思うように更新が出来ないので、まとめて・・・
12月6日
この日から伊予柑採りを始める予定だったのに、あいにくの天気なので、母から 『 今日は中止 』 の連絡を受けたけど、しばらくするとチラついていた もおさまったので、 『 天気が崩れるまで、出来るだけでも2人で始めよう 』 と誘って畑へ。
天気予報に反して、天気が回復し始めると、次から次へと畑の前に車が止まり、待機していた親戚の人たちが続々とお手伝いに来てくれて、予想していた収穫量の半分を初日に収穫出来るという嬉しい誤算が。
12月7日
翌日も引き続いて手伝ってくれたおかげで、予定していた数量を収穫出来たのだけど、今年はかなりの豊作のようで、思った以上の伊予柑がまだまだ木に残っていて状態。
12月8日
サラリーマンたちは仕事に行き、残ったもので後始末をするため、気合入れまくりの叔父たちが早朝から収穫に行ったようで、8時に畑へ行くと、すでに収穫が始まっており、予定より早い昼過ぎに収穫が終わり、遅めの昼食を食べて、病院から指示されたかかりつけの病院から父が服用している薬をもらって、4時30分から予定されていた手術の説明を聞きに病院へ。
4時に手術室の担当の方から説明があり、続いて主治医の先生、麻酔科の先生の丁寧な説明があり、終わったのは7時前。
12月9日
心配していた伊予柑採りも、たくさんの人の協力のおかげで無事終わったので、母を診察・検査に連れて行き、そのまま父の待つ病院へ行き、担当の看護師さんと明日の手術の打ち合わせを。
12月10日
父の腹部大動脈腸骨動脈人工血管置換手術の日で、家から病院まで約40分かかるのだけど、この日は道中の国道と産業道路に挟まれた場所に、県下一のホームセンターがオープンし、通勤ラッシュの時間帯でもあるので、思ったより時間がかかって8時30分になんとか到着。
父母の兄弟がこの日も次々と来てくれたおかげで、父は大勢の人に見送られて手術室へ。
その後も親戚の人が駆けつけてくれたので、待機室では10数名が時には賑やかに、時には和やかに時間が流れ、年をとっても相変わらず仲の良い父母の兄弟には助けられる事ばかり。
でも、予定時間を過ぎても終わった気配がなく、ちょっぴり不安に・・・。
実は友達のお姑さんの動脈瘤が破裂し、かなり危険な状態だったのに、ここで助けてもらったので、友達から 『 あの先生たちに手術してもらうのなら大丈夫よ 』 と励まされていたし、それに妹は結婚するまで大学病院に勤務していて、この手術に立ち会ってくれた麻酔科の先生と、主治医の先生とは元同僚だったので、凄く心丈夫に思っていたのに、時間がいたずらに過ぎていくと、説明の時の言葉が一抹の不安に変わり、離れたICUの前まで行って引き帰してきたら、ICUへ行くように案内が。
主治医の先生の説明でも 『 大動脈の側が当初の予定より長い人工血管になったため、予定外の血管の縫合に時間を取られたため 』 だそうで、ICUで面会した父は思った以上にしっかりしていて、 『 2時間後にもう一度面会して、後は緊急の連絡が入らないかぎり、自宅で待機して下さい 』 の説明に従って、7時頃にもう一度面会に行くと、先程よりはるかにしっかりした父が帰り際にはいつものように 『 明日はいつ来てくれる 』 って。
午後からとっても長~く感じた日も無事終わりました。
12月11日
JAへ伊予柑の出荷の書類を提出に行ってから、父が首を長くして待っているので、急いで病院へ。
ICUへ面会に行くと、ベットに座っていた父は驚くほど元気で、部屋を出ようとしたら寂しそうにするので、お昼頃にまた面会に行くと、ICUの個室に移り、回診の主治医の先生からも、想像以上の回復と嬉しい言葉を。
ICUにいる父の状況を心配してくれている叔父たちに報告すると、一安心した様子でした。
今日は予定通り個室への移動なので、いったん引き上げるように言われた荷物を持って、部屋の移動の行ってきます。
父も順調に回復しているので、今日から父の要望で付き添いをします。
いろいろご心配していただき、ありがとうございます
12月6日
この日から伊予柑採りを始める予定だったのに、あいにくの天気なので、母から 『 今日は中止 』 の連絡を受けたけど、しばらくするとチラついていた もおさまったので、 『 天気が崩れるまで、出来るだけでも2人で始めよう 』 と誘って畑へ。
天気予報に反して、天気が回復し始めると、次から次へと畑の前に車が止まり、待機していた親戚の人たちが続々とお手伝いに来てくれて、予想していた収穫量の半分を初日に収穫出来るという嬉しい誤算が。
12月7日
翌日も引き続いて手伝ってくれたおかげで、予定していた数量を収穫出来たのだけど、今年はかなりの豊作のようで、思った以上の伊予柑がまだまだ木に残っていて状態。
12月8日
サラリーマンたちは仕事に行き、残ったもので後始末をするため、気合入れまくりの叔父たちが早朝から収穫に行ったようで、8時に畑へ行くと、すでに収穫が始まっており、予定より早い昼過ぎに収穫が終わり、遅めの昼食を食べて、病院から指示されたかかりつけの病院から父が服用している薬をもらって、4時30分から予定されていた手術の説明を聞きに病院へ。
4時に手術室の担当の方から説明があり、続いて主治医の先生、麻酔科の先生の丁寧な説明があり、終わったのは7時前。
12月9日
心配していた伊予柑採りも、たくさんの人の協力のおかげで無事終わったので、母を診察・検査に連れて行き、そのまま父の待つ病院へ行き、担当の看護師さんと明日の手術の打ち合わせを。
12月10日
父の腹部大動脈腸骨動脈人工血管置換手術の日で、家から病院まで約40分かかるのだけど、この日は道中の国道と産業道路に挟まれた場所に、県下一のホームセンターがオープンし、通勤ラッシュの時間帯でもあるので、思ったより時間がかかって8時30分になんとか到着。
父母の兄弟がこの日も次々と来てくれたおかげで、父は大勢の人に見送られて手術室へ。
その後も親戚の人が駆けつけてくれたので、待機室では10数名が時には賑やかに、時には和やかに時間が流れ、年をとっても相変わらず仲の良い父母の兄弟には助けられる事ばかり。
でも、予定時間を過ぎても終わった気配がなく、ちょっぴり不安に・・・。
実は友達のお姑さんの動脈瘤が破裂し、かなり危険な状態だったのに、ここで助けてもらったので、友達から 『 あの先生たちに手術してもらうのなら大丈夫よ 』 と励まされていたし、それに妹は結婚するまで大学病院に勤務していて、この手術に立ち会ってくれた麻酔科の先生と、主治医の先生とは元同僚だったので、凄く心丈夫に思っていたのに、時間がいたずらに過ぎていくと、説明の時の言葉が一抹の不安に変わり、離れたICUの前まで行って引き帰してきたら、ICUへ行くように案内が。
主治医の先生の説明でも 『 大動脈の側が当初の予定より長い人工血管になったため、予定外の血管の縫合に時間を取られたため 』 だそうで、ICUで面会した父は思った以上にしっかりしていて、 『 2時間後にもう一度面会して、後は緊急の連絡が入らないかぎり、自宅で待機して下さい 』 の説明に従って、7時頃にもう一度面会に行くと、先程よりはるかにしっかりした父が帰り際にはいつものように 『 明日はいつ来てくれる 』 って。
午後からとっても長~く感じた日も無事終わりました。
12月11日
JAへ伊予柑の出荷の書類を提出に行ってから、父が首を長くして待っているので、急いで病院へ。
ICUへ面会に行くと、ベットに座っていた父は驚くほど元気で、部屋を出ようとしたら寂しそうにするので、お昼頃にまた面会に行くと、ICUの個室に移り、回診の主治医の先生からも、想像以上の回復と嬉しい言葉を。
ICUにいる父の状況を心配してくれている叔父たちに報告すると、一安心した様子でした。
今日は予定通り個室への移動なので、いったん引き上げるように言われた荷物を持って、部屋の移動の行ってきます。
父も順調に回復しているので、今日から父の要望で付き添いをします。
いろいろご心配していただき、ありがとうございます