すなば たかひろ

「元気で人に優しい鳥取」を取り戻すため、県議になった元新聞記者の挑戦記。みんなで鳥取の未来像を考えましょう!

ご冥福をお祈りいたします

2011年05月21日 | 日記
朝日新聞に入社して、初めて鳥取総局に赴任した時の支局長だった金沢さんの神戸のご自宅に弔問に行ってきました。
社会人として始めて仕えた上司です。

奥様が私と同郷だったこともあり、本当にお世話になったのですが、御不幸を知ったのが、葬儀に出た友人からの電話で、今日の弔問となりました。
「砂場が葬儀に来ていないので、電話したよ。一番かわいがられていたから、当然知っているものと思っていたけど、みんな、そう思って連絡が抜けたのかな」
そういう電話をもらったのが今週の月曜日でした。家内もお参りに行きたいというので、奥様に連絡を取り、今朝、車を飛ばして神戸に伺いました。

遺影を見ると、やはり悲しみがこみ上げてきます。家内は目を真っ赤にして涙を落していました。
ご焼香を終えると、奥様から最期のご様子などをお聞きしましたが、ずっと私のことを気にかけ、県議選の当選を本当に喜んでいただいたとお聞きしました。

本当にハチャメチャな人でした。根っからの事件記者で、豪快に酒を飲むのですが、ちょっと寂しがり屋で、「おれは1人では晩飯が食えない」と言って、部下を引き連れては、飲みに行くのです。
私は県警の担当でした。それこそ、当時は夜討ち朝駆けの毎日。警察官や検事の家に夜周りをかけて、帰社すると11時を回っていました。金沢さんはソファーに横になっているのですが、体を起こし、「砂ちゃん、ちょっと行こうか」と行って、連日、弥生町に連れて行ってくれました。

赤提灯やスナックで「今日は収穫があったか?」と夜周りの報告を聞き、いろんなアドバイスをいただきました。私の人格形成には、本当に大きな影響を与えた人です。それだけに、最後のお別れができなかったのが残念で悔やまれます。
「パパが育てた砂場君と、香代里君が来てくれたよ。生きていれば、いっぱい話が出来たのにね」
そうご仏前で、奥様に言われると、もう言葉がありませんでした。
心からご冥福をお祈りいたします。
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