2019年に「Yahoo!ジオシティーズ」が終了した際には約400万のサイトが消えたそうだ。
じつは、NTTドコモが運営する「gooブログ」も、今年中のサービスを終了する。
今、誰もがアクセスできる言葉が1年後も同じように存在している保証はないのだ。
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じつは、NTTドコモが運営する「gooブログ」も、今年中のサービスを終了する。
今、誰もがアクセスできる言葉が1年後も同じように存在している保証はないのだ。
事業費やCO2排出を大幅削減
震災時の応急活動や避難に必要な、都内の緊急輸送道路などに架かる413橋の7割超がすでに耐震化され、3年後には、ほぼ完了する計画が進んでいます。
一方で、老朽化が進む橋の管理が課題。都によると新しく架け替えるためには、新設の約2.7倍の費用が掛かります。こうした従来の対症療法型の管理では、総事業費が今後30年間で、約1兆6000億円掛かるとともに、環境負荷も二酸化炭素(CO2)の排出量が年間で約5.3万トンに上ります。
これを、長寿命化など予防保全型の管理に転換することで、30年間の事業費は3分の1の約5000億円まで縮減できます。最新の技術により、橋を100年(一部の著名な橋は200年)以上“延命”させる事業で、CO2の排出量も3分の1以下の年間約1.6万トンに抑えられ、30年間で約110万トン削減できる計画です。
全国初の条例制定し、対応急ぐ
東日本大震災では、都内の帰宅困難者が300万人を超えました。これを教訓に、災害時の混乱を避け、都民の命を守るため、総合的な対策を進める都の帰宅困難者対策条例が、昨年3月に制定されました。条例化は全国初で、今年4月から施行されます。
具体的には、(1)事業者に対して一斉帰宅の抑制と従業員の3日間分の食料備蓄(2)駅や集客施設における利用者保護と、学校における児童・生徒の安全確保―などの努力義務を明記。また、官民が協力して「安否確認や災害情報を提供できる基盤の整備」や「一時滞在施設の確保」などを進めるとしています。
この条例を踏まえて都は、昨年11月に実施計画を策定。首都直下地震では、帰宅困難者は517万人に及び、一時滞在施設の需要は最低でも92万人分(東京ドーム約33個分)に上ると想定して、対応を急いでいます。
都防災会議に女性委員登用など
昨年11月に修正された都地域防災計画に、女性の視点を重視した対応が盛り込まれています。
中でも、避難所の運営については、管理責任者に女性を配置することなどを明記。また、女性専用の物干し場や、更衣室、授乳室の設置に加え、生理用品や女性用下着の女性による配布も確認。パトロールの実施や照明による避難所の安全性確保など、女性や子育て家庭のニーズ(要望)に配慮した運営に努めることも盛り込まれました。帰宅困難者対策でも、一時滞在施設に授乳や女性優先のスペースを設けることが示されています。
一方、都防災会議については、これまで女性の委員がほとんど登用されていませんでした。今年1月、公明党は猪瀬直樹知事に女性委員の登用を強く要望。3月13日の都議会予算特別委員会で、公明党の質問に対して猪瀬知事は、都防災会議に「複数の女性委員を登用し、女性の防災専門家の知識を取り入れていく」と表明しました。
ハイパーレスキュー隊など活躍
東日本大震災の被災地で大活躍したハイパーレスキュー隊(消防救助機動部隊)や東京DMAT(災害医療派遣チーム)をはじめ、東京型ドクターヘリなど、全国をリードする“東京の救命部隊”が災害時に威力を発揮しています。
阪神・淡路大震災を教訓に、公明党の提案で1996年12月に発足したハイパーレスキュー隊は、通常の消防力では対応できない災害に、高度な能力を持つ隊員が、大型重機や最新の救助装備で立ち向かいます。東日本大震災では、被災した東京電力福島第1原発で決死の放水作業に挑みました。今月、新たに第9消防方面でも結成され、都内に10カ所ある消防方面本部のうち、5本部まで拡大されます。
東京DMATは、専門の医師や看護師などで編成され、大震災や交通事故などの現場へ急行し、救命処置を行います。2004年8月に7病院体制で発足。昨年3月、新たに3病院が加えられ、現在、25病院体制になっています。
また、24時間体制で患者のもとへ飛ぶ東京型ドクターヘリは、東京全域をカバーしています。
特別借換制度など資金繰り支援
中小企業金融円滑化法が3月末で期限切れとなることから、都独自の新たな融資制度「特別借換」が創設され、3月1日から受け付けが始まっています。借り換えにより月々の債務返済額を低く抑える制度で、中小企業の資金繰りを支援します。
公明党は昨年9月の都議会定例会で、「(これまで円滑化法により返済条件を変更してきた中小企業の間で)このままでは、融資が打ち切られるのではないかとの心配が広がっている」と訴え、対策を求めました。
既存の都の借換制度では、限度額が5000万円などの制限がありましたが、新制度は、借入残高の範囲内であれば限度額を設けず、複数の借入金を一本化できます。また、従業員数が20人以下の製造業(卸、小売、サービス業は5人以下)などの小規模企業者に対しては、保証料の2分の1が補助されます。
一方、地域の金融機関と連携して融資する、都独自の新保証付融資制度も、創設3年で約3000社に利用され、好評です。
延べ100万人利用、8万人就職
若者から高齢者まで、あらゆる年齢層の就職をきめ細かなサービスで支援する「東京しごとセンター」(千代田区)が04年にオープンし、続いて「東京しごとセンター多摩」(国分寺市)が07年に開設されました。
就職のための各種支援を1カ所で提供するワンストップサービスセンターです。マンツーマンのカウンセリングでは、職務履歴の“棚卸(再確認)”や自己分析をした上で、ハローワークや民間の求人情報を利用しながら、適性に合った職業紹介が行われます。
両センターの利用者は開設以来、12年度までで延べ100万人に上り、就職に結び付いた人は8万人を超えました。
点検・整備や保険加入の努力義務
自転車が関係する事故が交通事故全体に占める割合は、全国平均の20%前後に対し、都内では37.3%(11年度)に上りました。
公明党の推進により今月の都議会定例会で、自転車の安全利用を促進する都の条例が制定される見通しです。
同条例案には、利用者に対する(1)安全利用に必要な技能や知識の習得(2)安全基準に適合する自転車の利用と点検・整備(3)ヘルメットの着用(4)損害賠償保険への加入―などの努力義務を明記。都が安全利用指針を作成して公表することも盛り込まれています。また、小売業者の違法自転車の販売や、整備業者の違法な改造の禁止なども定められています。
これまで、警視庁や東京消防庁を含む3万人以上の都職員を被災地に派遣。現在も機動隊などを含む約200人が現地の復興を支えています。中でも、被災地で即戦力となる土木など技術系専門職の「任期付き職員」派遣(47人)は全国初。
福島県への旅行者に1泊3000円を補助する被災地応援ツアーが、13年度も2万泊分(日帰りは1回1500円補助で1万5000回分)実施予定。11年度は被災3県へ5万泊分、12年度は福島県へ4万泊分(日帰り1万5000回分)実施されました。
鉄道事業者や区市町村などと協力し、福島県の生産物販売や観光をバックアップする「ふくしま⇔東京 キャンペーン」。JRの秋葉原や上野の駅構内での「産直市」や、各種イベントでの県産品のPRなどが展開されています。
被災地では体育館や校庭が避難所などに使われ、思うように野球やサッカーができない子どもたちを都内に招き、試合やホームステイを通して交流。11年8月以来、9回開催され、東北の子どもたち180人が思い出を刻みました。
「売り手」が自信を持って福島県の農産物をPRできるように、都内の小売業者などが現地で、農産物の万全な放射線検査体制などを視察する研修会(12年10、11月実施)が好評を博しました。今後、水産物についても実施する方向です。
財政の「見える化」で隠れ借金解消
活用できる基金残高の推移
東京都は、都議会公明党の提案を受け、2006年度に全国で初めて、企業会計の手法である「複式簿記・発生主義会計」を取り入れた「新公会計制度」を導入しました。
10年ほど前、都は深刻な財政難でしたが、当時は、現金の出入りだけを記帳する“家計簿”のような会計手法だったため、将来の負担などが不明確でした。しかし、新制度によって財政が「見える化」され、財産の状況を正確に把握できるようになった結果、都債返済のための積み立て不足など、約1兆円の“隠れ借金”が判明し、わずか2年間でほぼ解消されました。
また、税収減などに備えた“活用できる基金”の残高は、新制度の導入後、約2年間で1兆円積み増しされ、リーマン・ショックや東日本大震災後の財政需要にも、即応できるまでになっています。
さらに、新制度を活用して事業の徹底検証を行い、13年度予算案では約230億円もの財源を確保するなど、職員のコスト意識も大幅に向上しています。
外郭団体を半減。職員も4分の3に
“天下りの温床”との批判もあった都の監理団体(外郭団体)。公明党が一貫して整理統合を訴えた結果、団体数はピーク時の72団体(1993年度)から、現在では33団体まで半減しました。役員退職金の廃止や役員報酬の引き下げなども断行され、99年度に2741億円だった都の財政支出は、13年度には2176億円となり、約21%も削減されています。
一方、都の職員定数は、ピーク時の78年度には22万2789人まで膨れ上がり、巨額の人件費が財政を圧迫していましたが、13年度の定数は16万5379人(予定)となり、35年前の4分の3にまで減っています。
職員の通勤定期代も、支給を1カ月単位から6カ月単位に変更することで、年間約34億円を節約しました。
ポイントサービス「トコポ」実施
環境に優しい公共交通の利用を促す取り組みとして、11年8月から、都営交通に乗車するとポイントがたまるサービス「ToKoPo(トコポ)」が実施されています。この制度は、08年8月に公明党東京都本部青年局が都に要望し、実現したもので、都によると、現在の会員数は約7万6000人となっています。
会員になると、ICカード「PASMO(パスモ)」を使って都営地下鉄や日暮里・舎人ライナーなどに乗車した場合に、1ポイントを1円として換算できるポイントが付与されます。その上で、地下鉄からバスといった都営交通同士の乗り継ぎや、一部を除く土曜・休日の利用には、ボーナスポイントが加算されます。誰でも会員登録が可能で、入会費、年会費は無料です。
大規模事業所の排出量が23%減少
大規模事業所の温室効果ガス排出量削減実績
地球温暖化対策に向けて都は、10年4月から全国で初めて、大規模事業所を対象とした「温室効果ガス排出総量削減義務と排出量取引制度(キャップ・アンド・トレード)」をスタート。二酸化炭素(CO2)排出量の削減に効果を挙げています。
総量削減義務では、大規模オフィスビルや商業施設、工場など1392の事業所が、02~07年度から任意で選んだ連続3カ年度の平均排出量を「基準排出量」に設定。10~14年度の5年間で、施設の内容に応じ、基準排出量の8%または6%を削減します。
排出量取引は、他者の排出削減量を購入し、自らの削減量に充当できる制度で、大規模事業所の義務超過分のほか、要件を満たす都内中小規模事業所が省エネで削減した分も、取引の対象となります。
対象事業所が前年度実績などを記載する「地球温暖化対策計画書」の集計(速報値)によると、11年度は節電の推進などにより、基準排出量と比べて23%もの削減が実現しました。
駅のホームドアなど整備を推進
公明党が長年取り組んできた、バリアフリーのまちづくりが大きく進んでいます。
駅のホームからの転落を防ぐホームドアについては、都営地下鉄三田線の全駅で整備され、同大江戸線でも今年6月に整備完了の見込みです。また、国、都、区が補助を行う新たな仕組みの創設により、小田急、京王の両新宿駅、東急大井町線大井町駅にもホームドアが設置されました。一方、JR山手線では、14年度までに6割を超す駅で設置予定となっています。
さらに、各地の駅や公共施設などへのエレベーターや、身体障がい者用トイレの設置も進められているほか、地下鉄では、色覚障がい者に対応した駅名表示も実現しました。高齢者などが乗り降りしやすいノンステップバスも、全国トップクラスの導入率です。
このほか公明党は、視聴覚障がい者のために音声ガイドや字幕を付けた「バリアフリー映画」についても、積極的に上映を推進しています。
駒込病院に高精度の放射線機器
都民の死因第1位であり、死亡割合の3割を占める、がんについて、公明党は積極的に対策を講じてきました。
中でも、都の「がん・感染症センター」である都立駒込病院(文京区)では、11年9月のリニューアルに伴い、がん細胞にピンポイントで照射する「サイバーナイフ」など、高精度の放射線機器3台を、全国で初めて一度に導入。手術室の増設や通院治療体制の拡充、病状の進行による苦痛を和らげる「緩和ケア」病棟の設置などにより、高度ながん医療を提供しています。
このほか都内では、東邦大学医療センター大森病院(大田区)など、3カ所の病院で電話などによる休日・夜間のがん相談を行っています。
救急など充実し子どもの命守る
10年3月にオープンした都立小児総合医療センター(府中市)。都立多摩総合医療センターと同じ建物内にあり、全国初の試みとなる「小児」と「成人」の総合医療機関の併設となっています。
特に周産期医療では、両センターが連携して重症の妊産婦患者に対応。新生児集中治療室(NICU)24床などを備えており、多摩地域の新生児救急を担っています。
また、小児救急医療では、新生児用と小児用のドクターカーを配備。全国初となる小児専門の救急治療室(ER)では、ほぼ全ての疾患の初期診療に対応し、治療の優先順位を判断する「トリアージ」によって、より病状の重い子どもから治療しています。
公立小・中学校普通教室に冷房設備を導入する市町村に対し、2010年度から財政支援を実施。この結果、市町村での設置率は、22.5%(10年11月)から94.4%(12年度末見込み)へと上昇しました。なお、23区は100%設置済みです。
子どもの医療費は、23区については中学3年生まで完全無料化。市町村については、入院は中学3年生まで無料、通院は就学前が無料で、小・中学生は多くの自治体が受診1件当たり200円までとなっています(一部地域では無料化)。
脳卒中などの重症な疾患により、緊急に母体救命処置が必要な妊産婦を必ず受け入れる「スーパー総合周産期センター」として、昭和大学病院(品川区)や日本大学医学部付属板橋病院(板橋区)など都内4カ所の医療機関が指定されています。
目も耳も不自由な「盲ろう者」の支援センター(台東区)が、09年に全国で初めてオープンしました。コミュニケーションなどの訓練や各種相談、通訳・介助者の養成や派遣などの事業によって、盲ろう者の社会参加を後押ししています。
まちの緑を増やし、子どもの心を育む校庭の芝生化は、11年度末までに公立小・中学校275校、都立学校65校で実施され、幼稚園、保育所、私立学校についても、モデル事業として211カ所に拡大。これらを合計した551カ所の面積は約66.7ヘクタールに。
文中敬称略、肩書は当時
2013年3月25日、26日付 公明新聞
都議会公明党の語れる実績
全国各地のランドマークが「UNHCRブルー」にライトアップされます。故郷を追われた人々への連帯と希望のメッセージが込められたブルーの光にご注目ください。点灯先は順次公開します。
渋谷ザニーさんがデザインした難民の子どもたちへの幸せを願ったブルーのこいのぼりが今年も日本各地に掲げられます。
困難な状況にあるベネズエラ、そして世界中に音楽の力で希望を届け続けるドゥダメルの姿を描いた感動のドキュメンタリー映画。ドゥダメルの歩みを通じて、難民の人々が直面する現実、そして私たち一人ひとりができることを考える時間を持ちませんか?観ることで、難民支援の輪にご参加ください。
世界難民の日特別イベントとして、写真家 ホンマタカシさんと作家 池澤夏樹さんが「難民の旅路と新たな故郷」について語ります。6月15日開催。
アジア福祉教育財団難⺠事業本部/神⼾YMCA/⽇本国際連合協会兵庫県本部
日時:7月2日・9日・23日 各回18時半~20時
場所:神戸市青少年会館 多目的室
佐藤 美由紀 (著)
給料の9割を慈善事業等に寄付し、小さな農場で生活した。
その質素な暮らしぶりから「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれた。
だは「私は貧乏ではありません」「貧乏とは、欲が多すぎて満足できない人のことです」
先月、89の生涯を閉じるまで国民と共にあり続けた。
人間の欲望には際限がない。
だからこそ欲望を制御することが重要だ。
(1)
本当のリーダーとは、
多くの事を成し遂げる者ではなく、
自分を遥かに超えるような
人材を育てる者
(2)
金持ちは政治家になってはいけない
(3)
残酷な競争で成り立つ消費主義社会で
「みんなの世界を良くしていこう」
というような共存共栄な議論は
できるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからが
ライバルなのですか?
(4)
私たちは発展するために
生まれてきたわけではない
幸せになるために
地球に生まれてきたのだ
(5)
国を治めるものの生活レベルは
その国の平均でなければならない
(6)
大統領官邸に住んで
42人の職員を雇うぐらいなら、
学校のために経費を
使いたいので、住まない
(7)
大統領は、
多数派が選んでくれたんだから、
多数派と同じ生活をしなきゃいけない
(8)
石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロール
しなければならないと
言っているのです
(9)
私は、消費主義を敵視しています。
現代の超消費主義のおかげで、
私たちは最も肝心なことを
忘れてしまい、人としての能力を、
人類の幸福とはほとんど関係がない
ことに無駄使いしているのです
(10)
人間とは何なのか、
何度も自分に問いかけた
(11)
本当に日本人は
幸せなのかと疑問である
(12)
政治とは全ての人の
幸福を求める闘いなのです
(13)
我々はあの世に何も持っていけない。
後世に教育を残すのです
(14)
自分にとっての
幸せを探して下さい
(15)
日本にいる子供たちよ。
君たちは今人生で
最も幸せな時間にいる。
経済的に価値のある
人材となるための勉強ばかりして、
早く大人になろうと急がないで。
遊んで、遊んで、子どもでいる
幸せを味わっておくれ
(16)
人間は命のあるものからしか
幸せにしてくれないものなんだ、
モノからでは幸せにしてくれない
(17)
物を買うというのは、
稼いだ金で買っているのではなく、
労働をした時間で買っているのだ
(18)
人生で最も重要なことは
勝つ事ではありません。
歩み続けることです
(19)
私は貧乏ではない。質素なだけです
(20)
世界を変えられるわけではありませんが、
あなた自身は変わることができるんですよ
(21)
貧しい人というのは、
ものをもっていない
人のことではない。
真に貧しい人というのは、
際限なくものを欲しがり
永遠に満たされない
人のことである
- ホセ・ムヒカ -
SNSで誹謗中傷行為を行い炎上に加担する人は、SNSが自分のストレスのはけ口になっていたり、強い承認欲求が背景にあることが多い。
さらに、正義感のつもりで悪気なく炎上に加担しているケースもある 。
SNSでの炎上を回避するには、炎上しやすいキーワードを理解し、注意深く拡散を行い、自分のネット上での行動を客観視する必要がある。 万が一炎上しても迅速に適切な対応を
誹謗中傷で得られる優越感は一時的なもので、根本的な自己評価が改善されないまま、同じ行動を繰り返すリスクがあります。
適切なストレス解消法を持たず、SNSで一時的な快楽を得ようとする心理が、誹謗中傷を引き起こす一因となっています。 特にマウンティング欲求がある人にとっては、匿名性がその行動をさらにエスカレートさせる背景になるのかもしれません。
SNS上での誹謗中傷の原因・心理はなんでしょう。なぜ誹謗中傷が起こるのでしょう。
X(旧Twitter)、LINE、匿名掲示板…現代ではインターネット上のあらゆる場所でひどい誹謗中傷が行われています。誰でも、誹謗中傷を受ければ傷つくものです。
そんな疑問を持つ方も多いでしょう。
今回は、ネットで誹謗中傷や悪口を書き込む人の特徴や性格、なぜ誹謗中傷が起こるのかその原因などを解説していきます。
目次
ネット誹謗中傷する人の心理・性格には、一定の傾向があります。
今回は主に6つの理由を取り上げて、原因をご紹介していきます。
ネット上で他人を誹謗中傷をする人は、現実世界で上記のようなコンプレックスを抱えているケースが多数です。
コンプレックスのある人は、自分に劣等感を感じている分自分より優れている人に嫉妬しやすく、何かあるとすぐに感情が高まって攻撃的になってしまいます。
たとえばお金のない人はある人を妬んで攻撃するでしょうし、容姿の劣っている人は優れている人を叩こうとすることがあります。
執拗に攻撃してくる人がいる場合、相手はあなたに嫉妬しているのが原因かもしれません。
ネットをみていると、たびたび誰かを誹謗中傷している人がいるものです。
そういう人は、ネットで他人を攻撃することにより日頃の鬱憤晴らしをしている可能性があります。
など、事情のある人は本人が意識しているかどうかにかかわらず「ネットの世界だけでも偉そうにしよう」とするのが原因と言えるでしょう。
ネット上で誹謗中傷が行われるとき、「正義感」が元となるケースも多いのをご存知でしょうか。
たとえば、ふとした不注意で炎上した匿名の個人アカウントを執拗に追いかけて特定し、プライバシー情報を晒そうとする人がいます。
このような人は、対象者のミスを許せないと思い、私的に罰を与えるために特定や情報公表などを行っています。
と自分を正当化しているのが原因です。
しかし、炎上のきっかけとなった行為や事情が違法ではないケースも多いですし、仮に違法であっても勝手にプライバシー情報を晒していい理由にはなりません。
正義感による行為だとしても法的には許されないものです。
人は誰しも、程度の差こそあれ「他人よりも優位に立ちたい」という意識を持っているものです。
実社会ではなかなか人の上に立ったり尊敬されたりするのは難しいものですが、ネットなら比較的簡単です。
例えば、炎上している人や自分より劣位な誰かを攻撃し、謝罪を受けることで簡単に優越的な気分を味わうことができます。
また、自分よりお金のない人・自分より学歴の低い人・自分より不幸な環境にある人などを蔑むことにより、「自分は恵まれているのだ」「こいつよりはマシだ」と思い込もうとしている人もいます。
ネットで攻撃を受けると、萎縮して怯えたり、鬱状態になったりと精神的に不安定になる人がたくさんいます。
実は、そうした相手の反応を楽しむ悪質な人がいるのです。
現実に誰かをいじめたり動物を虐待したりするのはリスクがあってハードルが高くても、匿名で顔の見えない相手をいじめるのは抵抗が小さいものです。
普段は誰かを攻撃するタイプの人でなくても、ネットでは人が変わったように冷酷になり、誰かを攻撃して追い詰めるのを楽しむケースが原因の場合もあります。
ネット掲示板やSNSは匿名で利用することができます。
そのため、悪口や誹謗中傷も匿名で投稿でき、同居している家族にすら知られずに書き込むことも簡単です。
基本的には簡単に特定することができないため、どんなに酷いことを書き込んでも周囲から責められる心配がありません。
このネットの「匿名性」という安心感に漬け込んで誹謗中傷を行っている人がいるのです。
加えて、匿名というのは逆に相手の顔も見えません。
相手がどれほど傷ついているのか、苦しんでいるのかを気づくことができないという問題もあります。
また、ネット上で炎上したら、多くの人が対象者を攻撃します。
そうなると集団心理で「周りの人もやっているから」という気持ちで安易に便乗して攻撃してしまうことがあるのです。
いったん集団心理で攻撃性のスイッチが入ってしまうと、止められなくなって酷い言葉を投げかけるケースが少なくありません。
その意味でも「炎上」は非常に恐ろしいと言えます。
もともとあなたの敵になるべきでない人でも、炎上したとたんに集団心理で豹変して攻撃してくる可能性があります。
相手があなたを執拗に狙ってくる場合、いったん投稿やアカウントを削除させても別のアカウントから誹謗中傷を繰り返すことがあります。
そんなときは、相手を特定して損害賠償請求をしましょう。
基本的に、投稿者を特定するには法的な対応が必要です。
被害者が自分でサイトの管理者に連絡しても情報開示を受けられないケースがほとんどなので、弁護士などの専門家に依頼するようお勧めします。
相手を特定できたら不当な投稿を二度としないと約束させ、慰謝料を支払わせることができます。
相手が開き直って慰謝料の支払いに応じなかったり特定後もしつこく嫌がらせを続けたりするようであれば、刑事告訴をして名誉毀損罪で逮捕してもらえる可能性もあります。
といった、6つの心理と特徴を持っています。
ネット誹謗中傷や名誉毀損がこれだけ社会問題になっているにもかかわらず、一向に減らないのは、書き込みをしている人たちに「犯罪を行っている」という認識がなく、「人を傷つけている」認識もないためです。正義心でおこなっていることもあるため、一向に誹謗中傷がなくなりません。
なぜSNSネット誹謗中傷が起こるか、心理・原因などを解説しました。
ネット誹謗中傷をする人は、基本的に矮小でコンプレックスにまみれていたり、現実社会で満たされない思いを抱えていたりする人間が多数です。
いちいち相手を気にかけて、あなたが気に病む必要はありません。
とはいえ、誹謗中傷をされることは意外と精神的にくるものです。
被害を受けて困っている場合は、まずは友人や相談窓口などの相談しやすい場所で話を聞いてもらい、一緒に解決方法を探してもらいましょう。
また、あまりにも被害が大きい場合は、弁護士に相談して法的な対処をとってもらうことも1つの手です。
明治維新という 日本の革命が、なぜ多くの血を流さず遂行できたのか?
「文明の衝突」のハンチントン、そして英歴史家のアーノルド・トインビーが共通して注目したことだ。
トインビーはある対談(池田大作SGI会長)で、その原因について「仏教」と答えている。
仏教、あるいは儒教、神道。
そして神仏習合。日本には西洋の思想とは違う宗教の多元的な思想があり、そこに希望を、見いだそうとした。
それはガンジーの思想(非暴力、不服従を提唱)にもつながっている。
日本は歴史の中で豊かな文化的伝統と平和思想を根付かせてきた。
それなのに、近代化を戦後民主主義の神話の中で大切なことを見失ってきているのではなしか。と改めて問いたいのだ。(毎日新聞6月10日)
山折哲雄さん
現代社会では、短絡的な思考が多くの場面で問題視されています。深く考えずに物事を判断することで、予期しないトラブルを招いたり、人間関係にヒビが入ったりすることがあります。本記事では、短絡的な思考に陥る主な原因を4つに分けて詳しく解説し、それぞれの改善策について提案します。
1. 甘やかされる環境での成長
苦労を経験せずに育つと、自分で考えたり責任を持ったりする意識が育ちにくくなります。親や周囲が過剰にサポートしてくれる環境では、自分で問題解決をする機会が少なくなり、短絡的な思考が習慣化しやすくなります。
改善策
• 自主性を育てる:親は子どもに対して、ある程度の課題や責任を与えることで、自ら考える力を促すことが重要です。
• 失敗を受け入れる:失敗を恐れず、そこから学ぶ経験を重ねることで、物事を深く考える習慣をつけることができます。
2. 自己中心的な思考パターン
自己中心的な人は、他者の意見に耳を貸さず、自分の考えだけを正しいと信じがちです。このような思考パターンは、自信過剰や視野の狭さが原因となりやすく、客観性を欠いた判断を招きます。
改善策
• 他者の意見を聞く習慣をつける:ディスカッションやチームでの作業を通じて、多様な意見を受け入れる練習をすることが有効です。
• 自己評価を見直す:定期的に自分の行動や判断を振り返り、周囲のフィードバックを求めることで、バランスの取れた視点を養えます。
3. 楽観的な性格
「なんとかなる」という楽観的な性格はポジティブな一面もありますが、準備不足やリスク管理の軽視につながりやすい傾向があります。これにより、予期しない失敗やミスを招くことがあります。
改善策
• リスクを事前に考える:行動する前に、最悪のケースや失敗時の対応策を考える習慣を持つことが大切です。
• 計画を具体化する:行動前に目標や必要な手順をリスト化し、確認を怠らないことで準備不足を防ぎます。
4. 計画性の欠如
計画を立てず、思い付きで行動することが、短絡的な思考につながります。特に、チームでのプロジェクトでは、計画性の欠如が他のメンバーに負担をかけ、全体のパフォーマンスを下げることがあります。
改善策
• 短期目標と長期目標を設定する:大まかな方向性を決めた後、細かいステップに分けて行動することで、目標達成の精度が上がります。
• 進捗を定期的に確認する:計画に沿って行動しているかをチェックし、必要であれば計画を修正する柔軟性も持ちましょう。
まとめ
短絡的な思考は、環境や性格、習慣による影響を受けやすいものです。しかし、それらの原因を理解し、改善に取り組むことで、物事を深く考える習慣を身につけることができます。自己成長を目指し、周囲との関係を良好に保つためにも、日々の行動や考え方を見直してみましょう。
自分の思考パターンに課題を感じている方は、まず小さな改善から始めてみてはいかがでしょうか?
少子化は人口減少を加速させ、労働投入量や個人消費の減少に繋がる点で、経済社会に対するマイナスの影響を有している。
このような情勢の中、今後我が国経済が持続的に成長していくためには、個々人の結婚や出産の希望が叶う社会を実現することによって、少子化・人口減少に歯止めをかける必要がある。
そこで、今年度の経済財政白書第2章では、主に経済的側面から少子化の要因とその対策を考察した。
Q2 どうして日本では少子化が深刻化しているのですか。
A2
●少子化の変遷
戦後の日本は経済成長による所得水準の向上、国民皆保険・皆年金など社会保障の充実、医療技術の向上等により豊かな生活環境が整ってきており、1960年頃からはそれまでの多産少死から少産少死への人口転換が進み、1975年前後までの合計特殊出生率は人口置換水準前後の2.1前後で推移してきた。
1971~74年の第二次ベビーブーム以降、第一次オイルショックによる経済的な混乱や、人口増加傾向を受けて静止人口を目指す考え方が普及したこと等により、生まれる子どもの数が減少し続けるようになり、1975年に合計特殊出生率は2.0を割り込む1.91にまで低下した。低下し続ける合計特殊出生率は1980年代初めにやや回復したものの、80年代半ばから再び低下し続け、人口置換水準からのかい離も大きくなっていった。
●80年代以降の少子化の要因
<非婚化・晩婚化・晩産化>
少子化に影響を与える要因として、非婚化・晩婚化及び結婚している女性の出生率低下などが考えられる。1970年代後半からは20歳代女性の未婚率が急激に上昇したほか、結婚年齢が上がるなど晩婚化も始まり、1980年代に入ってからは、30歳代以上の女性の未婚率も上昇しており、晩婚と合わせて未婚化も進むこととなった。
年齢別出生率を見ると、1950年・70年は20代半ばでピークを迎える山型の曲線を描いているが、次第にそのピークが推移していき、出産年齢が上昇するとともに、出生率の高さを示す山が低くなっていくなど、出生率の低下と晩産化が同時に進行していることがわかる。また、1980年代以降は、晩婚化・晩産化により、20代の出生率が大幅に下がり、30代の出生率が上昇するという出生率の山が後に推移する動きがみられるようになった。
さらに、デフレが慢性化する中で、収入が低く、雇用が不安定な男性の未婚率が高いほか、非正規雇用や育児休業が利用できない職場で働く女性の未婚率が高いなど、経済的基盤、雇用・キャリアの将来の見通しや安定性が結婚に影響することから、デフレ下による低賃金の非正規雇用者の増加などは、未婚化を加速しているおそれがある。
<女性の社会進出・価値観の多様化>
1985年に男女雇用機会均等法が成立し、女性の社会進出が進む一方で、子育て支援体制が十分でないことなどから仕事との両立に難しさがあるほか、子育て等により仕事を離れる際に失う所得(機会費用)が大きいことも、子どもを産むという選択に影響している可能性がある。
また、多様な楽しみや単身生活の便利さが増大するほか、結婚や家族に対する価値観が変化していることなども、未婚化・晩婚化につながっていると考えられる。
●少子化への取り組み
1990年の「1.57ショック」により厳しい少子化の現状が強く認識されるようになったものの、最初の総合的な少子化対策である「エンゼルプラン」がまとめられたのは1994年、少子化社会対策基本法が制定されたのは2003年であった。1970年代から整備された高齢者向け社会保障制度に比べて、少子化対策は非常に遅れをとっている。
少子化社会に関する国際的な意識調査によれば、「あなたの国は、子どもを産み育てやすい国だと思いますか」の質問に対して、日本では4割以上が「そう思わない」と回答しており、国際的に見てその割合は相当に高い。
フランス第三共和政下で起こった反ユダヤ主義による冤罪事件。
1894年、ユダヤ系軍人ドレフュスがドイツのスパイとして告発され、無罪を主張したが軍法会議で有罪とされ入獄した。
参謀本部による証拠の偽造が疑われ、1898年、作家ゾラ、言論人クレマンソー等が再審を要求。
他方、反ユダヤ主義者やカトリック教会、国家主義(ナショナリスト)は再審に反対し、国論が二分された。
参謀本部があげた証拠の一部が偽書であることが判明するなど、ドレフュスに有利な状況となって、翌99年、再審となったが、結果は再び有罪となった。
ドレフュスには特赦が与えられ、出獄したが、最終的に無罪が確定するのは1906年となった。
第三共和政は危機を脱し、裁判支援を通じ自由主義、民主主義、社会主義者・知識人や発言が強まり、人権思想・政教分離の原則が確立に向かった。
反ユダヤ思想は後退したが、保守的思想、ナショナリズム運動が組織される契機ともなった。
ドレフュス事件の意義
ドレフュス事件は、フランスの第三共和政の共和政治を脅かす事件であった。ユダヤ人問題
根強いカトリック教国であるフランスでは、ユダヤ人はキリストを裏切ったユダの子孫という単純な憎悪があった。事件の経緯
参考 ドレフュス事件をめぐって
ドレフュスという人物 アルフレッド=ドレフュス Alfred Drefus 1859-1935 はアルザス出身のユダヤ人。(引用)イストワール(歴史、思い出)? 当時のドレフュス大尉には、自分のイストワールなんか語れはしなかった。彼はそれを理解していなかった。彼はそれを知らなかった。あれ(名誉回復)から30年ほどたって、彼は自分が望んだ隠遁生活のあげく、つい先日(1935年7月11日)死んだ。彼の名は世界中に溢れたけれども、もしかしたらそのことさえ彼は忘却していたのかもしれない。
誠実な精神をもった謙虚な人柄で、寡黙で不屈の勇気を別にしたら、英雄めいたところはつゆほどもなかった。どこまでも純朴で、権威や虚飾や雄弁などもちあわせていなかったから、判事たちを前にしても「無実の叫び」を彼は発せられなかった。・・・もしも彼がドレフュスでなかったとしたら、はたして彼は《ドレフュス派》になっていたであろうか。<レオン・ブルム/稲葉三千男訳『ドレフュス事件の思い出』1998 創風社 p.49>ユダヤ人はどう受け止めたか 軍法会議でドレフュスを有罪とした陸軍参謀本部は、当初はこの事件を軍内部だけで処理しようとしたが、事件を知った反ユダヤ主義の急先鋒の日刊紙リーブル・パロール紙が「大逆罪!、ユダヤ人将校の逮捕!ドレフュス大尉!」といいう大見出しで報じたことで一気に世に知られることになった。
(引用)再審請求のキャンペーンがはじまったとき、大多数のユダヤ人は、疑い深い目で慎重に見守ろうとした。彼らのあいだを支配していた感情は、「この動き(再審請求)にはどうも、ユダヤ人はかかわるべきでないぞ」といった形で表現できよう。この複雑な感情を分析すると、いろいろの要素がいろいろな比重でふくまれている。
すなわち、愛国心――――それも外国の動きに敏感すぎる反応をする愛国心――――もあれば、軍隊への敬意、とりわけその幹部らへの信頼もあり、不公正で正道を踏みにじっているとみなした人たちへの嫌悪もあった。ただし同時に、一種の利己的で臆病な…………もっと厳しい用語で呼ぶこともできる…………慎重さもあった。
ユダヤ人にしてみれば、自分たちがドレフュスを擁護しているとは思われたくなかった。なぜなら、ドレフュスがユダヤ人だったからである。彼らは自分たちの態度が、民族の違いや、民族としての連帯に由来すると解釈されたくなかった。
とりわけ彼らは、別のあるユダヤ人を擁護しようとすることで、そのころ誰の目にも明らかな激しさで猛威を振るいはじめていた反ユダヤ主義感情の火に、油を注ぎたくなかった。(中略)富裕なユダヤ人も、中流ブルジョアのユダヤ人も、官僚になったユダヤ人も、ドレフュスのための闘争への参加をびびった。・・・<レオン・ブルム『同上書』.19-20>ドレフュス派の人びと ドレフュスを擁護し、再審運動を始めたのは、兄のマチューと妻のリュシーであり、その訴えを受け止めた弁護士たちだった。
6月6日午後11時からCSテレビのザ・シネマで観た。
『オーメン』(The Omen)は、1976年に製作されたアメリカ合衆国の映画作品。6月6日午前6時に誕生し、頭に「666」のアザを持つ悪魔の子ダミアンを巡る物語。
音楽を担当したジェリー・ゴールドスミスが第49回アカデミー作曲賞を受賞した。
題名の“omen”は一般的な英語で前兆のこと。
『オーメン2/ダミアン』(1978年)、『オーメン/最後の闘争』(1981年)、『オーメン4』(1991年)とシリーズ化され、1976年版をリメイクした同名映画『オーメン』(2006年)も製作された。2016年にはテレビシリーズ化された(Damien)。
6月6日午前6時、アメリカ人外交官であるロバート・ソーンはローマの産院にて、死産した我が子の代わりに、同時刻に誕生した孤児である男子を妻のキャサリンにも秘密で養子として引き取り、ダミアンと名付ける。
ほどなくして駐英大使に任命され、その後も公私共に順風満帆な生活を送るロバート。
しかし、ダミアンの5歳の誕生日に、乳母が「あなたのためよ」と叫んで首つり自殺をする。ロバートは大使館で記者が群がる中、写真家のジェニングスとぶつかり、カメラを壊してしまう。弁償を申し出るが、ジェニングスは「いいえ、貸しにしておきます」と断る。さらに大使館にローマからやって来たブレナン神父が「奴はあなたの全てを奪う」と意味深な助言を放ち、「ご子息の出産に立ち会った。あれの母親を見た」と告げる。息子を入れ替えた事に対する脅迫だと感じたロバートは神父を追い返す。その後、死んだ乳母の代わりに斡旋所から派遣されたと自称する新しい乳母がやって来る。乳母はダミアンに「そなたを守りに来た」と微笑む。
再びブレナン神父が来て「奴は母親も、お腹の子も殺す。奴は悪魔の子だ。ブーゲンハーゲンに会え」と告げるが、ロバートは全く聞く耳をもたなかった。直後、神父は雷に打たれた教会の塔の落ちてきた避雷針に串刺しにされて死んだ。さらにキャサリンがダミアンの三輪車と衝突し、階下に転落し流産してしまう。
悲しみにくれるロバートの元にジェニングスから連絡が入る。彼のアパートへ出向くと、死んだ乳母と神父の生前の写真には予兆が写っていたと聞かされる。さらに神父の部屋で「5年前の6月6日に彗星の形が2000年前のベツレヘムと同じ形になった」という記事を見つける。ロバートは「本当の息子は死んだ。今の子は誰の子かもわからない」と告白する。協力を申し出るジェニングスだが、ロバートは「これは私の問題だ」と断る。しかしジェニングスは「私の問題でもある」と言い、自身を写した写真を見せる。そこには首に亀裂のような影が写っていた。
2人はダミアンの出生の謎を暴くため、ローマの産院へ向かうが、当時の建物は記録室からの火事で焼け落ちていた。なんとか当時、ダミアンを世話した神父にたどり着き、出生の秘密を問いただす。神父はわずかに動く手でチェルベットと書いた。そこは古い墓地であった。
2人は墓地へ向かい、そこで6月6日に死んだ者の2つの墓があった。母親の墓を開けると、そこには白骨化した山犬の死骸が横たわっていた。ロバートは息子の墓も開けると、頭部に穴の開いた赤子の亡骸が横たわっていた。自分の息子が殺されたと知ったロバートは、入院中のキャサリンにロンドンを離れるように言う。しかし、キャサリンは直後に乳母に突き落とされて死んだ。
ロバートはブーゲンハーゲンに会い、悪魔の子を殺す方法と短剣を受け取る。悪魔の確認方法は「体のどこかに666のあざがある。見当たらない時は髪を切って頭部を確認せよ」と告げられる。しかしロバートは躊躇し、短剣を投げ捨てるが、短剣を拾おうとしたジェニングスが後退するトラックの荷台から滑り飛んだガラス板によって首を飛ばされてしまう。ロバートの迷いは消え、短剣をロンドンへ持ち帰った。ダミアンの髪を切り、頭部に666のあざを発見する。
すると突然、乳母がロバートを殺そうと襲いかかるが、彼はアイスピックで返り討ちにする。ロバートはダミアンを連れ、教会へ車を走らせた。祭壇でダミアンを刺し殺そうとするが、追跡してきた警官に射殺される。ソーン夫妻の葬儀にて、大統領に引き取られたダミアンが墓前で微笑む。
役名 | 俳優 | ||
---|---|---|---|
ロバート・ソーン | グレゴリー・ペック | ||
キャサリン・ソーン | リー・レミック | ||
ジェニングス | デビッド・ワーナー | ||
ベイロック夫人 | ビリー・ホワイトロー | ||
ダミアン | ハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス | ||
ブレナン神父 | パトリック・トラウトン | ||
スピレット神父 | マーティン・ベンソン | ||
ベッカー医師 | アンソニー・ニコルズ | ||
モンク | ロバート・リエッティ | ||
ブーゲンハーゲン | レオ・マッカーン[3] | ||
「創価教育学とは人生の目的たる価値を創造し得る人材を養成する方法の知識体系」とし、価値創造力の豊かな人格を育むことが、教育の目的である。
これは、子どもたち一人一人が自分で価値を創造し、幸福な人生を送ることを目指すものだ。
特に「人材」という言葉のごとく、満々たる価値創造をもって、自他共の幸福を広げゆく人間を輩出し、 ひいては社会をもよく変えていくのである。
教育改革から社会改革へ、その根底に人間改革へ、牧ロ 常三郎の平和への戦いは、やがて軍部政府の弾圧を受け、73歳での獄死に至る。
牧ロ 常三郎(つねさぶろう)1871年7月23日(明治4年6月6日)- 1944年(昭和19年)11月18日)は、日本の教育者、宗教家。
牧ロ 常三郎 1871年7月23日(明治4年6月6日)、柏崎県刈羽郡荒浜村(現:新潟県柏崎市)で渡辺長松・イネの長男として誕生。出生名は渡辺 長七(わたなべ ちょうしち)。1877年、親戚である牧口善太夫の養子となる。
1885年に尋常小学校を卒業後、単身、北海道へ職を求めて渡る。小樽警察署の給仕をしながら苦学の末に、1891年、札幌の北海道尋常師範学校(現:北海道教育大学)第一学部3学年に編入。
1893年、常三郎(つねさぶろう)と改名。同年3月に卒業し、母校の付属小学校の教師となる。当時24歳であった1895年、牧口熊太郎の二女クマ(当時18歳)と結婚。1901年、母校の助教諭となる。
1902年、国粋主義で知られる地理学者の志賀重昂の門を叩く。1903年、人間の生活と地理との関係を論じた『人生地理学』を32歳で発刊。牧口は志賀に校正・批評を依頼し、志賀は同著に序文を寄せた。同著は新渡戸稲造や柳田國男らの目に留まることになり、新渡戸宅で開催された「郷土会」にも牧口は名を連ねている。地理学者である牧口と民俗学者である柳田が共に研究・現地調査を行った記録も残されている。
1905年、教職を辞して上京する。富士見、東盛、大正、西町、三笠、白金、新堀の各小学校の校長を歴任。1912年には『郷土科研究』を発刊。1916年、信仰の道を求め、田中智学の講演を聞くため東京・鶯谷の国柱会館へ何度か通う[1]。
1920年、牧口のもとを戸田城聖(後の創価学会第2代会長)が訪問。牧口は戸田を同校の代用教員(訓導)として採用する。1922年、白金尋常小学校に転勤する。
1928年、目白商業学校校長であり南池袋の日蓮正宗常在寺に所属する法華講「大石講」の三谷素啓に折伏を受ける。「釈迦が説いた釈迦滅後の仏教変遷の予言が日蓮によって実証されたこと」と「正しい宗教(法華経)に基づく人間変革を基盤に社会を変革するという『立正安国』の思想」に強く共鳴し[2]、日蓮正宗に入信する。牧口は戸田を折伏し、戸田もほぼ同じ時期に入信する。
1931年、牧口は日蓮正宗寺院中野教会所(後の昭倫寺)の住職堀米泰栄と5年に亘り、毎週共同で仏書を研究し信仰に励む[3]。
牧口は、宗教の価値を「実験証明」することであると強く主張した[4]。
「 | 「宗教というものは体験する以外にわかるものではない」 「水泳をおぼえるには、水に飛び込む以外にない。畳の上では、いくら練習しても実際にはおぼえられない。勇気を出して自ら実験証明することです」 |
」 |
1930年11月18日、『創価教育学体系』第1巻を刊行する。なお、創価学会はこの日を創価教育学会設立の日としている。1931年、教職を辞し、宗教・教育活動に専念。同年に出版した『創価教育学体系』第2巻(『価値論』)で唱えた「創価教育学」は、新渡戸稲造や柳田國男らから評価された。
牧口は著書において「人生の目的は価値創造にある」という理念を唱え、価値の対象として「美・利・善」を挙げている。これはヴィンデルバンド(新カント学派代表)の価値体系である「真・善・美」と一線を画すものである。「真理は認識の対象であり価値の当体ではない。主体と客体の関係の中にこそ価値は存在する」として、新カント学派の説く「真」の代わりに「利」の価値を説いた。
創価教育学体系の刊行を機に、「創価教育学支援会」が結成された[5][6]。同会には『創価教育学体系』を高く評価した新渡戸稲造、柳田國男、犬養毅ら28名が参加した。
1936年4月30日、教育者による創価教育学会春季総会を開催し、機関紙『新教』を発刊。同紙は7月号から『教育改造』と改題される。1939年12月、麻布の菊水亭にて創価教育学会の事実上の第1回総会を開催。
1941年には機関誌『価値創造』を発刊するが、翌年廃刊。戦時下の特別高等警察による監視が続けられる中で、牧口は国内各地において大善生活実験証明座談会を開催し、戦前の最盛期には、後の創価学会の最高幹部となる和泉覚、辻武寿、原島宏治、小泉隆らを含め、3000人の会員を擁すまでとなる。
1943年5月、神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊となる[7]。6月、日蓮正宗総本山大石寺に呼ばれた牧口と戸田らは、管長鈴木日恭と堀日亨同席の下、庶務部長から「学会も一応、神札を受け取るようにしてはどうか」と申し渡されるが、これを拒絶する(神札問題)[8]。その後、創価教育学会は登山を禁止された。
同年7月6日、伊豆下田での座談会開催直後、伊勢神宮の神札を祭ることを拒否したために、治安維持法違反並びに不敬罪の容疑で下田警察署に連行される。同日、戸田らも検挙。この一連の弾圧で21名の幹部が検挙された。牧口は獄中においても転向を拒否し、1944年11月18日、東京拘置所内の病監で栄養失調と老衰のため死去した。
死後は創価学会初代会長とみなされ、また殉教者として尊敬されている。毎年11月18日は「殉教の日」とされる。また1993年10月には、八王子市に牧口を記念して創価学会東京牧口記念会館が開館した[9]。
墓地は東京都八王子市の日蓮正宗高尾墓園の特別区画および日蓮正宗大石寺にある。墓園のほうには遺骨が入っていない。墓園は、1963年創価学会が寄進し、1980年正信会による管理になり、1999年日蓮正宗による管理が裁判で確定し、正信会による事実上の管理が継続中である。1970年1月18日、墓園の墓79基が荒らされていたのが発見され、牧口の墓石も倒されていた。警視庁は創価学会に恨みを持つ者の犯行として捜査を行った[10]。
選挙が「推(お)し活(かつ)」化している――。そんな指摘が政治学者らから寄せられている。好きなアイドルにファンが熱中するかのように、政治家を「推し」にして応援する風潮が有権者の間に広がっているというものだ。夏に迫る参院選で、推し活的選挙は影響力を持つのだろうか。
かつては推し活という言葉こそなかったが、政治家個人を評価して支持するという行為はあった。政治家の個人後援会はその一例だろう。
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「推し活」とは?