだろう。「あなたの今の人生は幸せですか」とか、あるいは「今の仕事は楽しいですか」と聞かれた場合に、即答できる人がどれほどいるだろうか。

 では、自らに質問してみよう。「あなたの人生はいかがですか」と。わたしは「十分です」と答える。何が十分だといえば、そこそこ好きに生きてきたことに対して、そしてそんな生き方を何十年も続けてきたことに対してそう答えるわけだ。しかし、なかなか幸せでした、とまでは言えないのがまだ若いということになるかもしれない。いや、歳を重ねるほどにこの世に未練を感じてくるという話も聞くから、必ずしもわたしの回答が若さともいえないだろう。

 世の中には自らが思う仕事を目いっぱいやって、第三者にも認められている存在の人たちもけして少なくない。そんな人たちも悩みがないわけではなく、それぞれに問題を抱えながらそれを越えている、と思いたいところだが、人はそれぞれだろう。しかし、常に第三者に怒られながらも、ひたすら納期に間に合わそうと努力しながら、「こんな歳になってしまって」、あるいは「辞めても仕事がないから」などと思い、そんな生業に身を置いて我慢している人と、好きな生業ながらぎりぎりの生活を送っている人とで、どちらが幸せだろう、などとわたしでも考えることがよくある。もっといえば、好きでもない仕事でも、怒られることなく最低限の暮らしをしていた方が「気楽だ」という選択をしたくなることもしばしばある。それほど今の生業に納得していないということになるのだろうが、それなら「仕事を変えれば…」と簡単にはいかない。おそらく独り身だったらそんな自由な選択をするのかもしれないが、人生を重ねるほどにさまざまなファクターがそこに加わってくる。そんな抵抗を感じながらも、自らの中で引っ張り合う二人が、問題をどう共有できるかと話し合っているわけだ。前述のNHKの番組では大学の教授が、「地方では好きな仕事で正規雇用を受けることは難しい」とか、「仕事がない」と出演者が言うと、「仕事のあるところに移ればよい」といとも簡単に言っていたが、そんな選択が簡単にできる人はなかなかいないだろうし、そんな発言のできる人がたくさんいて欲しくない、と思うわけだ。きっとそんなことを簡単に言える人たちは、思うような人生を歩んできたのだろう。いずれにしても、嫌な仕事でもそこに価値を見出すことができたのがかつてで、このごろはそれがてきない、あるいはできるはずがないと判断してしまう傾向がある。誰もが思うような生業をしていたら、では嫌な仕事はだれがカバーするのか、ということになる。希望が叶わないのなら落ちこぼれ、みたいな空気を流している雰囲気がないだろうか。
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