たぶん『沈む日本を愛せますか』の参考文献で
みつけて、読んでみようと思って買ったと思う。中沢新一さんの本。
日本捕鯨の歴史の考察。
読んでて感じたのは、どこまでが『自然』で、
どこからが『商品』なのか?ということ。
つまり、鯨は、自然の中に雄大に存在しており、
つかまえて、しとめた後、解体作業等の手続を経て、
『商品』になり、さらに『商品』は、半永久的に貯蔵可能な
『貨幣』になると。
『自然の中に雄大に存在』しているものを、捕獲する時は、
『魂の交換』みたいなことがあり、別に『商品』になるであろう『物』
として、鯨をみているだけでなく、自然(神)が与えてくれる『贈与物』
としてヒトが認識している部分のほうが大きく、その認識を含めて
語らないと、語りつくせないだろう。
上記の本を読んで、以前に読んだ論文で、
『資本』を体現する感覚というのも、感情的な部分を含めないと
語りつくせないのかもと思う。というか、『感情的な部分』が全てかもしれない。
例えば、『机』と『パソコン』が準備されている『公的な創業支援室』が
あったとしても、『創業者』のホットな意思が無い限り、何もはじまらない。
『机』と『パソコン』をみて、『資本主義』にいつの間にか溶け込み、
もがくうちに、資本主義を体現していきつつある自分がいて、
その体現しながら感じることが唯一の経験主義的な『感覚』で、
『唯一無二』の感覚であるかもしれない。
『鯨をとること』と、『机』と『パソコン』で夢見る創業者にも
共通する『心の持ち様』はあるかもしれないな。
みつけて、読んでみようと思って買ったと思う。中沢新一さんの本。
日本捕鯨の歴史の考察。
読んでて感じたのは、どこまでが『自然』で、
どこからが『商品』なのか?ということ。
つまり、鯨は、自然の中に雄大に存在しており、
つかまえて、しとめた後、解体作業等の手続を経て、
『商品』になり、さらに『商品』は、半永久的に貯蔵可能な
『貨幣』になると。
『自然の中に雄大に存在』しているものを、捕獲する時は、
『魂の交換』みたいなことがあり、別に『商品』になるであろう『物』
として、鯨をみているだけでなく、自然(神)が与えてくれる『贈与物』
としてヒトが認識している部分のほうが大きく、その認識を含めて
語らないと、語りつくせないだろう。
上記の本を読んで、以前に読んだ論文で、
『資本』を体現する感覚というのも、感情的な部分を含めないと
語りつくせないのかもと思う。というか、『感情的な部分』が全てかもしれない。
例えば、『机』と『パソコン』が準備されている『公的な創業支援室』が
あったとしても、『創業者』のホットな意思が無い限り、何もはじまらない。
『机』と『パソコン』をみて、『資本主義』にいつの間にか溶け込み、
もがくうちに、資本主義を体現していきつつある自分がいて、
その体現しながら感じることが唯一の経験主義的な『感覚』で、
『唯一無二』の感覚であるかもしれない。
『鯨をとること』と、『机』と『パソコン』で夢見る創業者にも
共通する『心の持ち様』はあるかもしれないな。
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