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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

大川小訴訟に判決10/26

2016年10月27日 | 大川小学校(訴訟)

「裏山に避難させるべきであった」
(仙台地裁判決 2016.10.26)


「一、津波に襲われたら何処でも此のくらいの高所へ逃げろ」
「一、 遠くへ逃げては津波に追付かる」 (山田町船越の高台石碑の碑文より)

岩手県沿岸の津波地帯にはこのような古い碑文があちこちにある。今回の地裁判決は当然にも碑文と同じ判決になった。それに反して大川小学校の生徒たちは近くの高台に登る事を回避して、遠くの避難場所に誘導され津波に追いつかれて犠牲になったのだった。

判決も碑文も大事だがそこに流れている津波避難の唯一無二の心構えが一番大事である。高台に避難すること!! そこを原点にして津波防災をかしこく具体化していかなければならない。家庭教育や学校教育、地域の訓練、避難道や予知情報システムなど…。

防潮堤は碑文から見ても地裁判決から見ても避難の妨げ(さまたげ)にしかならない。思いを巡らし、思いを致すべきである。

 

 ☆


(2011.10.27 日本経済新聞)





山さ逃げよう! 教務主任の声通らず

  
(同上 日本経済新聞


参考図

ブログ <政治経済ニュース・今私の気になること>より  2011.6.5





[関連記事] 鍬ヶ崎「防潮堤」(6)リアス沿岸は防潮堤  2013.11.8







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