血液浄化計画 その2

2006年10月19日 | Weblog
「アンパンマンのエキス」を読んで(10/5のBLOG)『今月中に献血をする』という決意表明をし、

また、「どうせ献血するなら綺麗な血液を」との想いから、10/16日から禁酒とダイエット※が続く。


※健康的な食生活という意味。この言葉、本来は「減量」という意味ではない。


隣で「カロリ」をすする家内を横目に、である…

普段であれば「甘い酒なんて酒じゃないね!」なんて鼻で笑っているところではあるのだが、今日は少しうらやましい。

でも、ほんの少し。

思っていたほど辛くない。


3年前になるが、私の父も癌で逝った。

私の実家は、商売をしていたので、母と二人、休みもなく働きづめだった。

夏や冬には過労で倒れることもあった。

発病前、60になった父に

「もう、引退したら?」

と言ったのだが、

「65までやる。そしたら田舎に平屋の一軒屋たてて、畑耕して、孫と釣りする。」

と聞かなかった。

当時、まだ私は独身。

気の長い夢だ、と思った。

父は「イチゴ・ショートケーキのイチゴを最期に食べる派」だったのかも知れない。 

取って置きの楽しみは、最後にかぶりつく主義だったのか。

イチゴ・ショートケーキ食ってるところを見たことは無いが、父の取って置きは実現しなかった。







発病。

そして1年半の間、苦しみぬいた。

渇望した孫の顔を見たその月に、逝った。

  
治療に輸血は欠かせなかった。



輸血の中に「成分輸血」なるものがある。

記憶が正しければ、血小板輸血は高額で、しかも在庫不足。


死を待つのみとなった父への血小板輸血の回数は、少なかった。

可能性のある患者に回ったのは、明らかだった。

それを見て、父は何を思っただろうか。

それをただ、間近に見ていた。



有り余る在庫があれば、あと1日でも長く「おじいちゃん」になった喜びを味あわせてやれたかもしれない。



62年生きた父と、3年で幕を閉じてしまった子と、3歳の子を持つ自分。

いろいろ見てしまったがゆえに、見て見ぬふりが、出来ない。


ああ、こんな夜は熱めの燗が旨かろうなぁ…

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