Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

音のする時代

2007-07-16 10:03:46 | 農村環境
 中日新聞の7/11朝刊地方版に「正午のチャイム賛否両論」という見出しが見えた。飯田市では正午にミュージックチャイムなるものを流している。防災無線といわれるスピーカーが市内全域に聞こえるように設置されていて、そこから鳴り響くわけで、正午だけではなく、午後6時にも鳴るという。「エーデルワイス」とか「ふるさと」、夕方には「家路」とか「夕焼け小焼け」を流すのだという。実は長野県内にはあちこちにこの防災無線があるから飯田市に限ったことではなく、ほかの町村でも同じように曲が流れているところは多いだろう。

 正午の放送というと、防災無線が設置される前から田舎には鳴り響いていた。記憶に残るのはサイレンである。正午たったか11時半であったか正確には覚えていないが、そのころにお昼を告げるサイレンがあった。空襲警報のようなサイレンであったが、この音で昼であることを認識していたわけだ。飯田市では、曲を変えたことでその放送そのものが議論されているようで、「曲がなじまない」とか、「うるさい」なんていう苦情もあるという。世の中サラリーマンがほとんどになって、昔のように野に出て働いている人は少なくなったから、その時報がどれだけ意味があるかと問えば、疑問があがっても仕方のない時代にはなった。騒音が常にあるこの世の中であるから、時報を知らせる放送がどれだけ多くの人々の耳に入り、また認識されているかは解らないが、けっこうその放送は、記憶として残っているものだ。車も通らなかった静寂そのものだった時代には、物音しない空間があった。

 松本市御射山で聞いた話である。大正6年生まれの男性は、朝の到来は鳥が教えてくれたといい、木が水を吸い上げる音も聞こえたと言い、自然界の音が一日を通してあったわけだ。それほど静寂だったから自らの血が流れる音が聞こえたともいう。ちょっとわたしには解らない世界の話である。爆音というと空からやってくるものと認識していた。それは飛行機の音だったのだろう。ある日その爆音がしたので空を見上げていたが、なかなか飛行機の姿が見えない。そのうちにその音は下の方からやってくることに気がついた。自動車の爆音だったわけだ。初めて見た車だったのだ。今やその爆音はひっきりなしに聞こえているという。もちろんこの男性はその変化を語ることができるわけだが、現代に生を受けた人々には、なかなか理解できない空間がそこにはあったわけだ。

 「うるさい」なんていう苦情のはなしを聞くにつけ、その「うるさい」がどれほどの騒音なのか判断は難しい。日常的に音が発せられているこの時代、今の「うるさい」は耳に入ってくるその音の内容に対しての個人的な好みの問題にもなっている。多様といえば多様なのだが、一定な判断ができない時代であることを感じるわけだ。
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