宮城県気仙沼市「二十一浜の防潮堤」記事への当ブログ管理人(コーケやん)のコメントです。「二十一浜の防潮堤」は『鍬ヶ崎の防潮堤』と読み替えてもいいと思います。東日本一帯が L1、L2問題に悩まされてきたと思います。来年は本格的にこの問題に取り組まなければなりません。
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今川悟氏ホームページへのコメント(12/24)
先の津波で20mの津波に襲われたのになぜ防潮堤は14.7mなのですか? 防潮堤問題には、基本的に、この疑問がだれにもあります。国の官僚があわてて考え出したL1、L2の基準はごまかしというより、もう通用しないのではないかと思います。先きの3.11大震災がこれからの防災対策の基準になる事の方が自然で、なおかつ必要なのだと思います。日本国の西の方、南海トラフを震源とする大津波対策は当然にも L1、L2の区別はしてないと思いますよ。L1、L2に翻弄されているのは今どき東日本太平洋沿岸だけです。根拠薄弱なそのような基準があるから二十一浜の防潮堤がややこしい問題になるのだと思います。そのような基準がなければこの浜に14.7mなどという巨大防潮堤は不要なのだと思います。はっきり「いらない」です。L1クラス(明治の津波)の津波に対してはここの人々はそもそも心の備えがあると思います。こんなに山が迫っていて避難すれば命を落とす事はない事を知っているのです。建物や漁港や道や鉄道の対策も地域の経験をもとにすれば、そして考えたり話し合ったりすればどうにかなるというはんもうど(浜人)のDNAがある思います。イージーに防潮堤に頼れば景観や産業や避難の面から…、もはや二十一浜でなくなる事も分かっていると思います。(長くなりました)。結論をいえばL2クラス(平成の津波)への対策は今だれもが十分に分からないという事です。対策というより津波そのものの実態解明(検証)が進んでいないからなのです。L1との比較で考える限り検証という事は無理なのです。L1、L2にこだわる限り検証はしないで済みますからね。3.11以来、役人は思考停止になってただただL1用コンクリートの壁を作る事を急いでいるだけです。水が出た時の砂袋積みを見る思いです。想定される将来の平成クラス並の津波では14.7mの防潮堤はなんの役にも立たないばかりか全ての施設、全ての人命を亡きものにする原因になるのです。今後、東北人は逃げないで(後ろ向きにならないで)先きの3.11津波クラスの津波をものの考え方の基準にしなければなりません。子や孫にも平成の津波の事を余す事なく語り継ぐのです。「L1の…L2の…」などと言ってたらダメです。先きの津波、平成の津波の地道な検証が前提です。防災対策はもちろん避難という事が中心になりますが、なによりも「防潮堤(=公共工事)の呪縛」からの解放される事が先決だと思います。基準、語り継ぐ、検証、避難、解放、どれも簡単ではありませんし、考え、実行すべき裾野は広いです。今川先生たちのリーダーシップに期待します。私にも微力ながら協力させて頂きたいと思います。
[参考]国は数十年から百数十年に1度の割合で発生が予想される「レベル1(L1)」の津波に対応できる防潮堤の整備を推進。港湾や海岸を管理する国、県、市町村ごとに建設する。
「数十年から百数十年に1度」というのは200年間に1度の津波という事でいいのか? ──「百数十年に1度」という事であれば200年間に1度という事であるが、「数十年に1度」という事であれば200年間に最大20回ある津波の事である(そのような事はないわけではない)。いいかげんな津波の定義である。中央官僚の都合でつくられたこの L1、L2 定義の曖昧さ無明地獄に沿岸の人類は向こう200年間悩む事になる。報道各社ももう馬鹿の一つ覚えみたいな「数十年から百数十年に1度」を止めたらどうであろうか?──ブログ管理人
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二十一浜