日本では2005年に公開された。
制作国はドイツ、イタリア、オーストリアで、使われている言語はドイツ語。
アメリカ・ハリウッド映画ではない。
ユダヤ資本によるものではない、あるいは大きな関与を受けていない、ヒトラーを主題にした映画という事で、貴重な作品だ。
ホロコーストが人類史上に残る巨悪であることを否定するつもりは無いし、ヒトラーやナチスに対する同情心などももちろん無い。
しかし、ユダヤ資本によるナチズム否定プロパガンダは度を越しているものも多い。
すべてのドイツ人が悪ですべてのユダヤ人が善であり被害者である、と描くならばそれは違う。
やりすぎだ。
だからこそ、ナチスを肯定するような思想が叩いても叩いても沸いてくるのではないか、と思わなくもないが、まあ、今そんなことは関係無いか。
ヒトラーはウソと恐怖と妄想でドイツを支配した。
天才的なペテン師だった。
戦略眼を持った政治家でも無いし、戦術眼を持った軍人でもなかった。
ユダヤ人を虐殺したり、ソ連を騙し討ちにしたり、アメリカに宣戦布告したりと、余計な事ばかりした。
愚かな独裁者に導かれ、ドイツは破滅へと向かっていく。
以下、大した事は書いていないが、いちおうネタバレかも? ということで…
本作は破滅目前のドイツを淡々と描いているだけだ。
破滅に至った経緯に関して、何の説明もない。
また、おそらくは予備知識も求めていない。
なぜか?
それは、観ればわかるから。
ヒトラーとヒトラーを取り巻く側近達、その他の人々のセリフや行動に凝縮されているから。
愚か者を祭り上げ、愚か者が暴走し、それを止めるすべを持たない愚か者達。
最期の最期、滅亡直前まで続く愚か者達の思考ロジックと行動。
今までずっとそうだったのね、と容易に想像がつく。
本作では、総統秘書(ヒトラーの秘書)のトラウドゥル・ユンゲをアレクサンドラ・マリア・ララが演じているが、最後に、トラウドゥル・ユンゲ本人が登場し、語っている。
ニュルンベルク裁判で恐ろしい話は聞きました。
600万人のユダヤ人や人種の違う人々が無残に殺されたと…
これらの事実は大変ショックでした。
でも私はそれを自分と結びつけられず、安心していたのです。
「自分に非はない」
「私は何も知らなかった」
そう考えていました。
でもある日、犠牲者の銘板を見たのです。
ソフィー・シェル
彼女の人生が記されていました。
私と同じ年に生まれ、私が総統秘書になった年に、処刑されたと。
その時私は、気づきました。
若かったというのは言い訳にならない。
目を見開いていれば、気づけたのだと。
かくしてドイツは、第一次世界大戦に続く二度目の敗北を喫し、茨の道を歩んでいくことになるのだが、その苦難は今日でも続いている。
同じ過ちを繰り返さないための「分析」と「反省」。
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※補足
本文中で「愚か者」という乱暴な、侮蔑的な言葉を用いていますが、誇張表現という事でご容赦下さい。
もし自分が同時代のドイツに生きていたら、容易に「愚か者」の一人となっていたかも知れません。
現代のドイツには心より敬意を持っています。
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