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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

バットの森

2018年07月21日 | 大川小学校(訴訟)

避難場所 最善手は?

── 大川小訴訟の一つの争点を振りかえる。

 

「バットの森」という言葉は知っていたがこのように地図を見せられてわが心中穏やかではない。私は現地に行った事がない。のに、ずっと二審判決を支持し被告の石巻市長らをなじってきた。

心中穏やかでないというのは、この地図を見るまで、原告の主張するすぐ近くの「裏山」こそ(「バットの森」かどうか確かめず)二審判決にいう「最も有力な避難場所の候補」だと思ってきたからである。裁判長はご丁寧に近くの「裏山」は「崩壊の危険性」から、不適切としているのに…。

私見を言えば、依然として近くの「裏山」こそ2〜3分の避難場所として、揺るぎないと思っている。20分も時間がかかる「バットの森」は災禍のあった三角地帯も通らねばならず、比較的にいえば最悪の経路であり避難場所であると思う。

以上。


この避難道の、私と私の地区(岩手県宮古市鍬ヶ崎)の常識と、原告の常識、裁判の判決、被告の常識のはたしてどれが最善手かはこれからの事である。

(2018.5.11 Facebookよりブログ管理人)

 

 

 

(以下 Yoshihito Hashimoto 氏の Facebook より転載)

 

 

Yoshihito Hashimotoさんがアルバム大川小 津波 避難写真を追加しました。

 5月7日

高裁の小川浩裁判長らは
17年10月の現地視察の際に
バットの森を訪れており、
これらの認識を早期に固めていたとみられる。

<大川小津波訴訟>

高裁判決で避難場所に指摘
「バットの森」歩けば20分で到達可能
2018年04月30日(月曜日)河北新報

宮城県石巻市大川小津波訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は危機管理マニュアルに事前に記載しておくべき避難場所として「バットの森」を挙げた。判決文を読み解きながら、避難経路を歩いた。(大川小事故取材班)

 バットの森は、大川小から約700メートル離れた市有林で、海抜20メートル以上の高台にある。2007年11月、全校児童と教職員、保護者ら約300人がバットの原木となるアオダモなど約550本を植樹。少なくとも震災当時の4~6年生は訪れたことがあった。

 大川小の校庭(海抜約1メートル)から県道を通り、震災当日に児童らが目指した北上川の堤防道路(三角地帯、海抜6~7メートル)まで約4分。国道398号を雄勝方面に向かう。片側1車線の道路には大人2人が並べる幅の歩道がある。緩やかな下りは最も低い場所で海抜約2メートル。津波到達の碑があり、その先は浸水していないことが分かる。

 約11分後、大川小の裏山に通じる林道の入り口に着く。整備された坂道を約3分上ると、バットの森だ。校庭からは約14分。低学年を含む大勢の移動を考慮しても、20分あれば到達できる。児童が植えた苗木は高さ5メートル余りに育っていた。

 高裁判決は、原告が強く主張した裏山への避難は「崩落の危険性」から不適当とした上で、バットの森を「最も有力な避難場所の候補」として、10年度作成の危機管理マニュアルに明記すべきだったと指摘した。

 被告側は「学校から距離があり避難場所として不適切」などと主張したが、判決は校長ら学校幹部が地域と協議したり、雨風をしのぐ小屋、照明の整備を市教委に相談したりしていればクリアできたと退けた。

 避難経路は、川沿いの三角地帯を通るという難点を抱える。しかし判決は、地震6分後に大津波警報を知らせた防災行政無線を受けた早期の避難開始で十分に回避できると結論付けた。高裁の小川浩裁判長らは17年10月の現地視察の際にバットの森を訪れており、これらの認識を早期に固めていたとみられる。

 原告の只野英昭さん(46)の長男で、5年時に被災し奇跡的に助かった長男哲也さん(18)も植樹に参加した1人だ。只野さんは「児童の半数が来たことがある場所。事前に周知や訓練し、整備されていれば避難に適した場所になったはずだ」と判決に理解を示した。

 

 

 

  [関連記事] 大川小訴訟─未来からの視点     2018.5.22 

 

 

 

 

 

 

 

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