吉本隆明さんのこの本は、
『買い』だと思う。
昨日の続きの『第二次産業革命』についての
語りと対置して語られている、いわゆる『思想』の部分も
刺激的。
その『思想』を語る前段階で、御自身のことを語っているところで、
自分がすべてを語ってしまうと、世界から見離されて、孤独になってしまうのではないか?
と思っていたというところが、なんとも切実に、かつ、赤裸々な語りで、
インタビュワーの方(高橋順二さん)の吉本さんへの理解と愛情が深く、
すんごい話が展開しており、『関係の絶対性』という吉本さんの有名なキーワード
をめぐる対話が、全て理解は出来てないが、刺激を受ける。
『富める者』と『貧しい者』の、なんともならない『関係性』。財産の有無が、
身体を快適・不快にするというレベルでなく、『どうしようもないくらい』に『心』まで
も完膚なきまでに打ちのめされて、もう『一生』どうにもならない『関係性』
ということか?と個人的に考えた。自分も貧しかったので、なんか『かわいくない』
アラフォーになったのかもしれないな、とも思う。
『関係の絶対性』を考える上で、吉本さんは、文学、宗教、社会経済を『身近なところから』
考え抜いてきたのだろうか?
あと、太宰さんと坂口さん、いわゆる無頼派について、現在でも読まれていて、
現在そのような無頼派を引き継いだ作家がいないのは、人生そのもので『語り』、
その人生そのものが『宗教性』をおびているからではないか?というのが、
刺激的であった。
自分は1970年代のロスジェネで、この本が、そのロスジェネを対象としているからかも
しれないが、自分たちの世代を代表する作家さんは、『村上龍さん』と『村上春樹さん』
で、『高度経済成長』のなかで、『関係の絶対性』が希薄で、世代全体が右肩上がりで、
激しい貧困はなく、その『高度経済成長』にあわせた『文学』がうまれて、それを『享受』
してきたのかな?と思う。
でも『焦げ臭い匂い』は、『宝島』から、『ほんのり』匂ってたな、
でも『宝島』は、ちょっとマニアックか?
『買い』だと思う。
昨日の続きの『第二次産業革命』についての
語りと対置して語られている、いわゆる『思想』の部分も
刺激的。
その『思想』を語る前段階で、御自身のことを語っているところで、
自分がすべてを語ってしまうと、世界から見離されて、孤独になってしまうのではないか?
と思っていたというところが、なんとも切実に、かつ、赤裸々な語りで、
インタビュワーの方(高橋順二さん)の吉本さんへの理解と愛情が深く、
すんごい話が展開しており、『関係の絶対性』という吉本さんの有名なキーワード
をめぐる対話が、全て理解は出来てないが、刺激を受ける。
『富める者』と『貧しい者』の、なんともならない『関係性』。財産の有無が、
身体を快適・不快にするというレベルでなく、『どうしようもないくらい』に『心』まで
も完膚なきまでに打ちのめされて、もう『一生』どうにもならない『関係性』
ということか?と個人的に考えた。自分も貧しかったので、なんか『かわいくない』
アラフォーになったのかもしれないな、とも思う。
『関係の絶対性』を考える上で、吉本さんは、文学、宗教、社会経済を『身近なところから』
考え抜いてきたのだろうか?
あと、太宰さんと坂口さん、いわゆる無頼派について、現在でも読まれていて、
現在そのような無頼派を引き継いだ作家がいないのは、人生そのもので『語り』、
その人生そのものが『宗教性』をおびているからではないか?というのが、
刺激的であった。
自分は1970年代のロスジェネで、この本が、そのロスジェネを対象としているからかも
しれないが、自分たちの世代を代表する作家さんは、『村上龍さん』と『村上春樹さん』
で、『高度経済成長』のなかで、『関係の絶対性』が希薄で、世代全体が右肩上がりで、
激しい貧困はなく、その『高度経済成長』にあわせた『文学』がうまれて、それを『享受』
してきたのかな?と思う。
でも『焦げ臭い匂い』は、『宝島』から、『ほんのり』匂ってたな、
でも『宝島』は、ちょっとマニアックか?
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