Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ササユリの民俗

2007-07-02 08:29:10 | 民俗学
 このごろササユリの記事が新聞にいくつか掲載されている。花の咲く季節ということもあって話題になるようだが、盗掘という記事も見える。ササユリは長野県の希少植物に指定されている。そんなこともあって記事になりやすいわけだが、ササユリについては、かつての人との関係をみるよい事例がある。飯田市美術博物館発行の『上久堅の民俗』(平成18年)の冒頭で、関西大学の野本寛一氏が子どもたちとササユリの関係について触れている。

 小学生の頃、上級生に連れられて山に入ることがたびたびあった。次の四回の山入りの目的は明確であった。(1)ササユリ採り=六月になるとササユリを採るために集団で山に入った。それは家に飾るための花で、山から採ってきた花を一か所にまとめて、下級生の分まで均等に分けてくれた。(後略)

というものである。子どもたちは遊びの空間である山に行って、家に飾るための花を採りにいっている。実は今ではあまり意識されなくなったが、盆花を採りに行く役は子どもたちが担っていた。野本氏もこのあとに触れているが、子どもたちは野山へこうして出ることで花々のありかやアケビ、ヤマブドウのありかなど認識していったわけで、それも上級生から下級生へというかたちで伝達されていったことに注目している。

 かつては家へ飾るため採られたササユリも今や希少植物ということで、上久堅で語られたものは過去のものとなってしまった。それに悲しみを覚えるわけではないが、ここで解ることは、希少とされる植物もさまざまに利用されていた上でわたしたちの暮らしとバランスをとりながら生育していたということである。このごろは自然界の異常現象のひとつひとつを持ち上げては、人々の価値観でそれぞれを分離して捉えているが、人々と関係まで掘り下げて触れられることは少ない。蛍が飛ぶことが環境の指標のように捉えるが、環境とはそれだけのものではないだろう。そういう意味では野本氏が取り上げる〝環境の民俗〟という視点はかつての民俗の分野の枠を越えたもので広がりがある。

 余談であるが、『上久堅の民俗』の始まりはこのように広がりのある書き出しであるが、〝環境の民俗〟以降広がりのない項目に終始する。この展開は、指導者である野本氏の意向なのだろうが、氏のみ自由が認められ、ほかの方たちにそれがないのは残念というか、指導の観点がよく見えないわけだ。あくまでもこれは余談である。
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