政府 防災会議 作業部会
「南海トラフ巨大地震の被害想定」発表
2025年3月31日
事実問題として、発表しただけで国民の防災指針になるものではなかった。被害想定のまとめが何100ページになろうとも内容は数字的被害想定の「まとめ」や「変化」に過ぎず、防災指針の核心的政策からも遠いものであった。超細かなところまで官僚総動員で調べ上げたとしても(実際そのようだ)コンセプトが的外れであれば「まとめ」の内容はどこまで行っても的外れだ。有効な新文言の一つとして見当たらない。
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⚫️ 巨大津波が「来るぞ」「来るぞ」と、相変わらず国は狼少年の役割しか果たしていない。
⚫️ この被害想定の「発表自体」、対象地域の住民でさえ2、3日でもうすっかり忘れてしまっている。
対象地域の住民が今とるべき態度、議論、テーマ等の提言は何一つなく、現地の士気が上がるわけでもなく避難などのアクションの構えやイメージさえも生じないからだ。
なぜ? そのような「まとめ」発表になってしまうのか?!
● 議論なき作業部会
歳月をかけ国の作業部会(官僚群)は何を作業していたのか? 出来上がってきた「まとめ」には色々な提言にさえエビデンスがなく、有効な防災の取り掛かりがない。科学的シミュレーションに基づいているのでもなく、ただ算術的統計からの憶測とベタの事実の主観的推論の集大成といえる。
特筆すべき本質的理由は、東日本の災害の結果に基づいておらず、そこの反省、動機、議論が抜けているのだ。「まとめ」作成の過程で作業部会ではこれらのことを真剣に議論、動機付け、反省をしていないのではないのか? 生きた息吹きが抜け落ちている。だから絞りきった有効な結論の一つも聞こえてこないのだといえる。──ここのところは私がこのブログで何度も言及している <南海トラフ あるべき防災> なのであって、ここではこれ以上言わないが、東日本震災の大反省こそが南海トラフ大震災の防災の要(かなめ)なのだ…
ハード施設整備への執着、延命尊重対策への無頓着
政府とその官僚はただただ従来のハードの防災を頼み、東日本大震災の人的被害、事実認識も馬耳東風、百年一日の如き姿勢に終始している。(逆に、ハードへの執着がこのような「まとめ」を作ったとも言える)。施設整備を終始念頭に置き住民の命の救済は成り行き任せのおざなりだ。
── 林芳正官房長官は31日の記者会見で新たな被害想定について「政府として真摯に受け止める」と述べた(日経4/1)。つまり、── 内容を受け、建物の耐震化や津波避難ビルといった防災施設整備などの取り組みを進める考えを示した(同)。官房長官もマスコミもハードにしか頭が行っていない。これが大反省のない政治=官僚の、真実の姿と言える。それはまた日本の学者、識者、ジャーナリズムの大半の考えといえる。
官僚の作文では乗り切れないことは分かっても、最後的には官僚の上に立つ与野党政治家、政府要人、総理大臣の判断になるのだが、そのあたりの哲学、マネジメント、指揮系統の姿さえこの「南海トラフ巨大地震の被害想定」からは見えてこない。政治家の頭には減災だけがあって国民の命の行く末についてはほとんど何も考えていない。
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北海道新聞(2025.4.1)
この発表は各新聞社が精一杯の特集を組んだ。1年遅れの発表といい、各想定数字の変化といい、その想定被害甚大さといい、各社は思い残すことなく記事にした。
しかし、それほど意義のある政府の発表だったのか? 新聞社の紙価を高める記事だったのか?
北海道新聞
日本経済新聞(他カラー特集ページあり)