気ままにそよ風のたより

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東洋のマチュピチュ

2012年11月10日 | ちょっと足を延ばして


先週、 『 東洋のマチュピチュ 』 と呼ばれている東平 ( とうなる ) に行って来ました、というより友達が連れて行ってくれました。



友達が 『 以前来た時の方がレンガがもっと赤かった 』 と言ってたら、スタッフの人が 『 3週間ほど前までは赤かったですよ 』 と・・・。



貯鉱庫、索道基地、変電所、第三通洞、保安本部などの鉱山関連施設の一部が風化の痕跡を残しつつ現存し、中でも重厚な花崗岩造りの索道基地跡の石積みは、東平の産業遺産観光の目玉となっているそうです。



貯鉱庫跡 この巨大な石積は貯鉱庫のあったところです。
坑内から運び出された鉱石は索道基地から下部鉄道黒石駅 ( 昭和10年からは端出場 ) に運搬されるまでの間、ここに貯まられていました。



この付近は紅葉にまじって、つつじもたくさん咲いていたし、林付近では紫陽花の花も。



索道基地跡 ( 花木園 )  明治38年、東平の索道基地がここに完成しました。
鉱石・生活用品・資機材等を東平・下部鉄道黒石駅 ( 昭和10年からは端出場 ) 迄運んでいました。
現在は東平ゆかりのシャクナゲやドウダンツツジなどを植栽した花木園になっています。



最盛期には社員・家族を含めて約3800人が共同生活をしていた社宅跡には、現在もかまどが残っていて、往時をしのばせています。



鉱山町には病院や小学校、郵便局、生協、プール、娯楽場、接待館などの施設も整備され、一時期の別子銅山の中心地として賑わっていましたが、当時の施設の多くは取り壊され、植林によって自然に還っています。



病院の門は今も残っている標高約750mの山中、この日の気温は5℃で少し肌寒かったけど、林の中を散策&森林浴を。



インクライン跡 生活用品や資材を引き揚げたり降ろしたりするため、インクライン ( 傾斜面にレールを敷いてトロッコを走らせるケーブルカーの一種 ) を建設しました。
このインクラインが220段の長大な階段に生まれ変わりました。

さすが歴史に想いを馳せる産業遺産観光スポットと言われるだけありました。


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