菊池事件

2020年11月13日 23時01分05秒 | 事件・事故

【事件概要】

 1951年8月1日夜、熊本県水源村(現・菊池市)の藤本某さん(当時50歳)方にダイナマイトが投げこまれ、藤本さんと次男(当時4つ)が軽傷を負った。この事件で近くに住む藤本松夫(当時29歳)が逮捕され、否認を続けていたが、一審で懲役10年が言い渡された。
 その直後、松夫は留置場を脱走、そしてその逃走期間に、藤本さんの他殺体が発見された。発見され逮捕された松夫には死刑が言い渡された。
 

【真夜中のダイナマイト】

 1951年8月1日の夜は暑苦しい夜であり、熊本県水源村(現・菊池市)の藤本某さん(当時50歳)方では戸を開けて眠っていた。
 午前2時20分、そこへ何者かが2m半ほどの竹ざおの先にダイナマイトをむすびつけ、それを着火させて、縁側から蚊帳をめくって、藤本さんの枕元へ投げ入れ逃げ去った。このダイナマイトの爆発により、藤本さんは全治7日、次男(当時4つ)が全治10日の軽傷を負った。

 捜査当局はこの事件で近くに住む藤本松夫(当時29歳)を参考人として呼び、逮捕した。
 この逮捕は被害者・藤本さんの次のような一言によるものである。
「実は松夫はライ病ですが、それを私が県衛生部へ密告したといって、かねてから私は松夫から恨まれていました」

 ”ライ病”はこの事件を語る上で大きなキーワードとなる。

 この病気はそれまでは不治の病であったが、1943年に「プロミン」という薬がこの薬によく効く報告されて以来、様々な薬が治療に用いられるようになり、現在では完全に治る病気であると知られている。1943年というと、この事件が起こった頃より10年近く前だが、当時はまだまだ「恐ろしい」というイメージが強かった。ライ病の歴史自体、差別と偏見の歴史だったのである。
 なぜ恐れられたのか。それは手足や顔面に変形が見られること、治らないと思われていたこと、感染しやすいと思われたこと、発症は遺伝によるものと考えられたことなどが挙げられる。
 
 「癩予防ニ関スル件」という法律が発布されたのは1907年(明治40年)のこと。1953年には「らい予防法」に改正された。感染者は家族のもとから隔離され、また患者の出た家を消毒するなどした。施設に入れられた患者は以降、家に戻ることはできなかった。
 1996年にようやく「らい予防法」が廃止されると、”ライ病”という悲惨なイメージを解消するために、ハンセン病と呼ばれるようになった。


【出張法廷】

 松夫は逮捕されて以来、ずっと否認を続けていたが、起訴される。

 1952年6月9日、熊本地裁・東亮明裁判長は懲役10年が言い渡された。判決要旨は次のようなものだった。

 藤本松夫は小学校入学時、父と死別し、家計も貧しかったので、わずか1年終了後退学し、その後は熊本県菊池郡水源村の自宅において、弟妹の子守りと家事手伝い、13歳の頃には実母を助けて百姓仕事も1人前となり、農業に励んできた。
 ところが1950年2月26日、突然村役場を通じて県衛生部から、らい病のため翌年2月から国立療養所「菊池恵楓園」に収容する旨を伝えられた。
 松夫はもう1度病名を確かめようと、収容が迫った1月15日、家出をして北九州方面の皮膚科の診断をうけてまわり、らい病ではない胸の証明書など3通をもらいうけ、これで世間の疑惑をはらすことができると考え、2月10日頃に帰宅し、祝宴までして村の人達に報告した。
 再び農作業に励み始めた松夫だったが、24日頃に、再び衛生部より「5月までに入園せよ」という通知を受け、再び悲嘆した。自分の病気を密告したのはかつて村役場の衛生係をしていた藤本さんであることを聞きこんだ松夫は、彼を深く恨むようになった。


 この裁判は、ライ病のため療養所内の簡単な出張法廷によって行われた。

 判決から7日後、松夫は昼食が済んでから30分間園内の代用留置所から開放された。担当の看守と雑談しながらズボンを洗濯していた松夫は、洗い終わって物干しに行く時、看守が就職をとりに行くのを目にした。その場所は裏門と10mも離れていない。松夫は濡れたズボンをある程度乾し終えると、そのまま脱走した。

「罪のことよりも、病気の名が恐ろしい。私が死んでしまえば、世間の人達も、蒸すめんおことをライ病の父の娘といわなくなるだろう。とにかく娘に一目会ってから、心残りなく死のうと私は思ったのです」(後の松夫の証言)

 だが松夫が脱走したという報せは、彼が家にたどり着くよりも早くに届いており、実家や親類の家にも捜査網が敷かれていた。松夫は家に戻ることができず、山中を駆けずりまわった。そして10日、20日と過ぎていった。

 そんななかで事件は起こった。
 7月7日朝、水源村から熊本市隈府町へ通じる県道から、わずか60m離れた村道の林の中で、藤本さんの惨殺死体が発見されたのである。遺体は上半身に26ヶ所の切刺傷があり、直接の死因は頚動脈切断による失血死だった。奪われていたものは、かねて藤本さんが持ち歩いていた護身用のステッキのみで、怨恨殺人に絞られた。警察も、村の人達も、容疑者として思い浮かべるのは、脱走中の藤本松夫だった。

 7月13日に村内のある農具小屋に寝ているところ発見された松夫は、逃げ出したが、警官の撃った4発の威嚇射撃のうち1発が右腕に貫通し、転倒したところを取り押さえられた。村の人々が見守るなか、手錠をかけられた松夫に、母親と弟妹が駆け寄り、タオルで傷の応急手当をした。


【死刑】

 1953年8月25日、熊本地裁・滝口甚八裁判長は、求刑通り死刑を言い渡す。この公判も療養所内の特設法廷で、5回開かれただけだった。

 松夫の調書は担当官が割り箸を使ってめくり、証拠品は長い鉄のハサミでつまみ上げ、松夫が触った形跡のあるものは決して触れなかった。弁護士が事件の証拠品調べに検察庁を訪れた時も、防疫のゴム手袋をはめた係が、おそるおそるつまんで出して見せたという。それほどまでに感染への不安や、差別を受けることの怖さというのが、人々に染みついていた。

 この公判で松夫が犯人であることを示す証拠品として、次の5点があげられた。
・血液反応のある刺身包丁
・A型の血痕のあるタオル
・同じA型血痕のあるズボン
・7月11日、発見
・松夫の12、3日の供述調書。

 血痕のついたタオルとズボンは、松夫が藤本さん殺害の時に所持、または身につけていたものと検察側は主張した。だが、弁護側はこれらは松夫が警官に撃たれた時に着ていたもので、付着しているのは本人の血であると主張した。藤本さんも松夫も同じA型であることが混乱をまねいた。検査も血液型を判別しただけで打ち切られたのである。


 1954年12月29日、福岡高裁、控訴棄却。

 1957年8月23日、最高裁、上告棄却。死刑が確定した。

 やがて、この事件は松夫がハンセン氏病であったことから、予断と偏見によって充分な捜査・公判が行われず有罪にされたとして、救援活動が広がる。
 証拠上の問題点を指摘した再審請求は1次、2次ともに棄却された。
 
 3度目の再審請求棄却決定の翌日、1962年9月14日に松夫の死刑が執行された。

 執行の直前、松夫は次のような手記をしたためていた。

 私は、再審願いが受理されて、無罪が証明されることを信じて疑わない
 私のライは完治している
 失われた十年の悲しみは返らないが、
 私は青天自白の身となったら、故郷に帰って働くだろう
 幸薄かった母の老先を幸せでうずめ娘の父であることを誇らしげに名乗ろう
 そんな日の到来を疑わない
 真実は暗闇に閉ざされてはならないのだから

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藤本事件

2020年11月13日 22時50分09秒 | 事件・事故

藤本事件とは1951年(昭和26年)に熊本県菊池郡で発生した爆破事件および殺人事件である。
地名を取って菊池事件と呼称する場合もある。
被告人はハンセン病患者であり、差別に基づく冤罪であったとの主張がある。

第一の事件[編集]
熊本県菊池郡水源村(現在の菊池市の一部)の村役場衛生課職員(当時50歳)の自宅にダイナマイトが投げ込まれたのは1951年8月1日のことであった。ダイナマイト自体は完全には爆発しなかった。衛生課職員とその子供が軽傷を負った。
警察は、同村の住民・藤本松夫(当時29歳)を容疑者と断定した。藤本はハンセン病に罹患しているとしてハンセン病施設国立療養所菊池恵楓園への入所を勧告されていた。

この入所勧告を被害者職員の通報によるものと逆恨みしての犯行とされた。藤本はこのダイナマイト事件で逮捕された後、恵楓園内の熊本刑務所代用留置所(外監房)に勾留され、裁判は熊本地裁菊池恵楓園出張法廷で行われた。

裁判ではダイナマイトの入手先が解明されなかった。藤本に対して1952年6月9日に熊本地裁は、殺人未遂と火薬類取締法違反で懲役10年の有罪判決を宣告した。藤本は控訴・上告したが、1953年9月15日に最高裁で上告が棄却され、有罪が確定した。

第二の事件[編集]
藤本はダイナマイト事件一審判決直後の1952年6月16日に恵楓園内の菊池拘置所から脱獄した。ところが、3週間後の7月7日午前7時ごろ、村の山道でダイナマイト事件の被害者職員が全身20数箇所を刺され惨殺されているのが登校中の小学生に発見された。

その6日後、山狩りをしていた警官や村人らによって発見された藤本は、誰何されて崖の上の小屋から飛び降り、畑を通って逃げようとした際に拳銃で4発撃たれ、右前腕に貫通射創を受けて逮捕された。
藤本は逃走罪及び殺人罪で追起訴され、公判は熊本地裁菊池恵楓園出張法廷で行われた。

検察はこの犯行を「執拗に殺害を計画し、一回目は失敗し、二回目に達しており、復讐に燃えた計画的犯行」であるとした。

1953年8月29日に熊本地裁は藤本に死刑を宣告した。藤本は控訴・上告したが、1957年8月23日に最高裁が上告を棄却し死刑が確定した。
懲役刑および死刑の確定後も藤本は通常の刑務所や拘置所に移送されることなく、恵楓園内の菊池医療刑務支所に収容されたまま3度の再審請求を行った。

いずれも棄却された。1962年9月14日午前中、藤本は福岡拘置所へ移送となり、同日午後1時ごろ死刑が執行された。3度目の再審請求が棄却となった翌日のことであった。
支援団体[編集]
全国ハンセン氏病患者協議会は、岩波書店の雑誌課長らを中心に結成された「藤本松夫さんを死刑から救う会」とともに早くから藤本を支援していた。1960年には支持者は政党人、作家、文化人、宗教家ら1000名に達し、公正裁判を求める署名は50000筆を超えた。

「救う会」には日本共産党の野坂参三や、後に首相になった中曽根康弘なども名を連ねた。
捜査および裁判に対する疑問[編集]
全国ハンセン氏病患者協議会によれば、捜査および裁判では次のような疑問点が指摘されている。
捜査段階[編集]
(爆破事件について)爆破に使われた導火線や布片が被告人の家から発見されたとする。だが、当時は衣料切符による配給制度がとられていたため、同じ生地はどの家にもあった。
取調べは、銃弾が貫通した腕の痛みを無視して行われた。
タオル1本からA型の血液が検出された。藤本も被害者もA型である。
凶器とされた短刀が、現場付近からではなく歩いて10分も離れた農具小屋から発見された。
当時の技術では短刀から血痕が検出されなかった。それは農具小屋の傍らの池で被告人が洗ったためだとされた。
最初の調書では凶器は鎌とされていた。しかし、検死の結果、短刀に切り替えられた。
藤本の逃走中に、藤本に罪を着せれば逃げられると考えて窃盗事件を起こした者がいた。衛生課職員は村では恨まれていたので動機のある者は他にもいる。
裁判[編集]
第一の事件と同様、第二の事件も、最高裁判所の決定に基づき、審理は裁判所ではなく療養所内に設置された特設法廷で行われた。
そのうえ裁判官、検察官、弁護人らは感染を恐れ、白い予防服とゴム長靴を着用し、ゴム手袋をはめた手で証拠物を扱い、調書をめくるのには火箸を使っていたという。
なお国の委託を受けた日弁連法務研究財団は、2005年3月、調査報告書で「手続的保障が十分に尽くされ(ていた事件かという)視野に立った場合、藤本事件は、到底、憲法的な要求を満たした裁判であったとはいえないだろう」と指摘した。
ハンセン病隔離法廷 違憲[編集]
2020年2月26日熊本地裁は「特別法廷での審理は人格権を侵害し、患者であることを理由とした不合理な差別で、憲法に違反する」との判断を示した。
当時のハンセン病に関する科学的知見に照らしても合理性がなく、裁判所法69条2項(必要と認めるときは、前項の規定にかかわらず、他の場所で法廷を開き、又はその指定する他の場所で下級裁判所に法廷を開かせることができる。)にも違反し、人格権を保障した日本国憲法第13条に違反し、法の下に平等を定めた日本国憲法第14条1項にも違反する。日本国憲法第37条1項と日本国憲法第82条1項が定める裁判公開の原則にも違反する疑いがある。
 2020年3月11日の控訴期限前に原告の元患者らが、控訴しない方針を固めことが分かった。請求棄却の主文に対し国は控訴できないため、違憲判断が確定する。
題材にした作品[編集]
この事件に取材して、冬敏之が『藤本事件』という小説を書いている。(『民主文学』掲載)
この事件を基にして、中山節夫が『新・あつい壁』という映画をつくっている。
この事件をモデルにして、木々高太郎が「熊笹にかくれて」という小説を書いている。(桃源社)

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菊池事件で弁護団が「国民的再審請求」裁判やり直し求め、元患者ら約1200人が提出

2020年11月13日 22時44分13秒 | 事件・事故

11/13(金) 21:55配信

毎日新聞

熊本地方裁判所=遠山和宏撮影

 1952年の殺人事件などでハンセン病とされた男性が無罪を訴えながら隔離施設内の「特別法廷」で裁かれ死刑になった「菊池事件」で、市民や元患者ら約1200人が13日、熊本地裁に「再審請求書」を提出した。市民らは、裁判をやり直して、違憲状態の審理で言い渡された死刑判決を是正するよう求めている。

 菊池事件を巡っては、元患者らが起こした国家賠償請求訴訟で、熊本地裁が今年2月、特別法廷を「ハンセン病を理由とした差別」などと認定し、違憲と判断した。その判示を受けて、元患者らが7月、検察が自ら事件の再審を請求するよう求める要請書を検事総長へ提出したが、検察側からの回答は得られていない。

 刑事訴訟法では、再審請求は当事者と遺族、検察官以外は認められていない。

 このため、菊池事件の弁護団は憲法16条の請願権を根拠に「国民的再審請求」運動で裁判のやり直しを訴えることにし、請求人を募集していた。弁護団によると、現行憲法では「裁判の独立」を侵害する内容でない限り、司法に対する請願も認められるというのが一般的な解釈だという。

 この日、再審を請求したのは、北海道から沖縄まで44都道府県の1205人。再審請求した一人で、元入所者の竪山勲さん(71)=鹿児島県鹿屋市=は「菊池事件の無実が晴らされない限り、ハンセン病問題の解決はない。ぜひ市民の皆さんは支援してほしい」と話していた。【江刺正嘉】

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静岡・袴田事件の死刑判決を起草 元裁判官が死去 2007年に”無罪の心証”を告白

2020年11月13日 22時36分19秒 | 事件・事故

11/13(金) 20:30配信


テレビ静岡NEWS

テレビ静岡
静岡県の旧清水市で4人が殺害された、いわゆる袴田事件で死刑判決を書き、「無罪と思っていた」と当時の葛藤を告白をした元裁判官が死去しました。

熊本典道元裁判官は袴田事件の一審・静岡地裁で審理を担当し、1968年死刑判決を書きました。

そして2007年になって「無罪と思っていたが他の2人を説得できなかった」と異例の告白をしました。

熊本典道元裁判官 「確たる証拠がないのだろう。少なくとも今まで出ている証拠で有罪にするのは無茶だろう」

その後、再審に向けた活動にも加わってきましたが、最近は入退院をくり返し、おととい83歳で亡くなりました。

袴田元被告の姉は直前に病床を訪れていました。

袴田秀子さん 「生きてるうちに会えてよかったと思うよ。熊本さんにすれば。黙っていれば黙っていたって済むこと、それをあえて言ってくれたことは、とてもありがたいと思ってる、私たち家族はね」

裁判をやり直すかどうかは最高裁で審理が続けられています。

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米兵の性犯罪、途切れぬ年表 「とっくに完結のはずが」

2020年11月13日 22時25分21秒 | 事件・事故

 沖縄はいま

国吉美香

2020年10月22日 5時00分 朝日新聞

1995年10月21日、沖縄県宜野湾市で開かれた米兵の暴行事件に抗議する県民総決起大会=朝日新聞社ヘリから

海沿いの公園に数万人が集い、日米政府を動かした県民大会が25年前の10月21日、沖縄であった。そのころから、地元の女性たちが作り始めた、年表しか書かれていない冊子があり、今も版を重ねている。作成にかかわってきた一人は、自責の念を込めるようにして「とっくに完結していなければいけなかった」と言う。
 冊子の第12版(2016年発行)を開くと全28ページのうち、凡例と出典を除く26ページが年表で埋まっている。
 [避難民の中から女性が数人に拉致 1945年4月](町史)
 [2人の子どものいる女性、自宅近くの井戸で洗濯しているところを強姦(ごうかん)。男児出産 46年](証言)
 年表は、太平洋戦争末期の沖縄戦の始まりから記され、戦後の米軍統治下、72年の本土復帰後へと続く。
 [帰宅途中の27歳女性、側溝に落とされて4人に強姦される 51年9月2日](公文書)
 [海水浴に来ていた2人の女子中学生を石で殴って気絶させ強姦 75年4月19日](新聞記事)
 [高校生が学校の帰途、公園内で強姦 84年10月](証言)
沖縄で埋もれた米軍の性暴力 編集局長の「申し訳なさ」
「軍隊は住民守らない」 司令官の孫が伝え続ける沖縄戦
 これらは沖縄で起きた米兵らによる女性への性犯罪だ。米軍統治下でまともに裁かれなかったり、事件化されず、被害者が何年も後に証言したりといったものも含まれる。12版には約350件が掲載されている。
 冊子「沖縄・米兵による女性への性犯罪」を作成しているのは市民団体「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」(那覇市)。95年、県民大会のきっかけになった米兵による少女暴行事件直後に会を立ち上げた。
 共同代表の高里鈴代さん(80)は当時、国内外のメディアから相次いで取材を受けた。決まって「米兵が沖縄で起こす女性への犯罪はいつ、どれだけあるのか」と聞かれた。女性相談員の経験から、訴えられず公にならない被害が何件もあることを知っていた。でも、実態を示す資料がなかった。
 思い立ったのが年表作りだった。まもなく開催された県民大会で、途切れることのない人波を目にし、多くの県民にも、報道されることのない事件も含め、被害が繰り返されてきたとの実感があるとも感じた。
「もしかしたら私だったかもしれない」
 96年2月、新聞記事をかき集め、7ページの冊子に年表をまとめた。基地被害を告発するために渡った米国で、英訳した年表を手に涙する人がいた。沖縄では「年表を見た。私の被害のことも残してほしい」と電話をもらった。証言を聞きとり、年表に書き足した。

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【特集】自首した女性の後悔と犯行の実態「“みんなが100万円受け取れる話がある”と言われた」持続化給付金を不正受給

2020年11月13日 17時33分20秒 | 事件・事故

11/13(金) 16:12配信

MBSニュース

新型コロナウイルスで収入が減った事業者などを支援する『持続化給付金』。受け取る資格のない人が不正受給したとして逮捕者が相次ぐ中、警察に自首したという女性が犯行の実態を証言しました。給付金を巡っては新たな手口も横行しています。

自首した女性の証言「100万円受け取れる話がある」
11月11日、持続化給付金を不正に受け取ったとして韓国籍の男(24)と男子大学生ら5人が逮捕された。男らは2020年6月、大学生が飲食店を経営しているというウソの申請を行い、給付金100万円をだまし取った疑いがもたれている。大阪府警には11月11日までに持続化給付金の不正受給を巡る相談や情報提供が279件寄せられているが、氷山の一角にすぎないとみられている。


香織さんが証言した不正受給の手口

11月9日の深夜、1人の女性が取材班のインタビューに応じた。大阪府内に住む23歳の香織さん(仮名)は、小さな子どもがいるシングルマザー。この日、警察に自首したという。

(香織さん)
「申し訳ないでは済まないんですけど、償っても償いきれないし。母親やのに何してるんやろうと思って。(逮捕されて)自分がおらんくなったら周りに迷惑かけるし。子どもが一番かわいそうなので。」

香織さんは2020年7月に持続化給付金100万円を国から不正に受け取ってしまったという。一体、どのようにして不正受給したのか?

「知り合いに『みんなが100万円受け取れる話がある』と言われて、その時は給付金の話は知らなかったし、『みんなもらえるし知り合いの税理士の人が手続きを全部してくれるから』と言われて。身分証を出して、100万円が振り込まれていた。(Q100万円はどういう名目で?)コロナのあれでみんなが100万円もらえるって言って。」

香織さんによると不正受給の手口はこうだ。地元の友人から「コロナで給付金がもらえる。知り合いの税理士が手続きをしてくれる」と持ち掛けられた。香織さんは友人に▼住民票▼保険証のコピー▼通帳のコピーを渡し、1か月後には国から100万円が振り込まれた。その後、税理士の手数料として50万円を友人に支払ったというのだ。

(香織さん)
「税理士の人がやってくれると言うから、それくらいの手数料はあるのかなと思って、違和感とか何も考えずに、50万円かと思って。(Q税理士との面識はあった?)全くないです。全く知らないです。徐々に時間が経って分かったのが、いや犯罪みたいな。ニュースになっているのを見かけるようになってから気づきました。」

「ほんまに後悔しかなかった」給付金返還の申し出7000件以上

MBSニュース

2020年7月以降、大学生や主婦などが持続化給付金をだまし取った疑いで逮捕されるケースが相次いでいる。そもそも持続化給付金は、新型コロナウイルスの影響で2019年より売り上げが半減した中小企業に200万円・個人事業主に100万円が国から支給されるもので、2019年の収入が分かる確定申告の控えや2020年の売り上げデータなどがあれば、オンラインで申請ができる。

逮捕された容疑者らは、迅速に支給するために簡素化された手続きを悪用し、学生らが虚偽の確定申告書を提出する手口を指南するなどしていたという。その一方で、ニュースを見た不正受給者らが相次いで「返還したい」と名乗り出る事態も起きている。その件数は7000件以上に上っていて、取材した香織さんもその1人だ。

(不正受給を自首した香織さん)
「ほんまに後悔しかなかった。警察を見ただけで、うわ捕まるんちゃうか、バレたんちゃうかな、とか。びくびくする感じがずっと続いていて。(警察に)行くまではずっと怖かったんですけど。警察の方も1時間くらい話をして『後日連絡するから電話出てね』と、優しく対応してくださったんで、行ってよかったなと思いました。」


中村国際刑事法律事務所 漆原俊貴弁護士

コロナ禍で収入が減るなどして安易な気持ちで詐欺に加担してしまう実態。こうしたケースは少なくないという。

(中村国際刑事法律事務所 漆原俊貴弁護士)
「申請するまでは、きちんと調べもしないで申請して、お金が入った後に報道を見て、詳しく調べ始めて、どんどん不安になる人が多いです。自首すると減刑できますし、自分で行っているので逮捕されるおそれも低下する。」

詐欺を“指南する男”が話す「不正受給の手口」とは?

「返済不要の資金調達」と書かれていたアカウント

発覚しているだけで8億円近い被害が出ている持続化給付金詐欺。不正の入口となっているのがSNSだ。ツイッターで“持続化給付金”と検索すると…。

(ツイッターで検索 一部抜粋)
『持続化給付金の申請をしていない人であればどんな方でも100万円を受けとることができます!!』

誰でも持続化給付金を受け取れる、などと書かれた書き込みが多い。取材班は「返済不要の資金調達」と書かれていたアカウントに接触。電話をかけてみた。すると、山田と名乗る男が電話に出た。

(山田と名乗る男)「もしもし、お疲れ様です。山田です。」
     (記者)「未成年でも大丈夫なんですか?」
(山田と名乗る男)「できるんですよ。正直、2歳でもできます。」

山田と名乗る男は不正受給の手口を話し始めた。

(山田と名乗る男)
「本来なら、その状態で受給すると不正受給に当たるじゃないですか。不正受給になったら、お客様の逮捕のリスクが伴うじゃないですか。不正受給に当たらないようなスキームを組んでいるんですよ。着金後の資金洗浄から、本当に事業をやっているというところまでするんです。」

山田と名乗る男は、すぐに確定申告書を偽造するためのフォーマットを送ってきた。


山田と名乗る男が話すお金の流れ

話によると、不正に申請して100万円が口座に入金された後、一旦、売り上げとして計上して山田の口座に入金。手数料10万円を引いた90万円を山田から手渡しで受け取ることで、口座上でも事業を行っているかのように見せかけるという。

(山田と名乗る男)「来年度の2月に個人事業主としての事業を廃業するというところまでやるんです。やっているように見せるって感じです。」
     (記者)「実質は不正受給ということですよね?」
(山田と名乗る男)「でも、国からの見え方としては、個人事業主として受け取っている、というふうになっているんですよ。」

こうした手口で犯罪行為を隠せるとは到底思えないが、逮捕者が相次ぐ中、単純に書類を偽造するだけではなく、“事業主を装う”という新たな手口も横行している。警察は今後も持続化給付金詐欺に対して厳正に対処していく方針だ。

(11月12日放送 MBSテレビ「Newsミント!」内『特集』より)

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余命宣告から「自然治癒」に至った事例が放置されてきた理由

2020年11月13日 13時53分26秒 | 医科・歯科・介護

全米ベストセラ―『がんが自然に治る生き方』(1)

プレジデント 2014年11月15日(土)

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治癒不能といわれたガンが自然治癒する現象が、実際の医療現場で話題になることはまずない。 しかし筆者が目を通した1000本以上の医学論文において、ガンが自然に治癒した事例を報告していた。

医師は治すのが仕事なのでこうした事例を追跡研究することはなく、「たまたま」治ったという話は「偽りの希望」を与えるだけだとして積極的に口外することもなかったために、自然治癒事例は事実上放置されてきたのである。

全く科学的にメスを入れられていないこのテーマを解明するために、「劇的な寛解」事例を報告した医学論文をくまなく分析し、日本を含む世界10カ国で寛解者と治療者のインタビューを行った結果、ガンの自然治癒を体験した人々には、「9つの共通する実践事項」があった。

それらは、がんの治癒のみならず、予防としても役に立つものである。発売と同時に米アマゾン1位“がん部門”にランクイン、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラーとなった話題の書『がんが自然に治る生き方』から抜粋してお届けする(全2回)。
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「逸脱した事例」がわたしたちに教えること

がんと診断されたことのあるすべての人に
そして愛する人のがん治癒を支える人に

こんな話を聞いたことはありませんか。

進行がんと診断されて、手術や抗がん剤といった病院での治療はすべて試したけれども効果はなく、自宅にもどされた。ところが5年後に医者を訪ねたその元患者は、がんから解放されてすっかり元気になっていた。

わたしが初めてこうした事例に遭遇したのは、サンフランシスコのがん専門病院で患者のカウンセラーをしていたころでした。昼休みにわたしはアンドルー・ワイル博士の『癒す心、治る力――自発的治癒とはなにか』(角川文庫ソフィア、1998年)を読んでいました。そこには、医学的には手遅れだったはずのがん患者が、見事に回復を果たす事例が載っていたのです。わたしはのちにこうした事象を「がんの劇的寛解」(Radical Remission)と名付けました。

驚きのあまり、凍りつきました。こんなことがありうるの? 進行がんを現代医療を使わずに克服した? もしそうなら新聞の一面に載るような話じゃない? たとえ極端な事例だったとしても、画期的な出来事です。

その事例の当事者は、たまたま何かの方法に出合って、治癒に至ったのです。いったい、この人は何をしたのか。自分が担当しているがん患者の方々のためにも、なんとしてもこの現象について知りたいと思ったわたしは、劇的な寛解の症例を探し始めました。

そして衝撃的な事実を発見しました。

なんと、これまでに1000件以上の症例報告が、実際に医学雑誌には掲載されていたのです。けれどもわたしはそんな話を聞いたことがありませんでした。わたしの勤めていたのは有名ながんの研究機関ですが、こうした現象はまったく話題になっていませんでした。

調べれば調べるほど、いらだちが募っていきました。実際、医師たちはこういった症例について調べることもなく、追跡さえしていなかったのです。

わたしは少しずつ、がんから劇的に寛解した人々を探して、直接話を聞きはじめました。彼らは言いました。主治医はよろこんではくれたけれど、どうやって回復したかについては一切関心を示しませんでした。それどころか、「ほかの患者には話さないでください」と主治医に頼まれた人さえいたのです。その理由は、「あらぬ希望を与えたくないから」。

もちろん医師が特殊な事例から得た情報で患者をミスリードしたくないと考えるのはもっともなことです。けれどもだからといって、現実に起きた回復の症例を黙殺すべきではないはずです。

「治るためなら、何でもしたい」という最後の望み

がんが治った人たちから直接話を聞きはじめてしばらくしてからのことでした。抗がん剤治療を受けつつわたしのカウンセリングにやってきた女性がいました。31歳、双子の赤ちゃんがいながら、悪性度の高いステージ3(全4段階)の乳がんと診断されたばかりでした。わたしの目の前で、彼女は泣き出しました。

「治るためなら、何でもしたいの。子どもたちには母親が必要なんです」

彼女は疲労困憊し、最後の望みを求めてわたしに思いをぶつけてきたのです。泣きじゃくる彼女を前に、わたしの脳裏に浮かんだのは、医師たちから見向きもされずに放置されていた1000件以上の劇的な生還の症例のことでした。わたしは一息つき、彼女を見つめて言いました。

「確かなことは言えない。でも、何か方法があるか探してみるわ」

がんの劇的寛解の研究のために、大学院博士課程に進み、人生を捧げると決意した瞬間でした。がんから劇的に生還した人々の症例を探し、分析し、この現象について語っていこう。そう決めたのです。

「がんとの闘い」に勝利するために、すでに勝利した人の体験談を聞く。もっともなことですよね。がんからの生還という驚異的な体験の裏には、どんな秘訣があったのか。それを解き明かすため、思いつくかぎりの質問をぶつけて、科学的な検証をしてみるべきでしょう。説明がつかないからといってその事実を黙殺したり、口封じしようとするのではなく、事実に向き合うのです。

「逸脱」した現象に目を向けた科学者といえば、アレクサンダー・フレミングを思い出します。1928年、フレミングがバカンスを終えて実験室にもどると、菌の培養皿の多くにカビが生えていました。長期休暇の後にはよくあることです。フレミングは皿を消毒して、実験をやり直そうとしました。けれども、ここが運命の分かれ道でした。ちょっと待てよと、彼はカビの生えた皿を注視しました。するとなかに一つだけ、皿の中の培養菌がすべて死んでいた皿があったのです。フレミングは、「たまたまだ」とその皿を放置したりはしませんでした。それが抗生物質の先駆け、ペニシリンの発見につながったのです。

本書では、わたしが手がけているがんからの劇的な寛解についての研究成果を、みなさんにお伝えします。アレクサンダー・フレミングに倣って、わたしは標準から逸脱した事象を無視することなく、より詳細に検討していきます。

本題に入る前に、まずは自己紹介をさせてください。わたしが何によって導かれ、このテーマに人生を捧げることになったのかお話しします。

小児病棟でのボランティアで決意したこと

「がん」との最初の出合いは、3歳のときでした。叔父が白血病だと診断されたのです。叔父の闘病は5年におよびました。親族が集まるたびに、わたしたち子どもは「がん」という恐ろしい病について聞かされ、震え上がりました。わたしが8歳の時、叔父は亡くなり、いとこは父親を失いました。大人の男の人たちは、「がん」で死ぬかもしれない、とわたしは思いました。

14歳のとき、学年末の終業式の直後に、仲のよかった男の子が胃がんと診断されました。ウィスコンシン州の小さな町には衝撃が走りました。募金集めのためにパンケーキ朝食会を何度も開き、彼のお見舞いに行きました。大丈夫だよと言う友だちもいましたが、わたしには「あのときと同じことになるかもしれない」という、いやな予感がありました。男の子は副作用に2年も苦しんで、17歳で亡くなりました。町中が悲しみに暮れました。その後何年間か、わたしは友だちと彼のお墓に花を供えに行きました。彼の死によってわたしは、がんは年齢に関係なく誰をも死に追いやる病なのだと悟ったのでした。

ハーバード大学の学生だったとき、わたしは代替医療やヨガ、瞑想と出合いました。それは初めて体験する不思議な世界でした。それまでのわたしは、心の世界と身体の状態とは別のものだとして、2つを切り離して考えていました。けれどもしだいにそうした考え方に違和感を覚えるようになりました。

ハーバードでの4年間はすばらしいものでした。卒業後の最初の仕事として、わたしは地球温暖化をテーマにした本を共同執筆する予定でした。ところが気がつくと、学生時代に謳歌していた人的なつながりを一切失い、ただコンピューターに向かうだけの生活をしていました。あるとき、その孤立感を友人に話したところ、彼女は、ボランティアをしたらとすすめてくれました。それで、がん患者の役に立つためのボランティアをしようと思い立ったのです。

ニューヨークにあるメモリアル・スローン・ケタリングがんセンター小児病棟で、最初にボランティアをした日のことは、いまもはっきりとおぼえています。わたしの仕事は、静脈注射による抗がん剤治療を受けている子どもたちと、ボードゲームのモノポリーで遊ぶ、というものでした。たったそれだけです。けれどもその数時間のあいだ、子どもたちは、病気のことをすっかり忘れて夢中になっていました。わたしにとっては、人生を変えるほどの意義のある出来事でした。これが天職だと感じました。数週間のボランティアを通じて、わたしはカリフォルニア大学修士課程に進むことを決めました。腫瘍社会福祉学、なかでもがん患者へのカウンセリングを専門に学ぶことにしました。

大学院で学ぶうちに、わたしは改めて代替医療に関心を持ちました。多くの本を読み、ヨガのインストラクターの資格も取りました。日中はがん患者のカウンセリング、夜は勉強とヨガの時間に充てました。当時、わたしの夫は鍼(はり)や漢方など中国伝統医学の学位をとるため勉強をしつつ、身体エネルギーを活用した難解な治療法を学んでいました。代替医療の学習材料には事欠かない環境でした。

人生の転機となったアンドルー・ワイル博士の本に出合ったのはこの時期のことです。ワイル博士の説く「自発的治癒」という現象に興味を持ち、このテーマを追求するため博士課程へ進むことにしました。医学的には不可能だとみられた状態からがんを克服した人々は、いったい何をしていたのか。その探求に人生を捧げる決意をしたのです。

 

がんの「劇的な寛解」とは何か

がんの劇的な寛解とは何を意味するのか。これを考えるにあたって、まずは「標準的な」寛解、あるいは「劇的ではない」寛解とは何なのかを考えてみましょう。

医師ならこう考えるでしょう。初期に発見された、治療しやすいタイプのがんなら、寛解は期待できる、と。たとえばステージ1の乳がんで、手術、抗がん剤と放射線という標準的な治療を受けた女性の場合、統計的にいえば、その後5年間はまず再発しないだろうという予測が成り立ちます。でも、もし同じ女性が膵臓がんのステージ1だと診断されたら、同じく標準治療を受けたとしても、5年生存率はわずか14パーセントにすぎません。なぜなら現代医学には、ステージ1の乳がんほどの治療効果を上げる膵臓がんの治療法は、存在しないからです。

わたしは「がんからの劇的な寛解」の定義を、次のように定めました。

・がんの種類は問わず、「寛解」が統計的に極めて稀であること
・その統計とは、がんのタイプ、ステージ、受けた治療によって異なるものとする

さらに具体的に記しましょう。

「がんの劇的な寛解」とは、次のいずれかの事態が起きた状態を指します。

1 医学の標準治療(手術、抗がん剤、放射線)を一切用いずに、がんが検知できなくなった場合
2 標準治療を受けたががんは寛解せず、代替医療に切り替えてから寛解に至った場合
3 統計的にみて余命が極めて短い(5年生存率で25パーセント未満)がん患者が、現代医療と代替医療を併用したところ、統計を上回って生存している場合

統計的予測を覆してがんが寛解するのは、たしかに稀ではありますが、体験者は数多く存在します。

わたしは腫瘍内科医に会うたびに、「がんを劇的に寛解させた患者を診たことがありますか」と聞いています。これまでのところ、全員の答えが「イエス」でした。そこで「ではその症例について医学雑誌で報告しましたか」と聞くと、全員が「ノー」と言いました。

思ったとおりです。劇的な寛解の症例を追跡するシステムでもつくらないかぎり、こうした現象が実際にどのくらいの頻度で起きているのか、わたしたちには知る由もないのです。

この目標を実現するため、本書のウェブサイト(RadicalRemission.com)では、がんを克服した人、医師、治療者、読者の皆さんが手軽に劇的寛解の症例を投稿できるようにしました。データベースは無料で一般公開しています。データは研究者も自由に使えます。またがん患者やその家族にとっては、ほかの人がどうやって劇的な寛解を遂げたか、調べることができます。

末期がんから自力で生還した人たちが実践している9つのこと

全米ベストセラ―『がんが自然に治る生き方』(2)

プレジデント 2014年11月16日(日)


■「治った」人の1000件以上の医学論文


 寛解症例の研究に着手してまず驚いたのは、1000件超の医学論文において、2種類の人々がほぼ黙殺されていたことでした。

 一つは、劇的に寛解した患者本人の一群です。大多数の論文では、患者自身が劇的な寛解の原因をどう考えているかについて一切言及していませんでした。劇的な寛解を遂げた患者の身体の生化学的変化については、何本もの医学論文が詳細に記していました。しかし、患者に「あなたは自分がなぜ治癒したと思うか」と聞き、その答えを記したものは皆無だったのです。患者たちは、意識的だったかどうかはともかく、がんを治すため何かに取り組んでいたはずです。医師はなぜそれに興味を持たなかったのでしょうか。

 そこでわたしは劇的な寛解を遂げた20人にインタビューし、「あなたはなぜ自分が治癒したと思うか」を聞くことにしました。

 医学論文で黙殺されていたもう一群は、代替療法の治療者たちです。がんからの劇的な寛解は、当然のことながらほとんどの場合、現代医療では打つ手がなくなった患者に起きています。それなのに、西洋医学外の治療者や代替療法の治療者たちががん治療にどう取り組んできたのかを誰も調べてきませんでした。この事実にわたしは驚きました。

 わたしが会った劇的寛解の経験者は、世界の隅々まで、それこそ血眼になって治療者を探し出していました。そこでわたしも世界中を旅して回り、非西洋医学の治療者、代替療法の治療者50人にインタビューをしました。10カ月かけて10カ国(アメリカ“ハワイ”、中国、日本、ニュージーランド、タイ、インド、英国、ザンビア、ジンバブエ、ブラジル)を回りました。ジャングルや山の中、そして都市を旅し、治療者と話をしました。各地のすばらしい治療者がわたしに話してくれた経験を、読者のみなさんにご紹介します。

 

■がん治癒を目指して実行していた9項目

 劇的な寛解について記した医学論文は1000本以上分析しました。博士論文の研究を終えてからもさらにインタビューを続け、その対象者は100人を超えました。

 わたしは、質的分析の手法で、これらの症例を何度も詳細に分析しました。その結果、劇的な寛解において重要な役割を果たしたと推測される要素(身体、感情、内面的な事柄)が75項目、浮かび上がりました。

 しかし、全項目を表にして出現頻度を調べると、75のうちの上位9項目は、ほぼすべてのインタビューに登場していることに気づきました。

 たとえば登場回数が73番目に多かった「サメ軟骨のサプリを摂取する」。これは調査対象中の、ごくわずかな人が話してくれただけでした。かたや語られる頻度のもっとも高かった9つの要素については、ほぼ全員が、「がん治癒を目指して実行した」と言及していたのです。

 その9項目とは次のとおりです。

・抜本的に食事を変える
・治療法は自分で決める
・直感に従う
・ハーブとサプリメントの力を借りる
・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・周囲の人の支えを受け入れる
・自分の魂と深くつながる
・「どうしても生きたい理由」を持つ

 この9項目に順位はありません。人によって重点の置き方が異なるものの、インタビューで言及される頻度は、どれも同じ程度でした。わたしが話を聞いた劇的寛解の経験者はほぼ全員が、程度の差はあれ9項目ほぼすべてを実践していたのです。

 そこで本書は9章に章立てし、1章で1項目ずつ説明していきます。

 各章では、まずその章のテーマについての解説と、それを裏付ける最新の研究報告を紹介します。次に、劇的な寛解を遂げた人の実話を記します。章末には「実践のステップ」と題して、その章のテーマを実践しやすいかたちにして、いくつかの方法をご紹介します。

 

■偽りの希望と真の希望とは

 9項目の詳細に入る前に、はっきりさせておきたいことがあります。

 まず、わたしは手術、抗がん剤、放射線の「三大療法」を否定する者ではないということです。

 たとえ話をしましょう。ふつう、フルマラソンを走るとき、人は靴を履いて走ります。けれどもごく稀に、自分なりのこだわりがあって裸足で走る人がいます。なかには裸足のまま元気に完走してしまう人もいます。

 同じように、がんにかかった人は、普通は現代医療に頼るものです。けれどもときおり、ほかの方法を試そうとする人が存在します。わたしは後者に関心を持ちました。何を実践して、彼らは医師の予想を覆す偉業を達成したのか。それを突き止めることがわたしの仕事です。

 二つ目に、わたしは本書によって、患者の方々に偽りの希望を与えるつもりは一切ありません。

 劇的な寛解をした患者のほとんどが、医師から「ほかの患者には黙っていてほしい」と言われたと告白しています。ひどい話ではありますが、その医師の立場になって考えれば、わからなくもありません。来る日も来る日も、生存の見込みの乏しい患者を診察するのは、想像するだにつらい仕事です。

 けれども劇的に寛解する人が現にいるという事実を黙殺するのは、偽りの希望を患者に抱かせるよりも、ずっと罪深いことではないでしょうか。

 カリフォルニア大学で、研究方法についての授業の初回に、教授はこう言いました。

 仮説から逸脱した事例に遭遇したとき、研究者にはそれを吟味する科学的責務がある。そしてその逸脱事例を吟味してから、研究者がとるべき道は2つ。

 一つ目は、なぜ仮説に合わない事例が生じたのかを公に説明すること。二つ目は、その事例を説明できる新しい仮説を考え出すこと。

 要するに、仮説に合わない事例は無視してよい、という選択肢は存在しないのです。

 がんの克服は人類共通の目標です。現代医療なしで治癒した症例を黙殺することは、科学的に無責任な態度なのです。

 次に、「偽りの希望」について検討します。「偽りの希望を人に与える」とは、事実かどうかわからないことや、明らかな虚偽を人に伝えて、希望を抱かせるということです。がんからの劇的な寛解が起きる理由は、いまのところ説明不能ですが、それを体験した人が存在するのは事実です。現代の医学では説明のつかない方法で、彼らは自分のがんを治したのです。

 

■9つの仮説から私たちは何を学べるか

 この違いを理解したうえで、わたしたちは、「偽りの希望を抱くことになりそうで怖い」と考えるのではなく、がん治癒の鍵となるかもしれない症例を、科学的に検証していこうではありませんか。


 9つの要素は、がんからの劇的寛解が起きた理由についての仮説であり、まだ科学的に十分裏付けされた理論ではありません。この九項目によってがん患者の生存率が上がると断定するには、データの量的分析や無作為な臨床試験が必要で、残念ながらあと何十年もかかるでしょう。

 それでもわたしはこの仮説は重要だと考えています。これを読者と共有するのに、あと何十年も待とうとは思いません。それよりも、質的分析を使ったわたしの研究結果を公表し、がんからの劇的寛解を遂げた症例はなぜ黙殺されてきたのか、わたしたちはこの症例から何を学べるのかという、より重要な議論へとつなげていきたいのです。

 もしもわたしが、「この9項目を実践したらあなたのがんは確実に治ります」と言ったなら、それは人に偽りの希望を抱かせる行為です。わたしはそうは言いません。わたしに言えるのは、「がんの劇的寛解の起因になったと考えられる9つの仮説を検出しました」ということだけです。

 次に、わたしが本書の執筆によって何を期待しているかをお話しします。

 まず、研究者たちの手で、がんからの劇的な寛解についてのわたしの仮説が、少しでも早く検証されること。それからがん患者本人、そして大切な人ががんを患ってしまった人々が、治癒を遂げた人々の真実の体験談から勇気を得てほしいと思います。

 わたし自身、初めてがんの劇的寛解の症例に出合ったとき、その事実の持つ力に大いに勇気づけられました。医学的常識に反してがんを克服する人が、本当に存在するのですから。

 がんの予防や健康全般に関心のある人にも、本書は役立つはずです。そして現在病院で治療中の方々、そして打つ手がなく別の方法を探している患者のみなさんにとって、本書が励みになることを願っています。さらに本書がきっかけとなって劇的な寛解をめぐる議論がはじまり、人々が黙殺をやめてこれらの症例から学ぼうとすることを心から願っています。

 症例を見ていて不思議に思うことがあります。なぜ、ある人に効く方法がほかの人には効かないことがあるのか。いまのわたしたちには、その理由はわかりません。けれども説明不能を理由に劇的寛解の現象から目を背けるのではなく、真摯に研究していけば、少なくとも人間の自然治癒力について何らかの知見を得ることができるでしょう。うまくいけば、がん根治の治療法の発見につながるかもしれません。いずれにせよ、黙殺からはどんな知見も得ることはできません。

 もしアレクサンダー・フレミングがカビの生えた培養皿を捨ててしまっていたら、社会はいま、どうなっていたでしょう。彼の逸脱事例の研究が時間の無駄ではなかったことは、歴史が証明しています。

 あまたの歴史的発見は、逸脱事例の研究からはじまりました。逸脱した事例には、真の希望が宿っている可能性があるのです。

----------
Dr. Kelly A. Turner ケリー・ターナー博士
腫瘍内科学領域の研究者。学士号を取得したハーバード大学時代に統合医療に関心を持ち、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号取得。博士論文研究では奇跡的な回復を遂げた1000件以上の症例報告論文を分析し、1年間かけて世界10カ国へ出かけ、奇跡的な生還を遂げたガン患者と代替治療者を対象に、治癒に至る過程についてのインタビューを行った。本書はそこから得られた知見を患者や家族、そして健やかに生きたいすべての人のためにわかりやすくまとめた著者初の書籍。

 

 

 

 

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おとめ六法

2020年11月13日 11時45分43秒 | 社会・文化・政治・経済
おとめ六法
 
by 上谷 さくら (著), 岸本 学 (著), Caho (イラスト)
 
女性の人生に寄り添う法律の本

わたしが悪いから、こうなっちゃったの?
警察に行ったらつかまえてくれるの?
相談したら、逆に不利にならないの?

万が一のそのときというのは、なにをどうすればいいかわからないもの。
本書は、【六法+α】の、女性の一生に寄り添う法律集。

憲法・刑法・民法といった六法の中から、女性の一生に寄り添う法律をピックアップ。
さらに、DV防止法、ストーカー規制法、著作権法、軽犯罪法、男女雇用機会均等法……など、毎日を守る大切な法律を網羅しました。

どんな証拠が必要になる? どこに相談すればいい?
あなたが持っている権利を守るために、知っておくと便利な手続きも具体的に解説します。

トラブルにあったとき、「わたしが悪かったからだ」と思い込み、
一方的に自分を責めてしまう人がたくさんいます。

しかし、本当にあなたが悪かったのでしょうか?
あなたはなにか法律に触れるようなことをしたのでしょうか?
相手の行いのほうが正しかったのでしょうか?

「わたしが悪いのかな」
そう思ったら、ぜひ本書をめくってみてください。あなたが再び前を向くきっかけになる「法律」が見つかるかもしれません。

イラストを手掛けるのは 、女の子の等身大の恋する気持ちを表現するイラストレーター・Cahoさん。
電子版特典として、本書のために描き下ろしたイラストをフルカラーでお届けします。
●上谷 さくら:弁護士(第一東京弁護士会所属)。犯罪被害者支援弁護士フォーラム事務次長。第一東京弁護士会犯罪被害者に関する委員会委員。元・青山学院大学法科大学院実務家教員。福岡県出身。青山学院大学法学部卒。毎日新聞記者を経て、2007年弁護士登録。保護司

●岸本 学:弁護士(第一東京弁護士会所属)。第一東京弁護士会犯罪被害者に関する委員会委員。人権擁護委員会第5特別部会(両性の平等)委員。大阪大学法学部卒。民間企業のコンプライアンス統括部門を経て、2008年横浜国立大学法科大学院を卒業。同年司法試験合格。金融庁証券調査官を経て、2010年弁護士登録。

●Caho:ふわふわキラキラ、女の子の等身大の恋する気持ちをキュートに表現するイラストレーター。
優しい色使いとふんわりとした世界観に、ハートをつかまれるファンがSNSを中心に続出。既に多くの商品化が実現され、コラボカフェや有名キャラクターとのコラボグッズなど、その活躍は多岐にわたる。
 
 
「いつか女性の本来の権利が実現する社会が実現すれば」「いらなくなる本」

巻末のこの言葉に尽きると思います。

難解な法律を分かりやすく解説していて、読みやすいです。予め知っておくのと、知らないのとでは、犯罪や困難な出来事に巻き込まれた時に対処できることが大きく変わります。
犯罪から身を護るために、自分を大切にするために、小学校高学年から読んでほしいと思います。
 
 
一般的な女性に起こり得そうな事を簡単に書いてあり、男尊女卑の日本、身近に起きそうな事が割と解り易く書いてある。
込み入った事案には参考にはならないが、これらを読んだ後に何か問題が起きたら、どの様に行動すれば良いかが分かる。
この様な事は起こらないに越した事はないが、自分には起こらなくても周りの誰かに起こっている問題かもしれない。
女性の心構えとして読んでおくと良い。
 
 
特に女性が被害を受けやすい、不当な暴力や、嫌がらせなど、日常陥りやすいトラブルから身を守るために、必要な法律の知識が、優しい言葉で解りやすくかかれていて、たいへん読みやすいです。
Cahoさんのイラストもとても可愛らしいです。

こちらのおとなしさや、優しさにつけこんで、嫌がらせを受けたり、不当な要求をされた場合。それに耐えたり、我慢したりする必要は全くありません。

不快なことや、嫌なことをされたり、不当な暴力に対して、屈してはいけません。勇気を出して、断固拒絶の意思を示すべきです。

今の世の中は、物理的には程々に恵まれていますが、近代化の負の集大成というのか、人の心が醜く荒んでいると強く感じます。
人の嫌がることを平気で行い笑ったり、グチグチ陰口や悪口を言ったり、汚い言葉遣いや暴言の類いで人を傷つけることを何とも思わない輩が跋扈しています。
私は、1つの理由にテレビやメディアの影響もあると考えています。社会的地位や経済力もある いい歳をした大人が、人をからかったり、騙したりして笑いをとる程度の低い番組がありますが、
以前、そういった番組をみて、いじられたり、からかわれたり、騙されたりしている人をみて、違和感なく、当たり前のように、普通に笑っていた自分に気付いて、愕然としました。
子供の苛めの縮図と全く同じだからです。
私はそれに気付いてから、その類いの番組を一切みないようにしています。

全く面白いと思わないからです。

ああいうものを真似るところが、陰湿な苛めや嫌がらせの一因、温床になっていると考えています。
今年はテレビや芸能界等で特に問題として明確に顕在化しましたが、SNS等を使って、誰でも平気で知らない人を、簡単に中傷も出来てしまう世の中です。実際に、木村花さんという犠牲者も出しています。

決して他人事ではありません。誰でも被害者になってしまう可能性があります。そして、無自覚であれば、誰でも加害者になる可能性もあるのです。

世の中には、悪い人や狡い人がたくさんいます。普段、そんな人を外見や表層だけで見抜くのはなかなか難しいです。

私も含めてなんですが、いずれ結婚して、子供を産み、育てていく過程で、良い学校、大学、会社に入れる教育も大事ですが、まず基本は人間(心の)教育が大切だと思っています。自分がわかっていないと教えられないと思います。

自分の身を守るために、自分自身の意識の向上や、このような本をよく読んで普段からよく勉強をしておくこと、
あらぬトラブルを招かないために、まず、自分が人の悪口や陰口を言わないこと、
そして自分も他人(相手)も尊重し、大切にすることが大事だと、改めて思いました。

私は、他人対して「あなたもそうして下さい」と押し付ける気はないですが、
少なくとも、それに気付いたことは、私の人生にとって大いにプラスになりました。

※追記
こちら2020年5月28日初版発行、定価¥1,400(税別)の書籍です。
Amazonで購入する際に気になることなんですが、この様に現行で販売中の書籍を、定価を大きく上回る¥4,600(+送料)など、高値で出品販売している業者が目につきます。
当初コロナ渦の折り、マスク不足の際に悪質な高値転売が問題になって、罰則化されるに至りましたが、現行で販売中の書籍などの高値転売も同様のことで、大いに問題だと感じます。

私は勿論定価で買いました。現行販売中の書籍は、必ず重版が出ますので、悪質な転売業者から高値で購入するのは絶対にやめたほうがいいです。
こういった心掛けも、不当な暴力には屈しない。ということに共通するものだと思います。
 
 
むすめが欲しいと言うので購入。
興味があって私も読んでみた。
女性に関係ありそうな法律をわかりやすく書いてある。
わかりやすく、ためになるので、一冊あっても良いと思う。
 
 
娘へのプレゼントです購入。内容のレビューを見て女性が普段の生活で困った時に役立つ法律知識が分かりやすく書かれていると思いました。
 
 
知りたい法律や対処法など詳しく書かれていて参考に成りました。
 
 
新聞で紹介されており即購入しました。結果買って大正解。
過去の自分と重なりあの時読んでいればな、と思いました。
法律というと堅苦しい感じがしますが、語り口調で大変読みやすいです。
悩んでいる方は買って損はないと思います。
 
 
色々なトラブルに関する法律がわかりやすく説明してあるのでいざという時に役に立ちます。
 
 
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家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった

2020年11月13日 11時30分47秒 | 社会・文化・政治・経済

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった (コルクスタジオ)

by 岸田奈美 (著)

笑えて泣ける岸田家の日々のこと

車いすユーザーの母、
ダウン症で知的障害のある弟、
ベンチャー起業家で急逝した父――

文筆家・岸田奈美がつづる、
「楽しい」や「悲しい」など一言では
説明ができない情報過多な日々の出来事。
笑えて泣けて、考えさせられて、
心がじんわりあたたかくなる自伝的エッセイです。

もくじより
◎弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった
◎どん底まで落ちたら、世界規模で輝いた
◎グーグル検索では、見つからなかった旅
◎先見の明を持ちすぎる父がくれたもの
◎忘れるという才能

【編集担当からのおすすめ情報】
noteやTwitterで話題となっている岸田奈美さん。
岸田さんの文章は、人の感情をゆさぶる力があります。岸田さん節が炸裂するギャグに爆笑した次の瞬間、涙があふれてきます。私など、
読んだ後、見える世界の景色がきっと美しく清々しいものになるはず。ぜひ体験してみてください。

岸田/奈美
1991年生まれ、兵庫県神戸市出身、関西学院大学人間福祉学部社会起業学科卒業。「バリアをバリューにする」株式会社ミライロで広報部長をつとめたのち、作家として独立(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

筆者の方が体験されてきたことや、本に書かれていることは必ずしも一般には幸せな出来事とは限らないのかもしれません。

それでも心地よい脱力感のある言葉のチョイス、胸の内を飾らずに書かれている文章がスッと心に入り込み、押しつけがましくない爽やかな笑いや感動を感じることができました。

疲れているときや寂しさを感じたとき、家族と喧嘩したとき、そんな時に読むときっと少し元気になって、他人に優しくなれるようなそんな本だと思います。

最後に、私は電子書籍で購入しましたが紙の書籍だとページ番号が弟さんの直筆の数字を利用したものになっているそうです。味のある、素敵な字体を満喫したい方は紙の書籍をおすすめします。

 

NOTE読んだしなーと思ってたけど、やっぱり買い。結果、めちゃくちゃよかった❤️
縦書きにするにあたり大幅に加筆修正したらしいです。
好きな本はたくさんあるんだけど、歴代1位にすべりこみ!!

 

人生は常に奇跡の上で成り立っている!

岸田奈美さんの初めての本。noteユーザーなら皆さん待ちに待ったのではないでしょうか?素敵な要素がたくさん詰まったこの本は、とても素敵な方々に支えられて作られています。内容もさることながら、写真やページの数字、表紙、帯どれをとっても物語がある素敵な本です。ぜひ、一度手にとってみてください。あなたも赤べこのとりこになること間違いなしです。

 

知的障害がある8歳の女の子を育てています。
弟さんのお話は読んでいてどうしても涙が出てしまいました。

親の立場とはまた違う、姉としての立場から見た障害のある弟さんとの関わりのお話。

もちろん本に書かれてはいない大変な事はたくさんあった事と思います。それでも、こうして成長した姿や周囲の人との関わりなど、娘が成長したときの一抹の光になります。

筆者の経験していること、してきたことは、人生、生きるということの苦しみそのものだと思いますが、それでもなお明るい光を感じさせる文章に力をもらいました。

生老病死に関わる悩みは決して解決するものではなく絶望と紙一重です。そうした心情に暖かく、しかも「ハハッ」と笑わせてくれて寄り添ってくれる本です。

 

 

悲しい出来事を乗り越えてきた岸田さんの言葉にはとても力があり愛がある。

最初の方はユーモアあふれる文章に笑い、後半になるにつれて死や愛について考えさせられる内容になっていきます。

全体を通して自己肯定感の低い言葉がチラホラ買いてあるので、すっきりした気持ちで読み終わることができなかった。

実話をもとに愛について真面目に書かれています。

関係ない話ですが、「愛とは期待もせず見返りも求めず、ただ信じること」という文章にKindleハイライトがたくさんついています。それが当たり前だと思うんだけど、世間一般的にそこにチェックマーカー付けるか⁇と思いました。愛に見返りを求めているんですかね...

 

はじめてレビューを書いてしまうくらい
とてもおもしろくてうるっとする
素敵な本でした。
この本に出会えてよかったです。

 

岸田さんのお話を読んだ切っ掛けは確か···心屋 仁之助さんという方のブログからだったと思います。
とにかく良かった、とnoteから入りました。
冒頭から大笑いして、涙ぐみながら読んで、心がふわりと柔らかくなる感覚になりました。
少し違うけれど、映画『チョコレートドーナツ』を思い出します。
愛が一杯で何処かコミカル、切なくても顔を上げて戦いながらユーモアを忘れない人間の、なんと美しいことでしょう。
良いお話をありがとうございました。
これからも岸田家に僥倖がありますように。

 

人生の厄介事(やっかいごと)は、それをその当事者がどう受け止めるかで随分(ずいぶん)と違う色を発する。別に、その体験記が面白おかしくなくても読み手は勝手なもんだから、どうでもいいのだ。書きたいことは書かないで、書きたいことを書いている感じが凄くして、その勝手に書いた感がとてもいい。人生は思ってるよりもずっと短いのかもしれない。考え事に耽(ふけ)ってしまって行動しないなんてもったいない。そいうのを凄く感じて、なんか細胞が活性化(かっせいか)するような感じの本。

 

 

 

 

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声は「力」だ

2020年11月13日 11時24分53秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽新聞社は記事を発信するだけではなく、社会をよくするための活動をしている。
ここが、新聞情報とネット情報の最大の差であろうか。
▽人とのつながりを保った人たちは、体力・気力・認知機能が維持されている。
新型コロナ感染予防に心掛けしながら、人と人とのつながりを取り戻すための地域活動を再開する必要性がある。
▽100人いれば、100通りの人生がある。
それぞれ成長の速度も異なる。
ゆえに、自分と他人を比べる必要などない。
▽どんな人にも使命がある。
▽友好を結ぶ地道な活動が最も堅実で充実した人生の道。

▽視点が変われば、物事の見え方も大きく変わる。
厚みや深み、広がりのある視点を持つことができる。
▽読書する人だけがたどり着ける場所があるはず。

▽声は「力」だ。
▽特に「体験談」ほど胸を打つ響きはない。
▽「人」を元気にするのは、「人」とのつながり。
体の距離は離れていても、「心」のつながりを。

 

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電車内で女性のスカート内を撮影 盗撮の疑い 山梨県警の男性警視を書類送検

2020年11月13日 06時57分13秒 | 事件・事故

2020.11.11 20:45

山梨県警生活安全部の男性警視が、電車内で女性のスカートの中を盗撮したとして書類送検されました。
関係者によりますと、この男性警視は盗撮事件の捜査などを担当する部内のナンバー2だということです。
県迷惑防止条例違反の疑いで書類送検されたのは、山梨県警生活安全部の59歳の男性警視です。
この男性警視は11月、通勤中の電車内で10代女性のスカートの中を、小型カメラで盗撮した疑いがもたれています。
男性警視は容疑を認め、「女性の下着に興味があった」と話しているということです。
なお警察は、押収した5台のカメラやパソコンなどから盗撮したとみられる画像と動画、合わせて350ファイルを確認していて、男性警視は、数年前から盗撮を繰り返していたことも認めているということです。
また警察は、信用を著しく失墜させたとして、この男性警視を停職6か月の懲戒処分としました。
生活安全部は、盗撮事件の捜査などを担当していて、関係者によりますと男性警視は部内のナンバー2だということです。
男性警視は、11月11日付けで依願退職しています。
-----------------------------
山梨県警警視がスカート内を盗撮容疑 「数年前から繰り返していた」書類送検
11/11(水) 17:44配信
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毎日新聞

山梨県警本部=甲府市で、井川諒太郎撮影

 山梨県警は11日、女性のスカート内を盗撮したとして、県警生活安全部参事官の佐藤光男警視(59)=同県中央市=を県迷惑防止条例違反(盗撮)の疑いで甲府地検に書類送検し、同日付で停職6カ月の懲戒処分にした。佐藤警視は同日付で依願退職した。

 送検容疑は10月9日午前7時半ごろ、県内を走行中のJR身延線の電車で、小型カメラを使い、女性のスカート内を動画で盗撮したとしている。「数年前から盗撮を繰り返していた。女性の下着に興味があった」と話しているという。県警は起訴を求める「厳重処分」の意見を付けた。

 県警の発表や捜査関係者によると、佐藤警視はかばんに小型カメラ(4~5センチ)を取り付け、座席に座っている女性のスカート内を数十分間にわたって盗撮していたという。女性が県警に相談し、捜査の過程で佐藤警視が浮上した。佐藤警視の私有パソコンには電車や商業施設で盗撮したとみられる動画と画像約350点が保存されていた。

 佐藤警視は南部署長などを経て、2020年3月から生活安全部参事官。参事官は同部ナンバー2で、同条例を所管する生活安全企画課の課長も兼ねている。【金子昇太】

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「菅総理、やはり、ただ者ではありません」 豊田真由子が見た菅総理と菅政権

2020年11月13日 06時43分10秒 | 社会・文化・政治・経済

2020/9/17 15:30 (JST)9/17 19:58 
まいどなニュース

関西発のやわらかニュースを発信するサイト「まいどなニュース」。ユーザーのみなさんの「知りたい気持ち」に、関西ならでは「こてこて」サービス精神でこたえます。
菅新政権が発足しました。

菅総理って、ほんとのところ、どういう人なんでしょうか。新総理の素顔を掘り下げ、新政権の閣僚・党役員人事、政権の方向性について考えてみたいと思います。

◇ ◇ ◇

菅新政権の閣僚・党役員人事について

思った以上に、予想通りで、そのことにむしろびっくりでした。そして、よくよく見てみると、改めて奥が深く、手腕が発揮されたなと感じました。

たしかに、再任+派閥均衡+菅総理に縁の深い方たち、ではあるのですが、結果的には、非常に手堅くそつなく、実務をこなすメンバーを集めた安定した布陣となっています。斬新さはありませんが、着実に、やるべきことをきちっと前に進める、という意志を感じます。

◇ ◇ ◇

菅新政権の閣僚・党役員人事について

思った以上に、予想通りで、そのことにむしろびっくりでした。そして、よくよく見てみると、改めて奥が深く、手腕が発揮されたなと感じました。

たしかに、再任+派閥均衡+菅総理に縁の深い方たち、ではあるのですが、結果的には、非常に手堅くそつなく、実務をこなすメンバーを集めた安定した布陣となっています。斬新さはありませんが、着実に、やるべきことをきちっと前に進める、という意志を感じます。

政治的なことを言えば、満遍のない配慮で、党内の不満や軋轢が少なくなるので、一致団結して菅内閣を支えるという力学が、より働きやすくなります。党役員も、菅総裁誕生の功労+菅総理との深い繋がりですが、安定した政権運営のために、党内基盤を盤石にすることは必須です。

政治的なことを言えば、満遍のない配慮で、党内の不満や軋轢が少なくなるので、一致団結して菅内閣を支えるという力学が、より働きやすくなります。党役員も、菅総裁誕生の功労+菅総理との深い繋がりですが、安定した政権運営のために、党内基盤を盤石にすることは必須です。

新任(再入閣含む)の方を見てみると、加藤官房長官は、能力高く、綿密で安定の女房役をこなされると思います。田村厚労相や平井IT相は、それぞれの分野で党内の第一人者、役所の勘所も抑えています。新型コロナや少子高齢化対策、デジタル庁構想をしっかりやる、ということでしょう。岸防衛相は、とても謙虚で真面目な方で、単に安倍前総理の実弟だから選ばれた、という穿った見方をすべきではないでしょう。

うーむ、菅総理、非常にうまくおやりになったなあ、と感じます。やはり、ただ者ではありません。

菅政権の方向性は?

「安倍政権の継承と発展」を掲げていますから、差し当たっての大きな路線変更はないでしょう。ただし、単なる「継承」のつもりはなく、「発展」を推し進め、これまであたためてきた政策の実現に向け、独自性を出していかれるでしょう。

そして、来年秋までの1年間の短期政権というようなつもりは、全くないと思います。菅総理は、これまでの人生、「当初は全くなるつもりがなかった」という議員秘書・市議になり、衆院議員になり、そして、なったからには、ここでがんばるぞ!と、コツコツと努力し、結果として実力者になってきました。日本国の内閣総理大臣となった今は、まさにそのクライマックス、本領発揮でしょう。

ちなみに、無派閥といわれますが、実は若手を中心にした「菅グループ」というものがちゃんとあります。

菅総理って、ほんとのところ、どういう人?

これをやる!と決めたら、一所懸命、コツコツ積み上げて、やり遂げる。楽して得しようとかは、決して考えない。元々は参謀タイプで、裏方で全体を見て、先を見通して準備をし、実現する。一番好きな武将は、豊臣秀吉を支えた弟の豊臣秀長。隙が無く、本音や感情をあまり出さないが、かといって、すごい野心家で策略家というわけでもない。義理人情を重んじる。

ご自分で「ふらふらしてた」とおっしゃる高校や東京でのアルバイト時代は、自分はどう生きるべきかの模索期間であり、そして、だんだん、見る世界と視野が広がって、自分はこれをやりたいんだ、と気付き、都度、邁進し続け、ここまで来た。その感性と精神力は瞠目に値します。

―これが、わたくしの見た菅総理です。

ちなみに、所見演説で「私のような普通の人間でも、努力すれば総理大臣を目指すことができる」とおっしゃっていましたが、全然「普通の人」ではないし、それはもう並大抵の努力ではないです。

◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。
 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。

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「すこぶる調子がいい」安倍氏“復権”の先に見据えるのは…

2020年11月13日 06時36分04秒 | 社会・文化・政治・経済

2020/11/2 06:05 (JST)11/4 13:05 
西日本新聞社

地元支援者の前であいさつする安倍晋三前首相=1日午後、山口県長門市(撮影・河合仁志)
安倍晋三前首相は1日、退任後初めて地元・山口県に入り、父晋太郎氏の墓前に手を合わせた。持病の悪化に伴う無念の退陣表明から約2カ月。支援者の歓迎を受け、取り囲む報道陣を前に「今後は一議員として、地域の発展のために尽くしていきたい」。史上最長政権を築いた者として“復権”の先に見据えるのは何か。

「総理の職責を果たすために全力を尽くし、今回、辞職しましたという報告をいたしました」

午後、同県長門市で墓参を終えた安倍氏は、力強い口調で報道陣に復調ぶりを示した。その後は、近くの市役所支所など4カ所をはしごし、集まった支援者に「おかげで薬も効いて体調も早く回復している」。笑みをたたえ、一人一人と言葉を交わした。

新型コロナウイルス感染症の影響により、昨夏の盆以来となった帰郷。常々、「地元に帰れば元気になる」と語ってきただけに、花束も受け取って心身を充電した様子がうかがえた。

「すこぶる調子がいい。辞めたのがうそみたい」。安倍氏の出身派閥・細田派の幹部は、最近の安倍氏に目を見張る。所属議員の政治資金パーティーに連日駆け付けてマイクを握り、夜の会合にも出席。アルコールも口にする。

派内では、派閥復帰と会長就任を望む声が一段と高まり、安倍氏も周囲に「(来秋までに行われる)総選挙の前後を考えている」と、その時期に言及し始めた。「ここで終わるつもりはさらさらない、ということだ」と自民党関係者。院政を敷き存分に影響力を振るうキングメーカーか、「(首相)再々登板」への布石か。永田町では、近い将来の「安倍派」発足をどう読み解くかの推論がかまびすしい。

安倍氏と親密な閣僚経験者はあるエピソードを基に、菅義偉首相体制の下でもキーマンであり続けていると指摘する。今後の最大焦点である衆院解散時期について安倍氏が最近、「私だったら、来年1月の通常国会冒頭だ」と持論を開陳したというのだ。

内閣と党の支持率がともに高い時期を逃さず衆院選を仕掛け、野党を圧倒し、その流れで来秋の総裁選も制する-。この側近は「(政局の)相談を受ければ指南するのが安倍さん」。実際、首相は今も安倍氏と密に連絡を取り、外交の報告も欠かさないという。

この日、在任中に念願成就できなかった憲法改正についても、安倍氏は「(安倍政権の間は議論しないとの)野党の言い訳はもう通用しない。より一層(議論の)機運を高めていくために、私も努力していきたい」と踏み込んだ。再始動のエンジンが全開になるのも遠くなさそうだ。 (河合仁志)

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安倍氏「菅首相は当然続投」 衆参同日選、基本考えず

2020年11月13日 06時36分04秒 | 社会・文化・政治・経済

11/12(木) 19:55配信

共同通信

インタビューに答える安倍前首相=12日、国会

 安倍晋三前首相は12日、共同通信社の単独インタビューに応じ、来年秋に自民党総裁選を控える菅義偉首相について「当然続投だ」と述べた。次期衆院選については与党が過半数を維持すれば、政権を継続できるとの認識を示した。自身の首相在任中に取り沙汰された衆院選と参院選の同日選を巡り「基本的に私は考えなかった」と明らかにした。3度目の首相就任の可能性は否定した。

【写真】辞任後初、地元入りした安倍前首相 右隣には昭恵夫人

 来秋の総裁選に関し「今年の総裁選で圧倒的に信任された。率直に言って『1年後にまた行うのか』と思う」と指摘。次期衆院選について「菅首相が勝てば、当然続投だ。勝つというのは与党で過半数を得ることだ」と強調した。

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