Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ガソリン価格に一喜一憂

2007-07-22 11:11:19 | ひとから学ぶ
 長野県政タイムスの最新号に「ガソリン価格に一喜一憂する深層の気持ち」という記事があった。とても共感できたので触れてみたい。ガソリンが高騰し続けている。記事を書かれた扇田さんという方は、大町に住んでいる。その地域ではガソリンが140円代で常態化しているという。今までは地元のガソリンスタンド、それも店を変えずに同じところで入れてきたというが、このところの高値でいよいよ遠いところの安いスタンドに変えたという。その値段が10円近くも違うから、満タンにすればずいぶん差額が出るわけだ。たまたま埼玉県に所用ででかけることがあって、昔の記憶で長野県よりさらに安いという認識をしていて、今回はどのくらい違うだろうかとわくわくして出かけたのだ。地元では141円だったガソリンが、130円代前半で価格表示されていることで、きっとうれしくなったに違いない。そして130円を割るような店もあって、そろそろ入れようと決心し、129円という店で給油したわけだ。地元より13円も安いということで600円以上の差額を計算し、意気揚々と出発した。すると127円という店が現れ、「先ほどの高揚感がミルミル萎んでいきました」という。

 扇田さんは、「ガソリンに限って、数円の格差に一喜一憂する傾向がある」とドライバーのことを評しているわけだが、うなづける部分は多々ある。「やったー」と思っていたらそれを上回るくらい気落ちさせる事柄っていうのは、意外にも細かいささいなことで経験するものだ。扇田さんがいう「ガソリンに限って」については、ガソリンばかりでなくほかのものでもあるかもしれないが、実は店の外に大きく価格を表示させて客を呼ぶ典型的な商売だから、ドライバーは一喜一憂してしまうわけだ。これが長野県内みたいに価格表示していない店が多いと、あまり意識しないのかもしれないが、その商売が批判されて表示している店がちらほらしてくると、やはり一喜一憂する世界にのめりこんで行く。

 実は記事でも触れられているが、10円違っても、60リットル入れて600円である。毎週60リットル入れたとしても月にすれば2400円である。ずいぶん高いと思う人もいるかもしれないが、リッター10キロ走ったとして600円は50キロも走れない。ということは買い物のついでに遠くで入れるのならともかく、わざわざ行くには時間とリスクを考えれば得策とは思えない。加えて25キロ範囲程度に10円安い店があるかないかということにもつながる。最近はセルフの店が多くなって、地元のフルサービスに比較すれば10円くらいはすぐに差が出るかもしれないが、セルフの店が一般化してきたせいかセルフもフルもそれほど差を感じなくなってきた。何ごともそうだが、安いところを探す労力に力を注ぐくらいなら、行きつけの店の方が気楽で得した気分になれる、というような感覚が欲しいものだ。もちろんそういう利点を考慮した地元の店の意識も必要だろう。

 さて、このごろは電車通勤をするようになって自家用車はまったく使わなくなった。土日といってもかつてにくらべると出歩かなくなった。1年に2万キロ以上は走っていたものが、しだいに減って長野暮らし時代には1万台に突入。現状なら月に1度も燃料を補給しない。前回燃料を補給したのは、5月の末である。へたをすると2カ月に50リットルも使わなくなる。とすれば、リッター200円したって月に5000円程度になる。というわけでこのごろはまったく一喜一憂しない暮らしをしているから、どんどん値上がりしてもあの世の話てある。いや、この世の話で、わたしがあの世にいるのか・・・。
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