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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

中学・高校(津波)講座(7)「ころ」

2015年12月26日 | 中学・高校講座

本音を言えば屋根から落ちるほど驚いた。次の新聞に載っていた高校生による現地観察と独創的実験の物語である。


岩手日報特集記事「大地の記憶 生命の奇跡(3)」(2014.1.26)三陸ジオパークホームページ<ジオブログ>2014.6.12 より

 ☆

(1)津波石 岩手県立宮古高校の生物研究部地質班の福井君、柳沢君、木島君、馬場君は顧問の杉山先生と震災後宮古市田老の山王岩付近で東日本大震災の津波で運ばれた「津波石」を発見した。岩は約5メートル四方、厚さ3.3メートルの宮古層群の堆積岩で出来ている200トン以上の重量と推計され、元あった位置から北西方向に30メートル移動している事を確認した。そして「なぜ?」「いかに?」と問うたのである。


山王岩と巨大な津波石、岩手日報特集記事(2014.1.26)より

 

(2)もう一つの津波石 宮古市内では今次大津波で運ばれたもう一つの「津波石」がある。同じ田老の摂待地区で海から500メートル運ばれてきた推定140トンの巨岩である。残念な事にこの岩は畑に邪魔だという事で破すいされて運び去られて今は面影がないという。

田老地区摂待にて、津波に運ばれてきた大岩
(2012.2.4 web岩手日報)


 

(3)仮 説 高校生たちは山王岩の「津波石」の周辺に同じく北西に運ばれたと見られる多くの大小の石(礫)も確認「大岩を動かしたのは津波だけではなく津波が舞い上がらせた多数の石も関わっているのではないか」と仮設を立てた。

 

(4)実 験 そこでベニヤ板で実験装置を作成。「津波石」に見立てた直計5センチの石を水路に置き、水だけの流れと、水と砂の混合の流れとで、石が動くかどうかを実験した。その結果、同じ水位で、水だけの流れでは動かなかった石が、水と砂の混合の流れでは移動。大小の石が津波の威力を増し、大岩を動かした可能性がある事が分かった。


「すばらしい」の一言である。現地を調査、観察した結果として仮説を立て、そのような実験(装置)に着手するという事は彼らでなければ出来なかった事である。ここではその事だけに言及するが彼らは本来の地質研究、山王岩や周辺のジオの研究や津波そのものの考察にも成果があったようである。研究は数々の受賞ともなり、これからの課題も予定されている。


(5)実験の意味 私ブログ管理人にとってのこの記事の意味は、まさに「大小の石が津波の威力を増し、大岩を動かした可能性がある事が分かった」事である。私は田老摂待の大岩の記事を新聞で読んで大岩を500メートルも動かした津波の威力に驚いていた。津波の力=津波のスピード、と考えてその事をこの中学・高校生講座でも述べていた。しかしこのリアル高校生たちの観察と実験は講座をはるかに上回って具体的で非常にリアルなものであった。なによりも大小の石、砂、礫石への着想が素晴らしい。「津波石」一つで津波の威力、動き、実相が多様である実証・可能性を鮮明に印象づけた事である。


【関連記事】中学・高校(津波)講座(3)運動の力

 

── 思うに、「ころ」の役割の砂や石が巨大な岩石を軽々と遠くまで運ぶ手助けになっていた。漁船の陸揚げは今も昔も「ころ」を利用している。江戸城石垣、エジプトのピラミッドも「ころ」を使って石を運んだという。小石や砂は現代のベアリング技術の原型であるといえる。津波の初期衝撃の強さや当たりどこによっては100トン超級の巨大岩石は海底の泥の上をすべり、水中を飛び交う事さえ故無しとしない事を印象づけたのである。岩石の動きは波力の減殺とともに終わるが、少なくとも、岩石の動きは波のスピードには必ずしも連動しない事が分かった。岩を浮上させる初期衝撃力というものがより重要基準になるであろう。





講座(7)「ころ」   

 講座(6) 鍬ヶ崎の岩盤

   講座(5)   てこの原理 

講座4) アルカリの海

講座(3) 運動の力  

講座(2)ローマ人の哲学

講座(1)寄りかかりの力

 

 


 

 

 

 

 

 

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