きのう、フラフラしてから
変えると、ヨメにポンっと長男の成績を
渡された。
算数は、完璧であった。
今朝、わり算の問題を長男に出された。
106÷50=50.12と答えてしまった。
人間の認識は、耳だけだったり、
目だけでは難しい、と、いま思った。
きのう、フラフラしてから
変えると、ヨメにポンっと長男の成績を
渡された。
算数は、完璧であった。
今朝、わり算の問題を長男に出された。
106÷50=50.12と答えてしまった。
人間の認識は、耳だけだったり、
目だけでは難しい、と、いま思った。
読みかけの本をおいといて、
以前のブログで紹介した小松先生の本を読み始める。
久しぶりに勉強になる本。
医師の視点から、社会科学的な分野も含めて書かれた本は
、この本以外に、そんなに多くない気がする。(調べてはみますが)
途中までですが、特に『リスクマネジメント』に関する部分で、
現在の関心からすると『ヒューマンファクター工学』が紹介されていて、
その理念からすると、『患者中心の医療』では、ダメで、『人間中心の医療』
でなければならないとあって、深く納得した。医療を構成しているのは、
患者と、医療従事者であって、『相互作用』しあうものであり、
その両者の関係性は、『環境』にも作用されるとあった。
あと、この本を読んで思ったのが、医療の外部にいる警察、マスコミ
、法律家(法律)も、医療や、医療従事者と『相互作用』しあうことになるが、
相互作用の影響分析は、ほとんど出来てないのではないか?と
思う。
あと、自分の問題意識が整理されたのは、医療は、確率論的な思考様式があって、
同じ症状の患者さんで、同じ診療行為であっても、結果が『同じ』にならない場合もあるということ。
そのほかにも、刑法をはじめとする法律は、過去の条文に縛られすぎるところがあって、
医療のように、『医療水準』という言葉があるように、医療水準が時代とともに変化し、
常に発展途上だとすれば、刑法の『過去に縛られること』と、医療水準の『変化』は、
相反するのではないか?というのは、かなり刺激的に感じた。
そのほかにも、病院内部の立場の異なる『相互作用』の影響についても
考えないといけない。
右肩上がりの経済の問題は、
かなり根深い問題かもしれない、と
内田樹さんのチャリティーシンポジウムを
みてて思った。
自分の実感としても、自分が子どものときに感じた
右肩上がりの幸福感を、今の時点で(自分が成長したり、
今時点の環境において)実現しようと思っていた(過去形なのは
最近は、少し違うということ)。また、その問題は、個人の欲望が
無限に大きくなることと、フィットしており、自然に、ちっぽけな個人も、
その問題を肯定してしまう。
右肩上がりを続けようと思えば、海外へ進出しなければならないし、
右肩下がりを受け入れる場合は、いざこざ(対立)も絶えないだろうし、
受け入れることは、難しいと思う。
聞いた話であれですが、
国民医療費の削減とか、社会保障費の削減とか
いわれているような気がするが、
ざっくり「薬品」が問題ではないか?とのこと。
まあ、ジェネリックがどうとか、こうとかもいわれている。
制度に頼らず、体に気を配って、(予防医学とか)
生きていくことが重要なのか?
体に気を配るような時間や、気持ちのゆとりをもてない
社会のような気もする。
久しぶりのDVD鑑賞。
人間のふれあいがテーマかな?
なにげない日常にも、老いや、恋愛や、
生活の苦しみが存在し、
自分だけが苦しんでいるようだけれども、
まわりの人間も苦しい場合が多く、
その苦しみは、対面しないと感じることができない
ということを思った。
映像の色あいが印象的。