Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

枠を越えられない事例

2007-07-06 08:27:24 | ひとから学ぶ
 豊橋の出版社の出す『春夏秋冬叢書』という本が、飯田市の本屋によく並んでいる。地方出版でありながら、他地域のことも扱っているもので特徴的だ。地方出版物にはよく目を通してきたが、このごろはそんな本にも興味が湧かずにあまり目を通していないが、地元ではなくよその地域の出版社がこの伊那谷の話題を扱って伊那谷の本屋に本を並べているというところに興味がわき、時おりこの会社の本を手にすることはあるが、購入したことはない。そして、その目的は?と思うことも、採算はどうなの?とも思うこともある。このごろ「そう別冊 飯田線」が発刊されたと新聞記事をみた。豊橋から辰野までの飯田線を紹介しているという。そのいっぽうで同じ時期に、飯田市の出版社が飯田下伊那地方の戦後60年を振り返った「ドキュメント昭和20-平成18 激変の地域と暮らし」という本を発刊したと新聞に紹介された。片や他地域の出版社が地域を越えた広域な内容を扱って他地域で本を売っている。方や地域の内容を地域だけで売っている。長野県内の出版社の傾向として、郡という枠をくくって本を出すことが多い。こうした販売戦略が採算面ではメリットが大きいのかもしれないが、世の中の雰囲気に適合しているとも思えない。ところがそうした編集をせざるを得ないという現実が、編集者にはもしかしたら悲しい現実なのかもしれない。

 ときに、他県の地方出版物も同じような傾向があると認識しているが、とくに長野県の地方出版物の傾向であり、また購入する読者側の傾向なのかもしれない。わたしが何度も日記で触れてきているように、枠をくくって行動を起すこの地域の人柄なのかもしれない。そういう意味では、豊橋の出版社に学ぶものは多いと思うのだが、そういうことができないのがとくに飯田下伊那の出版人の感覚なのか、と思ってしまっても仕方ない。過去を振り返ってみると、けして飯田下伊那の出版社が自エリアだけを扱って本を出してきたわけではない。新葉社という会社が県境域一帯を扱ったものをシリーズ的に刊行したこともあった。そうした経験の上に立って、今の現実があるのかもしれないが、結局活字離れの時代に購入する側に立てばこうした枠を切らざるをえないという現実があるのだろう、と判断せざるを得ない。出版側の意識というよりは、読者にみる地域性なのかもしれない。わたしのように「枠をくくるな」と頻繁に言う人間には適合していないのだが、裏を返せばそういうニーズが少ないということにもなる。

 そんなことを考えてきてみると、豊橋市の出版社の本つくりは、どちらかという若者向けなのかもしれない。きっと枠をくくりたがるニーズには逆に適合しないかもしれない。それでもこのところ同じスタイルで本を出し続けているこの出版社の動向は、少しこの地域が変化しつつあるのか、というようにも感じ取られるがどうなんだろう。かつて廃刊した本が、今あったらどう捉えられるだろう、と振り返ることが時おりある。それほど今あったら「楽しそう」という本が、振り返るといくつかあった。時代に適合せざるを得ないというのが、採算を考えれば致し方ないことなのだが、ちょっと複雑なものがある。
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