午後は立川市緑町にあります立川広域防災基地を視察しました。ここが砂川闘争で有名な米軍基地があった場所です。各官公庁や東京都などの防災関係機関が集積されています。敷地面積は115ha。900mの滑走路を持つ立川飛行場・医療施設・備蓄倉庫などがあり、空輸による人員・物資の緊急輸送の中継・集積拠点として、また、自衛隊、東京消防庁、警視庁などの援助隊の運用・受入拠点として、南関東地域における災害応急対策活動の中核拠点として機能することが期待されていますが、一番重要なことは首都機能が喪失したときには、ここが代替機能を果して、災害機能を果たすことになります。
具体的には、内閣府立川災害対策本部予備施設、国土交通省関東地方整備局営繕部甲武営繕事務所、陸上自衛隊東部方面隊直轄 東部方面航空隊 本部・第1師団 第1飛行隊、海上保安庁海上保安試験研究センター、農林水産省関東農政局東京農政事務所食糧部防災倉庫課 立川政府倉庫(南関東地域広域災害用備蓄倉庫)、東京都立川地域防災センター、警視庁警視庁第八方面本部・通信司令本部多摩指令センター・第四機動隊立川飛行センター・多摩備蓄倉庫、東京消防庁航空隊・多摩災害救急情報センター・第八消防方面本部・第八方面消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)・立川都民防災教育センター(立川防災館)、独立行政法人国立病院機構災害医療センター(旧: 国立病院東京災害医療センター)、日本赤十字社東京都支部災害救護倉庫・東京都西赤十字血液センターなど、これでもかというほどの施設が集中してます。
まず、訪れたのは災害医療センターです。
ここは、南関東を直下型地震が襲った時に、医療部門を受け持つことになっています。高里良男院長、小土井雄一救命救急センター長、中雅典事務局長から説明を受けました。
通常は455床の拠点病院ですが、倉庫には500床のベッドが備蓄されており、緊急時には4床室を6床にし、看護学校の実習室も病室になり、900床まで増床することができるそうです。備蓄倉庫にはベッドの他、3日分の食糧や緊急用の薬剤があり、緊急発電機用の重油は5日分の備蓄されているそうです。
「平時にできないことは、緊急時にもできない」と高里院長は言われます。
まず、医療情報の収集拠点になるよう努めておられるそうです。データ管理に力を入れ、X線画像などは電算管理されているそうです。小土井センター長の調査では、東日本大震災では、携帯や有線の電話が次々と使えなくなりると、災害時医療の拠点病院でありながら、次々と連絡が取れなくなり、それが1日以上続いた病院も少なくなったそうです。「まず情報」と小土井センター長は強調されていました。
「いかなることがあっても、診療依頼は断わらない」も、病院のモットーだそうですが、これも、「平時にできないことは、緊急時にもできない」という基本方針から出ているそうです。立体駐車場の1階が備蓄倉庫で、屋上にはぺリポートがありました。
ヘリで緊急搬送された患者さんはエレベータで1階へ降り、その前にある救命救急センターへ運ばれます。
放射線科は24時間体制です。救急救命センターには手術室が2つ、34床のICUがあり、これとは別に中央手術室には8室の手術室があり、治療にあたる清潔区域と医療廃棄物などが動く不潔区域を分けることで、感染症の完全なシャットアウトを目指しているそうです。
また、医療連携室を設置して、日頃から、病診病病連携を強化されていることのこ「災害時は病院の中だけなく、地域の医療機関が、地域でチームワークを発揮することが大事なんだ」とも繰り返されていました。
「助けられる命は絶対に失わない」。医師をはじめとする科学者は、まともであれば「絶対」という言葉は決して使いません。絶対を肯定したら、それはもう科学ではないからです。しかし、ここではお聞きした「絶対」という言葉には、医師として強い信念と覚悟が込められているように思えました。
災害医療センターの次に訪れたのは、東京都西赤十字血液センターです。
輸血のための拠点ですが、日本赤十字社の災害備蓄倉庫でもあります。3階には救援物資が山積みでしたが、野口博事務長部長は「東日本大震災で、ほとんどの物資を出しまたから、あまりなくても済みません」と言われました。確かに部屋の5分の1ほどしかありません。
中には、炊き出し用の鍋釜のセットもあります。
ここでも、強調されたのは情報の大切さです。2階には無線室がありました。
災害が起こったとき、どこで、何人の人が、何を求めているかという情報があずあって、これらの情報を集積、分析することが、災害対応の第一歩なのだそうです。
具体的には、内閣府立川災害対策本部予備施設、国土交通省関東地方整備局営繕部甲武営繕事務所、陸上自衛隊東部方面隊直轄 東部方面航空隊 本部・第1師団 第1飛行隊、海上保安庁海上保安試験研究センター、農林水産省関東農政局東京農政事務所食糧部防災倉庫課 立川政府倉庫(南関東地域広域災害用備蓄倉庫)、東京都立川地域防災センター、警視庁警視庁第八方面本部・通信司令本部多摩指令センター・第四機動隊立川飛行センター・多摩備蓄倉庫、東京消防庁航空隊・多摩災害救急情報センター・第八消防方面本部・第八方面消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)・立川都民防災教育センター(立川防災館)、独立行政法人国立病院機構災害医療センター(旧: 国立病院東京災害医療センター)、日本赤十字社東京都支部災害救護倉庫・東京都西赤十字血液センターなど、これでもかというほどの施設が集中してます。
まず、訪れたのは災害医療センターです。
ここは、南関東を直下型地震が襲った時に、医療部門を受け持つことになっています。高里良男院長、小土井雄一救命救急センター長、中雅典事務局長から説明を受けました。
通常は455床の拠点病院ですが、倉庫には500床のベッドが備蓄されており、緊急時には4床室を6床にし、看護学校の実習室も病室になり、900床まで増床することができるそうです。備蓄倉庫にはベッドの他、3日分の食糧や緊急用の薬剤があり、緊急発電機用の重油は5日分の備蓄されているそうです。
「平時にできないことは、緊急時にもできない」と高里院長は言われます。
まず、医療情報の収集拠点になるよう努めておられるそうです。データ管理に力を入れ、X線画像などは電算管理されているそうです。小土井センター長の調査では、東日本大震災では、携帯や有線の電話が次々と使えなくなりると、災害時医療の拠点病院でありながら、次々と連絡が取れなくなり、それが1日以上続いた病院も少なくなったそうです。「まず情報」と小土井センター長は強調されていました。
「いかなることがあっても、診療依頼は断わらない」も、病院のモットーだそうですが、これも、「平時にできないことは、緊急時にもできない」という基本方針から出ているそうです。立体駐車場の1階が備蓄倉庫で、屋上にはぺリポートがありました。
ヘリで緊急搬送された患者さんはエレベータで1階へ降り、その前にある救命救急センターへ運ばれます。
放射線科は24時間体制です。救急救命センターには手術室が2つ、34床のICUがあり、これとは別に中央手術室には8室の手術室があり、治療にあたる清潔区域と医療廃棄物などが動く不潔区域を分けることで、感染症の完全なシャットアウトを目指しているそうです。
また、医療連携室を設置して、日頃から、病診病病連携を強化されていることのこ「災害時は病院の中だけなく、地域の医療機関が、地域でチームワークを発揮することが大事なんだ」とも繰り返されていました。
「助けられる命は絶対に失わない」。医師をはじめとする科学者は、まともであれば「絶対」という言葉は決して使いません。絶対を肯定したら、それはもう科学ではないからです。しかし、ここではお聞きした「絶対」という言葉には、医師として強い信念と覚悟が込められているように思えました。
災害医療センターの次に訪れたのは、東京都西赤十字血液センターです。
輸血のための拠点ですが、日本赤十字社の災害備蓄倉庫でもあります。3階には救援物資が山積みでしたが、野口博事務長部長は「東日本大震災で、ほとんどの物資を出しまたから、あまりなくても済みません」と言われました。確かに部屋の5分の1ほどしかありません。
中には、炊き出し用の鍋釜のセットもあります。
ここでも、強調されたのは情報の大切さです。2階には無線室がありました。
災害が起こったとき、どこで、何人の人が、何を求めているかという情報があずあって、これらの情報を集積、分析することが、災害対応の第一歩なのだそうです。
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