週五日記

ボチボチがんばります

純粋な自然の贈与

2011-01-17 08:46:35 | Weblog
たぶん『沈む日本を愛せますか』の参考文献で

みつけて、読んでみようと思って買ったと思う。中沢新一さんの本。


日本捕鯨の歴史の考察。

読んでて感じたのは、どこまでが『自然』で、

どこからが『商品』なのか?ということ。


つまり、鯨は、自然の中に雄大に存在しており、

つかまえて、しとめた後、解体作業等の手続を経て、

『商品』になり、さらに『商品』は、半永久的に貯蔵可能な

『貨幣』になると。


『自然の中に雄大に存在』しているものを、捕獲する時は、

『魂の交換』みたいなことがあり、別に『商品』になるであろう『物』

として、鯨をみているだけでなく、自然(神)が与えてくれる『贈与物』

としてヒトが認識している部分のほうが大きく、その認識を含めて

語らないと、語りつくせないだろう。


上記の本を読んで、以前に読んだ論文で、

『資本』を体現する感覚というのも、感情的な部分を含めないと

語りつくせないのかもと思う。というか、『感情的な部分』が全てかもしれない。


例えば、『机』と『パソコン』が準備されている『公的な創業支援室』が

あったとしても、『創業者』のホットな意思が無い限り、何もはじまらない。

『机』と『パソコン』をみて、『資本主義』にいつの間にか溶け込み、

もがくうちに、資本主義を体現していきつつある自分がいて、

その体現しながら感じることが唯一の経験主義的な『感覚』で、

『唯一無二』の感覚であるかもしれない。


『鯨をとること』と、『机』と『パソコン』で夢見る創業者にも

共通する『心の持ち様』はあるかもしれないな。


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