気ままにそよ風のたより

日々の出来事を思いつくままに・・・

ととろ

2006年07月25日 | ととろ U^ェ^U
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ととろは、わがままで、甘えん坊で、寂しがりやの犬だった。
何よりも散歩が大好きで、台風の時でも、『今日も散歩行くの 』と聞くと、『当然 』と言わんばかりに散歩に行った。

毎朝出勤する私を、お座りして見送ってくれた。
ある朝、忘れ物をして、すぐに引き返すと、リラックスポーズのととろが慌てて、『何で今頃帰って来るんだよぉ~』という顔をして、急いでお座りし直した。

散歩の時には、私が家から出てくる前から、ず~っとお座りして待ってた。
義父が前を通りかかった時、ととろの様子で、『廊下を歩いているのが誰か解る』と言っていた。
散歩に連れて行ってくれるのが私だから、私が通る時にはお座りしているけど、主人だったら、そのまま寝そべっていたらしい。

ご飯をもらう時も、私が勝手口から出たら、お座りして待っていた。
その様子を見て、主人が『別に気を使わなくてももらえるぞ』と言っても、やはりお座りしていた。
わがままだけど、それなりに気を使ってて、可愛い犬だった。

毎年、旅行に出かけたりして、留守をする事があったのだけど、鹿児島へ結婚式に出かける時、出かける前に、義父が散歩に連れて行くと、前足を引きずって歩いていた。
3日間足を引きずりながら散歩してたのに、家に着く前に散歩中のととろに会い、声をかけると喜んで走って飛んできた。
義父が『足は 』と言うと、『シマッタ 』と言わんばかりの顔をしていた。
寂しいから傍にいてと、ととろの仮病だった。

主人の転勤が決まり、最初は単身赴任していたが、ととろをどうするかという事になり、義父が預かってくれるというのでお願いした。
年に5回、1週間~10日帰っていたが、2年くらい経った時、帰る私にすがって、『ワン』と吠えた。
それは、もうボクをおいて行かないで と言ったのだろう・・・。
その日から毎日、寂しそうな声で夜鳴きをした。
それは、2年近くも続いた。

いつも埼玉へ帰る時、『次帰る時にも元気な顔見せてね 』と、ととろに言い続けた。
今年のお正月、埼玉へ帰るのも最後の時、『後2ヶ月したら帰ってくるから、それからは前みたいに、一緒に暮らせるから、頑張って待っててね 』と言って別れた。

4年間の生活は、ととろにとっては寂しく辛いものだったらしく、元気だったのが、加齢以上に体は弱っていて、既に病魔に冒され、目も耳も悪くなっていたが、約束を守って、ととろは私たちを待ってていてくれた。

『ただいま よく頑張ったね これからはまた一緒だよ 』と言うと、嬉しそうな顔をしたが、まだ信じられない様子で、半月ぐらい経った頃、傍にいてくれるのが解ったらしく、その頃から以前より元気になってきたが、先月の中頃から足が悪くなり、歩くのにも支障をきたすようになった。

弱ったととろの右足のせいで、右へ右へ旋回するから、鎖が巻きつき動けなくなるので、散歩綱を繋いで長くしたら、そのトラブルが起こらなくなった。
が、それが仇になり、真夏のように暑かった14日に、もう歩けなくなっていたととろは、痛みのためか、日の当たる所へ転げていた。
胸騒ぎがして、ととろの所へ行くと、熱中症にかかり、ぐったりしたととろがいた。
必死で、水を飲ませたり、体に水をかけたりしていくうちに、だんだん熱が下がってきたので、アイスキャンディーを口元に持っていくと、嬉しそうに食べて、1時間もすると吠える元気が出たので、もう大丈夫かと思ったけど、体力が落ちていたととろは、夜になると意識不明になり、翌朝、そのまま息を引き取った。
今にも起きてきそうな可愛い寝顔だった。

帰って来た時から、覚悟していたけど、やはり辛く悲しい別れだった。
4年間、寂しい思いをさせた事を悔やみ、ととろの事を思うと、涙が止まらなかった。



妹が、『ととろは幸せだったと思うよ』と、虹の橋の話を教えてくれた。
今頃、ととろも虹の橋に行って、前みたいに思いっきり走り回っているのだろうか・・・。
前みたいに、友達沢山作って、遊んでいるのだろうか・・・。

もう10日も経ったのに、今でも時々、ととろのいた場所を見てしまうよ。
食事の時に、ととろが喜ぶだろうなと、ととろの好物を残してしまうよ。

誰もいない所で、リードを外すと、一度私の顔を見てから、思いっきり走って、ブーメランのように、必ず私の元へ帰って来たよね。
いつも必ず帰って来たけど、もう・・・。
それより、ととろはそそっかしいから、虹の橋で走り回りすぎて、落ちてこないでよ。

ととろ、沢山の楽しい思い出をありがとう
あ・り・が・と・う

ととろに…って、きれいなバラとひまわりの花束もらったよ