「アンパンマンのエキス」を読んで(10/5のBLOG)『今月中に献血をする』という決意表明をし、
また、「どうせ献血するなら綺麗な血液を」との想いから、10/16日から禁酒とダイエット※が続く。
※健康的な食生活という意味。この言葉、本来は「減量」という意味ではない。
隣で「カロリ」をすする家内を横目に、である…
普段であれば「甘い酒なんて酒じゃないね!」なんて鼻で笑っているところではあるのだが、今日は少しうらやましい。
でも、ほんの少し。
思っていたほど辛くない。
3年前になるが、私の父も癌で逝った。
私の実家は、商売をしていたので、母と二人、休みもなく働きづめだった。
夏や冬には過労で倒れることもあった。
発病前、60になった父に
「もう、引退したら?」
と言ったのだが、
「65までやる。そしたら田舎に平屋の一軒屋たてて、畑耕して、孫と釣りする。」
と聞かなかった。
当時、まだ私は独身。
気の長い夢だ、と思った。
父は「イチゴ・ショートケーキのイチゴを最期に食べる派」だったのかも知れない。
取って置きの楽しみは、最後にかぶりつく主義だったのか。
イチゴ・ショートケーキ食ってるところを見たことは無いが、父の取って置きは実現しなかった。
発病。
そして1年半の間、苦しみぬいた。
渇望した孫の顔を見たその月に、逝った。
治療に輸血は欠かせなかった。
輸血の中に「成分輸血」なるものがある。
記憶が正しければ、血小板輸血は高額で、しかも在庫不足。
死を待つのみとなった父への血小板輸血の回数は、少なかった。
可能性のある患者に回ったのは、明らかだった。
それを見て、父は何を思っただろうか。
それをただ、間近に見ていた。
有り余る在庫があれば、あと1日でも長く「おじいちゃん」になった喜びを味あわせてやれたかもしれない。
62年生きた父と、3年で幕を閉じてしまった子と、3歳の子を持つ自分。
いろいろ見てしまったがゆえに、見て見ぬふりが、出来ない。
ああ、こんな夜は熱めの燗が旨かろうなぁ…
また、「どうせ献血するなら綺麗な血液を」との想いから、10/16日から禁酒とダイエット※が続く。
※健康的な食生活という意味。この言葉、本来は「減量」という意味ではない。
隣で「カロリ」をすする家内を横目に、である…
普段であれば「甘い酒なんて酒じゃないね!」なんて鼻で笑っているところではあるのだが、今日は少しうらやましい。
でも、ほんの少し。
思っていたほど辛くない。
3年前になるが、私の父も癌で逝った。
私の実家は、商売をしていたので、母と二人、休みもなく働きづめだった。
夏や冬には過労で倒れることもあった。
発病前、60になった父に
「もう、引退したら?」
と言ったのだが、
「65までやる。そしたら田舎に平屋の一軒屋たてて、畑耕して、孫と釣りする。」
と聞かなかった。
当時、まだ私は独身。
気の長い夢だ、と思った。
父は「イチゴ・ショートケーキのイチゴを最期に食べる派」だったのかも知れない。
取って置きの楽しみは、最後にかぶりつく主義だったのか。
イチゴ・ショートケーキ食ってるところを見たことは無いが、父の取って置きは実現しなかった。
発病。
そして1年半の間、苦しみぬいた。
渇望した孫の顔を見たその月に、逝った。
治療に輸血は欠かせなかった。
輸血の中に「成分輸血」なるものがある。
記憶が正しければ、血小板輸血は高額で、しかも在庫不足。
死を待つのみとなった父への血小板輸血の回数は、少なかった。
可能性のある患者に回ったのは、明らかだった。
それを見て、父は何を思っただろうか。
それをただ、間近に見ていた。
有り余る在庫があれば、あと1日でも長く「おじいちゃん」になった喜びを味あわせてやれたかもしれない。
62年生きた父と、3年で幕を閉じてしまった子と、3歳の子を持つ自分。
いろいろ見てしまったがゆえに、見て見ぬふりが、出来ない。
ああ、こんな夜は熱めの燗が旨かろうなぁ…