Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

選挙が嫌われるわけ

2007-07-18 08:27:25 | ひとから学ぶ


 「選挙のお願い電話」という知人のブログを見ていて、同じように思う人はかなりいるだろうと思う。その内容とは、


夕方の忙しい時間に電話がなりました。
「はい、○○です」
「こちら、○○の選挙事務所の者ですが」
あ、来た。選挙のお願いだ。
「○○候補をお願いいたします」
(中略)
電話をもらって、それで決める人っているのでしょうか?
選挙のお願い電話は、キャッチセールスと同じで、とても迷惑です。
(中略)
選挙の時の無差別にかける電話作戦
その候補者へのイメージダウンになることはあっても
プラスになることはないと思いますので
・・・・


とまあこんな具合だ。

 この場合電話帳から無作為に拾って電話を掛けているという内容のようだが、無作為でなくとも電話で頼まれたといっても地域密着の町村議会議員選挙のようなものならともかく、国政の選挙ともなれば逆効果ということは絶対あるだろう。わが社でも先行きの見えないなか、いつもながら支持団体になっていることもあってめったに拝んだこともない人をこのときだけ応援するのだが、現実的には本気に支持して応援しようという雰囲気はそれほどない。もちろん組織選挙だから後援会の名簿のようなものを提出して、きっとその名簿をもとに電話作戦に入るのたろうが、はたしてどれほど効果があるかはわからない。電話作戦なんていうのは辞めて、確実に組織のそれぞれの者が票固めをした方が確実だろう。とはいえ、そうした選挙そのものもうんざり状態に陥っていることは確かだ。身近で選挙に出る人がいると大変なことだ。それは国政に限らず、身近な選挙でも同様だ。

 少し前に選挙の映画のことが報道されていて、国外で不思議にとらえられているようなことを言っていたが、参議院選挙が始まって改めて不思議さを感じるわけだ。「○○です。今回は本当に苦しい。○○をぜひお願いします」と名前を連呼しているが、どれほどあなたのことをみんなが認識しているか知らないが、こうしたやり方そのものが有権者を馬鹿にしている。党名も何も言わずにただ連呼している。選挙カーでは何を訴えているということを言わないのが流れみたいで、認識していない人はまさに名前だけを耳にしている。どれだけの人がマニフェストなり、その個人の主張に耳を傾けるかしらないが、たとえばわたしが今までの選挙で、個人の主張を真剣に読んだりしたことはない。なぜかといえば個人ではどうにもならない力が作用すると知っているし、なによりそこに書かれていることがどれほど信用のおけるものかという疑問もある。有権者の1人として「そんな考えで良いのか」と問われれば自信をもって「良いのだ」と思う。それほどリーダーたちに失望しているということだ。

 電話をかけることが選挙運動として認められている唯一の個人へのアプローチとしたら、それも仕方のないことかもしれない。しかし、電話をもらって気分の良いのは、親しみがある知人くらいのもので、めったにお目にかからないような世界の違う人に、それも電話をしている人は本人ではないのだから、電話をもらったくらいで投票する人はいないだろう。そういう下々の気持ちがわからない人たちが選挙を誘導しているのだろう。そういう人たちは落選してもその方法が正しいと思うのかどうなのか・・・・。


 写真は本文とはまったく関係ないが、中越沖地震があった日の久しぶりの夕方の焼け具合だ。
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