利根競太郎の競輪人間学 究極の出目作戦

2024年08月31日 21時35分57秒 | 未来予測研究会の掲示板

出目作戦は、理屈ではないのだ。

 GⅢ 富山競輪 瑞峰立山賞争奪戦WT杯

7レース 4-1(1,970円(5))

8レース 6-4 1万2,250円(27)

9レース 4-5 1万2,240円(28)

10レース ?

利根競太郎は、出目の流れから10レースも4番が軸になるものと確信した。

並び予想 3-7 1-9-6 4-2 8-5

レース評

滅法強い藤井を得た山口がS班の力量を披露。菅田−内藤のスピードや、太田と組む森田、石塚次第で山本も圏内

1番人気 9-1(3・3倍)

利根競太郎は、当然、出目作戦で4番を軸にして車券を買ったのだ。

4-9 9-4 4-1 1-4 

さらに9レースの4-5の下がり目の4-3 3-4である。

「これは、勝負」と、2車単車券を各500円を買ってみた。

3連単はやめた。

結果




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
  1 4 石塚 輪太郎   9.4 B 3番手捲り
× 2 3 菅田 壱道 3/4車身 9.4   大外捲上げ
3 7 内藤 秀久 1車輪 9.4     捲乗中迫り
4 9 山口 拳矢 タイヤ差 9.1     不利届かず
5 1 藤井 侑吾 1/2車身 9.4     後方置かれ
6 5 森田 優弥 1/4車輪 9.6     番手捲踏負
7 2 山本 伸一 1車身 9.5     捲りに離れ
  8 6 岩本 和也 7車身 9.8     殿尻離れて
  9 8 太田 龍希 大差 12.4     機関車役で
 
2

3=4
890円(4)
2

3=4
7,090円(20)
3

3=4=7
1万1,500円(33)


3=4
1,500円(17)
3=7
580円(7)
4=7
3,500円(28)
4-3
1,970円(8)
4-3
1万9,520円(40)
4-3-7
15万1,600円(224)

 

 

 


子育てのエビデンス―非認知能力をはぐくむために何ができるか

2024年08月31日 13時44分21秒 | 社会・文化・政治・経済

藤原武男 (著)

末冨芳氏(日本大学教授)推薦
子どもは「ほめて育てるのが大事」、その先が知りたいあなたへ
将来の見通しがつかない「不確実な(VUCA)時代」を生き抜くために必要なスキルをはぐくむ,エビデンスに裏付けられた「確かな」子育てを示す

医学からみた「幸福は人に伝わる」 


何のためにの子育て?

2024年08月31日 12時25分00秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

子育ての目的は「子どもが自分自身で成長できるのうになること」だ思います。

子どもが自分を奮い立たせ、困難にぼつかっても乗り越え、自分で自分を成長させることです。

それが、その子の幸福につながります。

ただし、何に幸福を感じるかは、子ども自身にしかわからないものです。

親が子どもに、幸福自体を与えることはできないと思います。

けれども、幸福を得るためのスキルを育てることはできます。

何かをやりたいと思う心、そして困難に立ち向かう心を育てることはできます。

子どもが、自分でやりたいことを見つけ、その道で試行錯誤を繰り返し、人間的に成長していく―そうした本当の意味での自己実現が、最終的には重要になるのではないかと思います。

やりたいこと成し遂げるために、さまざまな能力が必要です。

読み書きや知能などの「認知能力」と、人間力や生きる力にもつながる「非認知能力」、それらの前提になる「健康・体力」が相互に関連します。

今、世界は激変し、将来の予測がつかない<不確実な時代>になっています。

こうした時代において、子ども幸福のために必要な力を考えことが、本来の意味で<子どものためになる>子育てにつながるはずです。

子ども自身が安全を感じられる、自分にとっての「安全基地」を持っている感覚が、アタッチメント。

主に「愛着」と訳され、子どもの心の状態を指す言葉です。

それは、自分の全存在を肯定してくれる、帰るべき「母港」であり、よって立つ「大地」があるといういうことです。

例えば、赤ちゃんが泣いたら、親がそれに応えミルクをあげる。

こうしたやりとりを重ねて、アタッチメント「愛着」が形成されます。

アタッチメントができると、探索行動つまり「遊び」が始まり、子どもは自分でやりたいことに向けて動き出せるようになります。

アタッチメントは、ストレスに強い性質や多少のリスクを取って行動できる能力につながるのです。

さらにアタッチメント形成によって、子どもは人を信頼できるようになります。

ケアを求めたら、相手が応答してくれたという経験を重ねると、他者の行動が予測できるようになるからです。

さらに養育者から肯定されることで、自分自身を信じることができるようになります。

甘えなどの子どもの求めに対し、親などが必要なケアを行う、こうしたやりとりをテニスに例えて、「サーブ・アンド・リターン」とも呼びます。

けれど、全ての要求に気付き、完璧なリターンすることは不可能です。

実際には、親として正解が分からないながらも、泣いている子どもの様子を観察して、いろいろ試してみるしかありません。

逆説ですが、甘えさせることで、甘えなくなって自立できるのです。

ただし、適切な甘えと「過保護」は違います。

「ケアされたい」という求めがある時は、甘えさせることが必要です。

根本的な人間力

アタッチメント「愛着」という土台の上に、どのような力を育むのか?

一つは、衝動性を抑える「セルフコントロール」です。

これは単に<我慢する力>ではなく、<自らを使いこなす力>のことで、特に他者との関係性において必要になります。

自分の思いや行動をコントロールすることが求められているのです。

二つ目は「モチベーション」です。

自分の内側から駆動させ、引っ張っていく動機付けは、生きていく上でのエンジンのようなものです。

さらに、多様性が増すこれからの時代において、自分とは異なる人を理解して思いやる「共感力」も求められます。

大切なのは、自分に関わる<具体的な人>を思いやることだとおもいます。

最後に、困難や逆境を乗り越える「レジリエント」です。

これは外からの圧力であるストレスに対し、元に戻ろうとする復元力のことです。

ゴムのようにストレスを受け止めて変形しつつ元に戻る、<しなやかな>対処がレジリエンスです。

そのレジリエンスを育むには、1)思いやりを持つ、2)あいさつをする、3)野菜から食べる、4)歯磨きをする、5)模範となる人をい持つ、6)家庭と学校以外の<第三の場所>があることなどが効果的です。

特に、あいさつは「他者をきちんと認識する」ことであり、「ちょっと勇気を要する」ことであるため、レジリエンスにつながる。

子育てはバランスが大切です。

全てに口を出す「過干渉」は良くないですが、反対に「放置」も問題です。

偏りのないバランスを支えるのは、子どもに対する「心からの信頼」ではないでしょうか。

意識的に子どもとコミュニケーションを取ることから、全てが始まります。

それが、子どもを一人の人格として尊重すること、心から信じること、肯定することにつながると感じます。

東京医科歯科大学 藤原武男教授

 

 

 


多文化共生社会は時代の要請である。

2024年08月31日 11時23分10秒 | その気になる言葉

現在の在留外国人は過去最多の341万人とされている。

2067年には日本の人口の1割を外国人が占めると予測されている。

十分な社会的包摂がないまま<外国人1割>時代を迎えれば、排外主義が席巻し、分断が広がることが懸念される。

人々を共生・共存ではなく、排除や争いに駆り立てるものはなにか。

その元凶は「差別、排斥していく思想、生き方」である。

元来、人間は同じ地球民族なのだ。

人類結合の思想こそ「地球民族主義」である。

あらゆる差異を超えて、個性を尊重する連帯の輪を広げることだ。

多文化共生社会は時代の要請である。

 


無事故の根幹は「備え」と迅速な「行動」である。

2024年08月31日 10時49分41秒 | その気になる言葉

▼対話とは相手から学ぶことだ。

相手から学べば自分も豊かになる。

豊になる対話には喜びがある。

対話自体が勝利の証だ。

▼「天災は忘れた頃に來る」物理学者・髄筆家の寺田寅彦の名言である。

「いざという時」の備えが大切だ。

<今すぐはないだろう>と高をくくりがちだ。

災害への油断を自戒し、自他の安穏への備えを万全にしたい。

いざという時に本領を発揮する源は、常日頃の心がけや行動である。

「いつか」ではなく、常に「今」である。「今から」なのであると、現実社会で勝利していくことが肝要である。

無事故の根幹は「備え」と迅速な「行動」である。

 


創作 あの頃の自分 5)

2024年08月31日 01時42分01秒 | 創作欄

木村勇作は、新しい職場の同僚である山崎瑞奈に誘われ、神田駅に近いウナギ店へ行くこととなった。

そして、うな重を二人は食べ、ウナギの肝も食べた。

瑞奈は取材記者となり、まだ半年であった。

「先生、何でも、話してください」と取材で切り出して、取材相手の大学病院の院長から𠮟責を受けたそうだ。

取材には、明確な目的意識が不可欠であり、取材相手の𠮟責は、当然である。

26歳の彼女は、舞台女優に見切りをつけ、医療ジャーナリストを目指したのである。

1年前に、母親が乳がんで亡くなったことが転機となったそうだ。

「今、夜間のエディタースクールへ行っているの」と彼女は明かした。

「あなたのこと、少し知ってきたいの。何でも話してね」勇作は喫茶店で問われた。

勇作は、何をどう話せばいいのかを戸惑う。

「これまで、どのような、職歴なの?」

勇作は、仕方なく初めに勤めた企業について、まず述べた。

「その会社は大手町の産経ビルの6階にあって、株式を担当したのですが、株は数字ですよね。毎日が数字を追いかける。それで、嫌気がさして、半年で辞めました」

「そうなの、あなたの気持ち、分かる気がするわ」は彼女は微笑む。

勇作は、その笑顔に魅せられた。

2人はその後、新宿や渋谷、銀座などでも瑞奈の好物であるウナギを食べた。

 

参考

鰻重(うなじゅう)は、鰻の蒲焼きをご飯の上に盛り付けた日本の料理で、日本の伝統的な食文化の一つです。

鰻の蒲焼きは、醤油や砂糖、みりんなどで味付けし、甘辛く焼いたもので、とても美味しいです。

は、高たんぱくで栄養価が高い食材の一つであり、ビタミンB群やEPA、DHA、カルシウム、鉄分なども含まれています。鰻重は、江戸時代から愛され続ける日本の伝統料理であり、現在でも多くの人々に親しまれています。

うなぎの肝は、胃を中心とした内臓で、主に胃袋とその周りの部分(腸など)を指します。肝臓そのものを指しているわけではありません。
 
 
うなぎの肝には、タンパク質、鉄分、ビタミンA、葉酸などの栄養価が多く含まれており、滋養強壮や夏バテ予防に効果的と言われています。肝焼きや吸い物にして食べることができます。
 
 
うなぎの肝は1尾につき1つしか取れない希少部位で、ウナギ専門店に行かないと食べることができません。
 
 

 

鰻重の歴史
そんなうなぎの食の歴史はいつ頃から始まったのでしょうか。
日本におけるうなぎの歴史は、遥か昔5000年前の縄文時代まで遡ります。
縄文時代に作られたとされる、数カ所の貝塚から針で残った骨ではなく、食べた形跡のある骨だとわかるものが見つかっています。

 奈良時代(710年〜)の万葉集には、大伴家持(おおとものやかもち)が、
『うなぎ』について読んだ歌があります。

 石麻呂に吾もの申す 夏やせによしという物そ むなぎ取り食(め)せ

夏やせによく効く、として友に『うなぎをとって食べなさい』とすすめる歌で、当時すでに「うなぎの滋養効果」が知られていた様子がうかがえます。

 

 うなぎが蒲焼として食べられるようになったのは、室町時代(1399年〜)とされています。
室町時代にはうなぎを筒切りにして串に刺して焼いており、その姿が「蒲の穂」に似ていたことから蒲焼と呼ぶようになったようです。(うなぎ以外の魚のすり身も同様の説があります)焼きで使用するタレは味噌から垂れた醤油に酒を混ぜたものとされています。

 その後、徳川家康が江戸の発展を目指して開発を進めた江戸時代(1600年代〜)
干拓でできた湿地にうなぎが住み着くようになり、庶民の食べ物として定着しました。

鰻重の歴史は古く、江戸時代から存在していたとされています。

当時も、鰻は高級食材であり、贅沢な食べ物として扱われていました。特に、江戸時代の町人層や武家階級の人々の間では、鰻重が好まれていました。また、鰻は夏場の蒸し暑い時期に食べると、暑気を払うとされていました。


連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

2024年08月31日 01時20分59秒 | 社会・文化・政治・経済

証言台の特攻隊長 捕虜の扱い「国際法は知らず」処刑は前にも~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#57

配信

4/4ページ


創作 あの頃の自分 4)

2024年08月30日 23時58分45秒 | 創作欄

世の中には、偶然の出会いがあるものだ。

木村勇作は、4番目の職場で山崎瑞奈と隣りの席に座ることとなる。

その企業は、日本橋の本町の漢方薬卸商店の2階にあった。

本社が大阪であり、支社長の久保田勝男は元社長で顧問の久保田勇作の息子であり、父親に頭が上がらない様子であった。

元の職場の先輩で勇作を、新しい職場に誘った水島翔太が右端の席に座ってた。

その席の前には、課長の大野一郎がいて、その隣に中川洋子が座っていた。

さらに隣には、本田晃が居た。

わずか約30坪のオフィスであり、離れた一角には二人のタイピストが居た。

また、集金係で中年女性の大野まつが居て、その隣り係長の園田五郎が座っていた。

経理担当兼秘書の西京子が窓の一角で久保田支社長と席を並べて居た。

昼の時間となり、勇作は思わぬことに隣の席に座っていた山崎瑞奈から食事に誘われたのだ。

「間違いでなけば、あなたとは、都市センタ―の大ホールの席で会っているわ」瑞奈は神田駅方面へ向かう路上で言うのだ。

前の職場では、社長より先に退社してはならないとの理不尽な社内規定があるために、二期会の新春オペラコンサートの開演に勇作は、15分ほど遅れたのだ。

偶然にも、勇作の席は山崎瑞奈と隣り合わせだった。

だが、女性とは個人的に交際したことがない勇作は、美形でしかも赤いミニスカートの女性に臆したのだ。

ハイヒールも赤であった。

そして、セーターは徳利の黒であった。

職場の瑞奈はベージュのミニスカートと黒のハイヒールで、赤のセーター姿だった。

「あなたの入社祝いに、私、ご馳走するわ。何にする?」勇作は、その甘い鼻に響くようなソフトな声に惹かれたのである。

 

 

 

 

 


競輪 賞金ランキングTOP10(8月28日現在)

2024年08月30日 19時35分13秒 | 未来予測研究会の掲示板

創作 あの頃の自分 3)

2024年08月30日 09時43分19秒 | 創作欄

木村勇作は、何時も誰かを好きになっていた。

3番目の職場は2年勤めたが、ここでいじめに遭うのだ。

元自治省の役人であった広田孝蔵社長は京都大学を出ていて、私立大学出身の社員たちを「頭の悪い奴らだ」と侮蔑していた。

さらに、猜疑心の強い歪んだ性格で、秘書の金子清子を監視役にしていたのだ。

社員が社内で何をしているを探るのである。

電話は秘書の清子によって盗聴されていた。

「君は、私用の電話が多いのではないか」社長に呼ばれた女好きの佐野真司は叱責される。

「堀君は、ライバル会社の人間とどういう関係なのかね」

「実は、大学の同期生なんですが」

「わが社のことは、一切しゃべってないだろうね」

「はい、なにも」

「以後、余計な付き合いはするな」

「わかりました」

社長室の扉は常に開かれているので、社員たちには、聞き耳を立てていた。

木村勇作も社長室に呼ばれた。

「雑誌が減り過ぎているそうだ。どこと、どこへ持っていつたのかね」社長は老眼鏡を外しながら、勇作を詰問するのだ。

勇作は、新規広告先を拡大しようとしていたのだ。

「効率的な営業をするんだよ。木村君、浜君に聞いたのだが、先月も雑誌を社内の書庫からたくさん持ちだしたそうじゃない」

浜博子は勇作の監視役であった。

勇作の大学の系列の短大を出た博子は何故か、勇作にいい感情を抱いていないようであった。

色々と社長に告げ口をしていたのだ。

勇作が髪にアイパーをかけていることも、社長に告げていた。

実は、勤務先のオフィスの隣に理容室があったのだ。

また、同じビル内にある地下の大ホールのコンサートへ行ったことも、博子は告げていた。

社内の規定で広田社長より先に、社員が退社することを禁じていたのだが、勇作は午後7時開演のコンサートへ行ってのである。

それは、二期会の新春オペラコンサートであった。

そのことで社長から厳しい口調で叱責された勇作は退社を、すでに決意していたのだ。

1年前に退社した先輩の水島翔太が「うちの会社に来ないか」と誘っていたことが幸いする。

そして、勇作は新らたな勤務先で恋した山崎瑞奈と出会うこととなる。

 

 

 

 

 

 


「センス・オブ・ワンダー」 レイチェル・カーソンの遺作

2024年08月30日 07時54分52秒 | 社会・文化・政治・経済

センス・オブ・ワンダー (単行本 --)

レイチェル・カーソン (著), 森田 真生 (著), 西村 ツチカ (イラスト)

「ここにきてよかったね」
この星はすべての生命を祝福している。


世界的ベストセラー『センス・オブ・ワンダー』待望の新訳
さらにその未完の作品を今京都から書き継ぐ

先駆的に化学物質による環境汚染を訴え、今に続く環境学の嚆矢ともなった『沈黙の春』の著者であるレイチェル・カーソン。そのカーソンの最後に遺した未完の作品が『センス・オブ・ワンダー』だ。


本書は独立研究者・森田真生による新訳と、「その続き」として森田が描く「僕たちの『センス・オブ・ワンダー』」で構成する。カーソンが残した問いかけに応答しつつ、70年後の今を生きる森田の問題意識に基づいた、新しい読み解き、新しい人間像の模索を行う。

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地球の美しさをよく観察し、深く思いをめぐらせていくとき、いつまでも尽きることがない力が、湧き出してきます。鳥の渡りや潮の満ち引き、春を待つ蕾の姿には、それ自体の美しさだけでなく、象徴的(シンボリック)な美しさがあります。
(レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」より)

これから生まれてくるすべての子どもたちが、「きてよかったね」と心から思える、そういう世界を作り出していくこと。僕たちが何度でも新たに、それぞれの「センス・オブ・ワンダー」を生き、書き継いでいこうとしているのもまた、このためなのである。 (森田真生「結 僕たちの「センス・オブ・ワンダー」へ」より)
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各メディアで続々紹介・続々重版!
【新聞・通信】

□毎日新聞(8/29)「文化UP TO DATE」著者インタビュー
□朝日新聞be(7/6)著者インタビュー

□共同通信配信著者インタビュー
高知新聞(6/15)沖縄タイムス(6/15)千葉日報(6/15)福島民友新聞(6/15)琉球新報(6/16)東奥日報(6/22)日本海新聞(6/22) 福井新聞(6/23)山陰中央新報(6/29)愛媛新聞(7/7)岩手日報(7/7)中部経済新聞(7/13)

□京都新聞(6/14)著者インタビュー
□信濃毎日新聞(6/1)小川真利枝さん書評
□朝日新聞(5/21)著者インタビュー
□日本経済新聞 夕刊(5/13)著者インタビュー
□東京新聞 夕刊(5/10)中日新聞 夕刊(4/26)寄稿文(「センス・オブ・ワンダー」を訳して)

【雑誌】
□新潮(9月号)古川真人さん書評
□母の友(8月号)著者寄稿
□すばる(7月号)管啓次郎さん書評

【web】
□好書好日(6/28)著者インタビュー
□NeoL(5/13)著者インタビュー
□フライヤー(5/7)著者インタビュー

【ラジオ】
□NHK「ラジオ深夜便」(5/19)辻山良雄さんの紹介
 
□JFN「ラジオ版学問ノススメ」(5/30)著者出演
 

出版社より

世界的ベストセラー待望の新訳 今こそ読みたい 新時代の「センス・オブ・ワンダー」これから生まれてくるすべての子どもたちが 「きてよかったね」と心から思える 歓びに満ちた世界を引き継いでいく─
ヨシタケシンスケさんコメント
 
鈴木千佳子
 

商品の説明

著者について

レイチェル・カーソン:1907-64。アメリカの生物学者。研究の傍ら、大ベストセラー作家に。1962年公害問題を『沈黙の春』で厳しく告発、環境問題の嚆矢となる。
『センス・オブ・ワンダー』は1956年に雑誌発表、未完のままに死後単行本化された。
ほか著書に『潮風の下で』『われらをめぐる海』『海辺』などがある。

森田 真生(もりた・まさお):1985年生まれ。独立研究者。京都を拠点に研究・執筆の傍ら、ライブ活動を行っている。著書に『数学する身体』で小林秀雄賞受賞、『計算する生命』で第10回 河合隼雄学芸賞 受賞、ほかに『偶然の散歩』『僕たちはどう生きるのか』『数学の贈り物』『アリになった数学者』『数学する人生』などがある。
 
 
「普遍的な環境思想」に触れる本である
 
気候変動など地球的環境の変化があらわになる中、生態学的な視点から新たな人間像を探究し始めた時期であった森田 真生さんは、「環境について考える時、カーソンの存在はすごく大きい。翻訳を通してきちんと向き合いたいという気持ちがありました」と述べている。
 
米国の大学で英文学を専攻していたカーソンは途中で生物学に転向した。
そして1941年~55年、「海の3部作」と呼ばれる詩的な科学ノンフィクションを発表した。
「彼女のすごいところは、地球の声に耳を傾け、それを言葉にしたことだ。物語を頭で考えるより、生物が織りなす歴史に書くべきだと主題を見出したのだと思います」
 
当時の最先端の科学的知見を盛り込みながら「地球全体が海を媒介にしてつながっていることを描いた」そもに先駆性があったと森田さんは指摘する。
そのカーソンは残した「きてよかったね」というメッセージを、環境問題が一層深刻にする今、どううけとめるべきか。
 
大事なのは、生きる喜びを発見し、分かち合い、喜んで行くことだ―と森田さんは考える。
 
「センス・オブ・ワンダー」とは、「驚きと不思議に開かれた感受性」を磨き上げることである。
目の前にある自然の秘密に感覚を開き、その美しさと複雑さを共に感じたカーソンと彼女のめいの息子ロジャーのように。
 
原書には、科学者のカーソンは姪の幼い息子と自然豊かな米国メーン州の別荘を訪れ、浜辺や森で過ごした日々がつづられている。
「メーン州にきてよかったね」だけでなく、「もっとスケールは壮大で、長い進化の歴史を経てこの地球に生まれてことができてよかったね」と思える場所をつくっていきことだ―と森田さんは指摘する。
 
 
 
「共感」こそ神髄である
 
 
 
人工物の増加によって自然が破壊されつつある現在、自然とともに生きる人間の原点に戻ることを教えようとする、貴重な作品だと思います。
夜の海辺を散歩して不思議な生き物や光景に出会い、「来てよかったね」という少年の言葉は、現在の商業化された街中でなにかを買ってもらい「よかった」と喜ぶ子供の心と、本質的に違うことを考える必要があるでしょう。
今この「センス・オブ・ワンダー」を感じる機会は稀になっているかもしれませんが、この未完のエッセーに付けられた訳者森田真生氏の解説も、カーソンの主著『沈黙の春』が、自然の人工化や薬害を指摘する、優れた論説であることを指摘しています。
 

読みやすくはないですが読む価値はある本です。P55にレイチェルさん、
森田さん双方のエッセンスが書かれていると感じました。

レイチェルさんが「再び経路をひらく」という言い方をしていますが、
お二方のように子供が介在しなくても大人として「感じなおす」ことは
出来ると思います。
子供と違うのは大人には信念と受容が必要なのでは
ないかなという点です。そんな日が来るのを待って頑張って生きていき
ましょう。

思えば『沈黙の春』を初めて知ったのは片岡義男さんのエッセイでした。
彼は読んですぐ「もう地球は長くない」と感じ放浪にの旅に出ました。
私はそれを読んで心のどこかで大袈裟な・・と感じていましたが・・・。
その後の数十年で地球がここまで荒れるとは想像もできなかったかな。
 
 
 
本書はカーソンの文が40ページ、訳者のつづきが140ページの構成。

この度、原文と新旧両訳を読み比べてみました。

訳者自身の文は瑞々しく、息子さんとのかけがえない時間が伝わってきます。
理屈っぽさも中和されていて感じがいい。

カーソンのセンスオブワンダーは、元々異なるタイトルでアメリカの雑誌に寄稿された短いエッセイで、本人はそれを膨らませて本にする予定のまま亡くなられてしまった経緯がある。

新訳で気になるのは、意味だけ訳したような、日本語として情景が浮かびにくいこと。一部誤訳もあるなど。

その点、旧訳を手がけた上遠恵子さんの訳はカーソンの意図が日本の読者に伝わるための心遣いが凄まじく、自身もカーソンの関係者と関わり、カーソンの意志と共に長年生きてこられているだけあり、さすがに訳出のクオリティが圧倒的に高い。

カーソンを日本語で読みたいなら上遠さん、新訳者自身の体験記や哲学的関心で読むなら新訳がいいと思います。
 
 

新訳からその続きとして
独立研究者の筆者が
家族と暮らす京都での体験を通して
身近な植物や生き物と接しながら
生命の神秘や
宇宙の不思議
感じることの大切さを語る
まさにワンダーランド
 
 

核戦争のシナリオ

2024年08月30日 07時32分14秒 | 社会・文化・政治・経済
2023年8月21日(月)

もしも今核兵器が使われたら 初のシミュレーションが示す脅威

もしも今核兵器が使われたら 初のシミュレーションが示す脅威

もしも今、核兵器が使われたらどうなるのか?

長崎大学を中心とする国際プロジェクトが北東アジアでは初めて詳細にシミュレーションしました。

十分起こりうる30のシナリオがまとめられ、5つについては何人亡くなるのか推定。

明らかになったのは従来の想定をはるかに上回る甚大な被害と、日本も攻撃の標的にされるリスクです。

核兵器が使われる懸念が高まる今、研究者が導き出した破滅的な結果とは?

そして避けるには何が必要か考えました。

出演者

  • 鈴木 達治郎さん (長崎大学 核兵器廃絶研究センター教授)
  • 樋川 和子さん (大阪女学院大学大学院 教授)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

もし核兵器が使われたら? シミュレーションの“結果”は

桑子 真帆キャスター:

今、私たちの日本を含む北東アジアでは急速に核兵器が増えています。核大国のロシアは5,889発。中国は410発。

この1年で60発増やしたと見られています。北朝鮮はすでに30発持っているという見方もあります。さらに日本と韓国は、5,200発余りを保有するアメリカの核の傘に入っています。

今回、長崎大学の呼びかけで核戦略や放射線影響などの専門家およそ30人から成る国際プロジェクトが結成され、どんな状況で、どんな被害が出るのか推定しました。

2023年3月に発表された報告書では、5つのケースについて詳細に被害が想定されています。

・アメリカ⇔北朝鮮・中国(18発)
・ロシア⇔アメリカ(8発)
・東京でテロ(1発)
・北朝鮮⇔アメリカ(3発)
・中国⇔アメリカ(24発)

例えば1つめ。アメリカと北朝鮮・中国との間で核戦争が始まるケースです。赤い点は、核兵器が使用される場所を示しています。

その他、ロシアとアメリカが日本周辺で核兵器を使うケース。さらに、テロリストが東京で小型の核爆弾を使うことも想定されました。

今回私たちが注目したのは、こちらの2つのケースです。詳しく見ていきます。

核戦争シミュレーション 想定されるシナリオ

原爆投下から78年がたった長崎。2023年6月下旬、核戦争シミュレーションを行った国際プロジェクトの会議が開かれていました。プロジェクトには、世界中から30人以上の専門家が参加しています。

中心メンバーの長崎大学・鈴木達治郎さんは、どの国がどんなきっかけで核兵器を使う可能性があるのか、あらゆるリスクを洗い出したといいます。

国際プロジェクトメンバー 長崎大学 鈴木達治郎教授
「実際に核兵器の戦略を練っている方々や、安全保障の専門家にできるだけ起こり得るシナリオ、ケース、事例を考えてもらった。ひょっとしたら、あしたにでも起きるかもしれないという事例ばっかりですね」

国際プロジェクトが特に注目したのは北朝鮮です。

2022年9月 最高人民会議より 北朝鮮 キム・ジョンウン(金正恩)総書記
「核の敵国であるアメリカを長期的にけん制しなければならない。われわれは絶対に核を放棄することはできない」

プロジェクトメンバーのブルース・ベネットさんは、北朝鮮の内部事情を20年以上研究してきました。経済状況の悪化による国民の不満を抑えきれなくなったとき、核兵器を使用するリスクが高まると分析しています。

国際プロジェクトメンバー ランド研究所 ブルース・ベネット博士
「ミサイルを発射することで悲惨な現実から国民の目をそらす。こうした事態を警戒しなければなりません。北朝鮮の国内状況が悪化すれば、彼らはもっと極端な行動に出るかもしれません」

こうした情勢分析をもとに想定されたのが、次のシナリオです。

CASE1
北朝鮮が先制使用 アメリカが反撃

想定では、経済制裁などによって窮地に追い込まれた北朝鮮が、アメリカや韓国を交渉のテーブルに付かせようと核兵器の使用に踏み切ります。使用されるのは射程距離が短い「戦術核」。広島型原爆より威力が低い10キロトンと想定されています。

鈴木達治郎教授
「戦術核兵器という通常戦争の延長線上で、使いやすい核兵器と言われているものですね」

北朝鮮は、韓国軍の船が侵入したと主張し、付近を攻撃。

これに対し、アメリカが報復。8キロトンの戦術核を潜水艦から発射するとされています。狙う先は、北朝鮮の山間部。ミサイルの地下基地があるとされる2つの地点。周辺諸国の懸命の外交努力により、これ以上の拡大は避けられると仮定しています。合計3発の核兵器の使用で、最終的な犠牲者は4万人に上る可能性があるとしています。

被害はさらに広い範囲に及びます。プロジェクトメンバーのエヴァ・リソウスキーさんが解析したのは、放射性物質の拡散です。

その結果、比較的威力が低い戦術核でも放射性物質が大きく広がることが分かりました。黄色やオレンジは、100ミリシーベルト以上。がんで亡くなるリスクが0.5%以上高まるとされる被ばく量です。水色は、一般の人の1年間の被ばく限度1ミリシーベルトを上回るエリアです。強い西風が吹く条件では日本に達する可能性もあります。

国際プロジェクトメンバー 拡散シミュレーション担当 エヴァ・リソウスキーさん
「放射性降下物が広大な範囲に広がると分かり驚きました。(放射線による)がんになるリスクへの影響がないとしても、政治・経済や観光への影響があるかもしれません」
2つめは、最悪の被害が出ると想定されたケースです。それは中国が関係するケース。国際プロジェクトが導き出した結果は恐るべきものでした。
 

「電磁パルス攻撃」では、核兵器を地上40キロから400キロの上空で爆発させます。放射線や爆風は地上に届かず、直接の被害は起きません。しかし、放射線が空気中の分子と衝突し、大量の電子が発生。それらは強力な電磁波となり、広い範囲で降り注ぐのです。

もし東京の上空80キロで「電磁パルス攻撃」が仕掛けられた場合、何が起こり得るのか。

テレビやパソコンが突然、壊れる可能性があります。サーバーをダウンさせ、重要な情報が失われる恐れも。病院で医療機器が故障すれば命に関わる事態も起きかねません。さらに、大規模な停電が起きる恐れがあります。その影響は半径1,000km。北海道から九州に及ぶ可能性があるというのです。

電磁パルス攻撃の被害については予測が難しく、どのように対策するか議論が必要だと専門家は指摘します。

防衛省 防衛研究所 一政祐行主任研究官
「実際にEMP(電磁パルス)攻撃が行われたと仮定して対策をどのようにとるのか、日頃から準備しておく、議論しておくということは非常に重要な対策のワンステップではないか」

核兵器とシミュレーション “破滅”を避けるには

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
まさに現代社会の弱点をつく「電磁パルス攻撃」。防衛省では、一部の施設で防護装置の準備を進めるなど具体的な対策を始めています。

今見てきたシミュレーション結果を受けて、どうすれば破滅的な結果を避けられるのか。ここからは元外交官で核軍縮・核不拡散に長く携わってこられた樋川和子さんにも加わっていただきます。今、核保有国というのは、核は防衛のために必要だとする「核抑止」の立場をとっています。

核抑止
核兵器を持つことで 相手の核兵器の使用を思いとどまらせる

日本政府もこの考え方に基づいてアメリカの核の傘に入っているわけですが、「核抑止」の現状をまずどう考えていますか。

スタジオゲスト
樋川 和子さん (大阪女学院大学大学院 教授)
元外交官 核軍縮・核不拡散に携わった

樋川さん:
まず、問題は「核抑止」ではないと思うんです。これはなぜかというと、「核抑止」があるからこそ核兵器の存在する世界で核兵器が使われずに済んでいるんです。つまり、「核抑止」は核兵器を使わせないためのもの。
ただし、これは合理的な世界の話で、今のシミュレーションにもありましたが、いちばん恐ろしいのは「偶発的な核使用」。これは「核抑止」では防げない。つまり、非合理的な判断によって核兵器が使われる、もしくは偶発的な事故、ヒューマンエラー、誤作動で使われる、これがいちばん恐ろしいことです。だから核兵器はなくさなければいけない。

桑子:
その核兵器をなくすために必要なことはどういうことだと考えていますか。

樋川さん:
まず、人間は完璧ではないんです。それをよく私たちは理解しなければいけない。例えばシミュレーションで核兵器の甚大な被害、恐ろしさというのがはっきり分かったわけですが、それが分かったことによって核廃絶が実現するわけではないんです。

というのは、まさにそういう恐ろしい兵器だからこそ、のどから手が出るほど欲しいと考える人々、もしくは国があるからなんですね。だから私たちが核廃絶を実現したいと思ったら、まさにこういった人たち、国々にどういうふうに対処していくか、これを考えなくてはいけないと思います。

桑子:
そのためにどういう議論がこれから必要になってくると考えていますか。

樋川さん:
私はあちこちでも言っているのですが、これは非常に難しい問題です。どうしたらいいのか、新しい安全保障の形を考える必要があると思います。核兵器に頼らない、核兵器に頼らなくてもすべての国が自国の安全を確保できるにはどうしたらいいかというのを考えないといけない。それをしていく上で私が重要だと思うのは、私たちみたいな核軍縮の専門家とか、安全保障の専門家だけで議論するのではなく、それ以外、例えば経済の専門家、環境の専門家、人権の専門家、いろんな人たちを交えて議論していくことが非常に重要だと考えています。

桑子:
鈴木さんは核兵器をなくしていくために現状をどう変えていけばいいとお考えでしょうか。

鈴木さん:
プロジェクト3年目に入って具体的な政策提言を考えているのですが、まず第一に核兵器のリスクというのは78年前のことではなく、現実、今あるリスクだということをまず認識する必要がある。そのために核兵器使用のリスクを下げていく。

具体的には「先制不使用」、あるいは「消極的安全保障」といって、核兵器国が非核兵器国を攻撃しないとか、そういう具体的な政策提言を考えていって、「長崎を最後の被爆地に」ということにつなげていきたいと思います。

桑子:
これ以上、被爆地を増やさないということ、大切なことですね。ありがとうございました。

今回破滅的な結果を示したシミュレーションがあります。それを現実のものとしないために何ができるのか。最後にご覧いただくのはある若者の模索です。

“破滅”を避けるには 核廃絶への模索

授業の講師は、核廃絶に向けて活動している高橋悠太さん。議員との対話や国際会議への出席など、さまざまな働きかけを続けています。あの核戦争シミュレーションの結果も説明し、議論を深めます。

核廃絶ネゴシエーター 高橋悠太さん
「まず数日で150万人が死んで、プラス93万人が亡くなって。これが核兵器のリアル」
立命館宇治高校 生徒
「僕たちみたいな若い世代が行動していかないと。できることを探して何か力になれたらと思いました」

広島・長崎を最後の被爆地にするために。

被爆者 切明千枝子さん
「平和なんてすぐどっかへ飛んで逃げてしまう。必死で守っていく。その努力がね、要ると思うんです」
見逃し配信はこちらから※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

この記事の注目キーワード
戦争・紛争

CASE2
台湾をめぐり 中国とアメリカが対立

想定では、台湾で独立を目指す政権が誕生したことをきっかけに、中国が軍事侵攻を開始するとされています。これに対しアメリカは、台湾に大規模な部隊を送り、中国と交戦状態に突入。劣勢を強いられた中国は「先制使用はしない」とする核戦略を放棄し、核兵器の使用を決断すると想定されています。

標的になると仮定されたのはグアム、佐世保、嘉手納にあるアメリカ軍基地。アメリカは中国のミサイル基地などを攻撃。中国は韓国のアメリカ軍基地を攻撃し、事態はエスカレートしていくと想定されています。

そして中国は、アメリカ本土の基地も攻撃。報告書は、さらに大規模な世界戦争に発展することもあり得るとしています。合計24発の核兵器の使用で、数か月間で亡くなる人は260万人。被ばくによる長期的な影響で亡くなる人は9万6,000から83万人に上るとしています。

見えてきた新たな脅威

さらに今回のシミュレーションで核の被害を拡大させる脅威が新たに浮かび上がってきました。

これは報告書が示したあるケースで、核爆発の直後、人々が死に至る範囲を示しています。内側の円は「放射線」の影響によってほとんどの人が亡くなる範囲。2つめは「爆風」。3つめは「熱線」。この3つが、命を奪う主な原因と考えられてきました。
今回、さらに広い範囲に被害をもたらし得る「火災嵐(かさいあらし)」という現象が明らかになりました。

国際プロジェクトのメンバーで「火災嵐」の重要性を指摘したリン・イーデンさんは、「火災嵐」は燃えやすいものが多い市街地が攻撃された場合に発生しやすいといいます。

そのメカニズムです。核爆発のあと、至る所で発生した火災で空気が熱せられ、強い上昇気流が生み出されます。すると、中心に引き寄せられるように強い風が吹きこみ、酸素を次々と供給。街を飲み込む巨大な炎の嵐が吹き荒れるのです。

国際プロジェクトメンバー スタンフォード大学 リン・イーデン名誉上級研究員
「風が非常に強く吹くため、火災嵐の中にいると逃げることは難しい。ほとんどの人は死んでしまう」

被害を拡大させ得ることが分かった「火災嵐」は、広島でも発生したと考えられています。そのことを示す貴重な資料が当時の気象台に残されていました。

江波山気象館 学芸員
「赤い部分が火災で燃えた範囲を記している」

爆心地に向かって「火災嵐」によるものとみられる風が記されています。赤い色で示された半径2キロの範囲が全焼しました。終戦直後アメリカ軍は、全焼したエリアの風速は18メートルに達したと報告しています。

「火災嵐」と見られる現象を目撃した切明千枝子さん、93歳。15歳だった切明さんはその時、爆心地から2キロの所にいました。

切明千枝子さん
「嵐のように四方八方から風が舞い込んできたんだと思うんですけどね。あっという間に広島じゅうが火の海でしたよ。もう何とも言えない、獣が焼ける臭い。人間ばかりじゃない馬や犬や猫が焼ける臭い、家屋が焼ける臭い。忘れよう忘れようと思えば思うほどよみがえるんですよ」

切明さんが体験した「火災嵐」の恐ろしい実態。イーデンさんたちは現代の核兵器ではどうなるのか、シミュレーションしました。

200キロトンの核兵器が使われた場合、人々が死に至る範囲は「火災嵐」によって直径10キロにまで拡大することが分かりました。

リン・イーデン名誉上級研究員
「広島よりもっと広い範囲ですべてが燃え尽くされてしまうでしょう。現代の核兵器を使用すればどれほどの被害が出るのか、世界中の人々に知ってもらう必要があります」

シミュレーションで見えてきた2つのリスク

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
きょうのゲストは、国際プロジェクトのメンバーで長崎大学教授の鈴木達治郎さんです。

今回のシナリオ検討、それから被害想定に当たってさまざまな分野の専門家と分析を行ったと。なぜ今、北東アジアという地域でこれだけ精緻なシミュレーションを行う必要があると考えたのでしょうか。

スタジオゲスト
鈴木 達治郎さん (長崎大学 核兵器廃絶研究センター教授)
核使用シミュレーションのメンバー

鈴木さん:
VTRでもありましたが、核使用のリスクが非常に高まっている、この地域で。われわれの目的は、あくまでも核兵器の使用を防ぐために何をしたらいいか。それを考えるためにどういう状況なら核兵器が使われて、いったん核兵器が使われたらどういう影響が出るのかということを深く理解する。これを明らかにすることが、このプロジェクトの目的です。

桑子:
特にどういうことを意識されたのでしょうか。

鈴木さん:
根拠のない荒唐無稽なシナリオでは意味が無いので、実際に核兵器の戦略を練っている方々に集まっていただいて、十分に起こり得るケース、確率を考えないで起こりやすいとか起こりにくいではなく、十分に起こり得るケースは全部出してほしいとお願いしました。

桑子:

今回の被害想定でみますと、例えば東京でテロが起きた場合、22万人、それから米中対立のケースでは260万人が亡くなるという推計。広島・長崎で原爆が投下された年だけで14万人、7万人が亡くなったとされていますが、その数をはるかに上回る想定が出ています。

今回のシミュレーションでは合わせて30のケースが想定されたわけですが、国旗のところは「先制使用」する国を示しています。また、「テロリスト」が使用するケースまでも考えらています。

こういったシミュレーションを通して、みえてきたリスクを大きく2つ挙げていただきました。

見えてきたリスク
・偶発的な核使用
・日本も攻撃の対象に

「偶発的な核使用」。これはどういうことでしょうか。

鈴木さん:
グラフで分かりますようにケースの半分ぐらいが実は計画的ではなく、偶発的。意図せざる結果で核兵器を使ってしまうケース。これが驚くべきことですよね。

具体的に言いますと、例えばロシアは核兵器システムの中にAIを最近使い始めているということですが、これが誤作動を起こしてしまうとかですね。相手の意図が分からないうちに追い込まれて核兵器を使ってしまうとか、あるいは事故とか、そういうふうな偶発的な核使用のリスクが半分ぐらいあるということが、まず第一に驚くべきことと分かりました。

桑子:
「日本も攻撃の対象に」ということですが。

鈴木さん:
これもVTRにでましたが、最初に使う兵器は比較的小型の、近い距離の戦術核兵器がほとんど使われると。そうすると核大国がターゲットではなく、近くにある核の傘のもとにある韓国や日本の軍事基地が狙われるということが分かったと。われわれがターゲットになるということも大事ですね。

桑子:
そして報告書の中には、都市や軍事基地を直接攻撃するものではないケースも想定されています。

例えば、北朝鮮が韓国の「原子力発電所を攻撃」するケース。さらには、テロリストが「サイバー攻撃」を仕掛けて核兵器の制御システムを乗っ取ってしまうというケース。さらに、核爆発を利用した「電磁パルス攻撃」。

社会インフラをまひさせることをねらうものだというのですが、この「電磁パルス攻撃」、具体的にどんな被害が想定されるのでしょうか。

「電磁パルス」の脅威

「電磁パルス攻撃」について研究を進める防衛装備庁です。

「ここから出る電磁パルスが、ドローンにどのような影響を及ぼすかの実験です」
「(電磁パルス)照射します」

強力な電磁波によりドローンの電子回路に過剰な電流が発生し、落下します。実験を撮影していたカメラにまで影響が。

防衛省 防衛装備庁 電子対処研究部 二宮勉部長
「電磁パルスは必ず電子回路や電子機器に対して何らかの影響を及ぼします」
 

人生には師の存在が不可欠である

2024年08月29日 11時37分41秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼師弟に徹すれば、越えられない壁はない。

師は人を鼓舞する存在である。

また、師は希望と勇気の源泉なのだ。

困難の原因を外に求め、人や環境のせいにするのではなく、自分がまず変わることだ。

そのことで、環境も相手も変えていく<希望の原理>である。

▼社会・国の変革は、人間革命の哲学によるしか、実現できないのである。

「一人の偉大な人間革命」が、やがては社会を国の宿命をも変えるのである。

例えば、ある国を出て、別の国で生きる人々は必然的に「国家」の観点ではなく、「人類」としての目標や理想を考えるようになるだろう。

それは、ただ国のためという「国益」から、人類のために何ができるかという「人類益」へと、発想の転換が求められる。

今、世界は冷戦終結後、さらに言えば第二次世界大戦という期間で見ても、恐らく最も危険な時代を迎えている。

▼現在、ウクライナやガザで大きな紛争が続いている。

こうした対立に、直接または間接的に核兵器保有国が関与しており、これは信じがたく、非常に危険な状況だ。

例えば、アメリカとロシアには、約1万1000発の核弾頭がある。

そのほとんどが、広島と長崎で使用された原子爆弾をはるかに上回る威力を持っている。

その核弾頭のうち、3分の1が使われると、その攻撃に直接的死者数は3億6000万人に上ると推計されている。

さらに、核爆弾による火災で発生した煤煙が、上空の大気を覆おうことで太陽光が遮断され、「核の冬」と呼ばれる、地球規模の気温低下が起きるのである。

これにより、地球全体で農業が崩壊し、食料生産が落ち込むことで、50億人が餓死すると推定されている。

核兵器の使用は、都市の崩壊だけでなく、本質的に地球全体を崩壊するのだ。

核兵器下の世界において「平和」とは、単に道徳的要請であるだけでなく、人類の存続を左右する実存的な要請なのだ。

「真に対決して克服しべきは、自己の欲望のためには相手の殲滅を辞さないという<核兵器を容認する思想>なのだ」

かつて核保有国だった南アフリカ共和国は、1990年に自国の核兵器を全廃した。

だが、核兵器がなくなったにもかかわらず、どの国も南アフリカを攻撃しようとはしない。

▼世界は今、核兵器使用の一歩手前まできている。

今年、調査報道ジャーナリストのアニー・ゼェイコブセンが「核戦争勃発のシナリオ」を出版した。

そこで想定されるのは、核兵器が使われると、連鎖的に報復攻撃が続き、即座に核戦争につながるというシナリオである。

驚くべきことぬ、報復合戦まで含めた核戦争は、たった「72分」で終わるとされる。

長期間続く従来の戦争と異なり、核戦争にかかる時間は、1時間と少しだけだ。

これは大げさなフィクションではなく、核抑止が失敗した際に何が起こるかを知り尽した専門家や、元政府高官などへのインタビューに基づくものだ。

これは、「めまいがするような狂気と不道徳」平和運動家ダニエル・エルズバーグのコメントである。

全人類が滅びるのどうかの瀬戸際は、核戦争からわずかに1時間後のことなのだ。

「わたしたちは、これまで限りなく運がよかったのです。しかい、運は戦略ではありません」アントニオ・グテーレス国連事務総長は、そのように述べている。

 


創作 あの頃の自分 2)

2024年08月29日 03時06分56秒 | 創作欄

木村勇作が入社して、1年後に事務員の曽根朝子が寿退社することとなった。

朝子は、営業成績が上がらない勇作を温かく身守っているように想われた。

朝子の送別会が、新宿のホテルの宴会場で行われた。

彼女は高校を出て、5年間勤めた職場から去るのである。

「木村さん、お世話になりました」朝子がビールを持って、木村が座る席まで別れの挨拶にやってきた。

そして、小声で勇作の耳もとで言うのだ。

「木村さんとは、もって早を会っていたら、よかったのに、とても残念に思うわ」

朝子から心外の言葉が、ささやかれたのだ。

その彼女が勤務先から居なくなる寂しさから、勇作はその半年後に退社を決意する。

次の職場は、千代田区の平河町の地下1階にあった。

この職場でも営業の仕事であった。

広告の営業であり、その広告の製作を飯田橋のビル1階にある製販屋へ依頼する。

そこで、出会ったのが小原絹子だった。

「通称、ケロちゃん」には、彼氏が居てバイクでのツーリングへ行っていた。

「昨日は、伊豆スカイラインへ行ってきたの」と誇らしげに言うのだ。

「来週は、女友だちと江の島へ行くんだ」

「ケロちゃん、木村君には、彼女がいないんだ。良ければ、木村君を海へ連れていったら」製販屋の社長の佐野一郎が思わぬことを言うのだ。

「そうね。彼女には彼氏はまだいないし。とても、美人なのにね」

ケロちゃんの女友だちと新宿駅で出会い紹介されたのが、中野里美であった。

木村勇作がかつて出会ったことがない美形の人だった。

その人はかつては、映画に子役で出ていた人であったが、成人してからは映画界から去っていたのだ。

ある妻子のある男優と失恋して、心を患った人との噂もあったそうだ。

彼女は成城学園の住宅街に住み、父親は内科医師であった。

勇作にとって、水着姿のその人は、江の島の海ではとても眩しい存在に映じた。

ケロちゃんの思い込みであり、その人には弁護士の婚約者が既にいたのだった。

このことが「高嶺の花なのか」と、彼は帰りの小田急線のロマンスカー内で彼女の脇に座り自嘲する。

「とても、楽しかったわ。ケロちゃんありがとう」彼女は微笑んでから車窓の外に視線を向ける。

「木村さんが、里美にあまりにも、優しくするので、ケロちゃんヤケたな」

「ケロちゃん、そんなこと言ったら、木村さんに失礼よ」彼女がたしなめた。

 

 

 

 

 

 

 


創作 あの頃の自分 1)

2024年08月29日 01時52分07秒 | 創作欄

木村勇作は、何時も誰かを好きになっていた。

無論、好きな人は女性である。

彼にとって、大学を出て2番目の職場は、新宿駅の南口を新宿御苑方向へ坂か階段を降りて行くと、三越の駐車場の裏のビルの6階にあった。

本社は大阪にあり、その支社は支社長と副支社長、秘書、二人の女性事務員がいた。

男性は経理課長の他、12人の営業部部員が居た。

大木晃支社長は、九州、東北、北海道の支社の中で元はトップ営業マンと言われていた。

木村勇作は、入社して直ぐに、大木支社長から営業マンとしての薫陶を受けた。

「まず、木村君、笑顔なんや。あんたの表情は硬いな。それでは相手は警戒するで、ええか」

秘書の堀君子が、訪問先の相手役である。

「何でしょうか?」

「私は、学校の方から来ました」

「それで、何ですか?」

「あの、学習指導要領に基づいて作成された学習辞典のご紹介で訪問させていただきました」

「結構です」

「そうですか」

「そうですかは、ないで木村君、営業は断られれからが勝負や」

「わいが、営業の見本を見せるから、よう見てや」

「こんにちは、おかあさん、お子さん、おうちで、教科書みてますか?」

「あまり、見てませね」秘書

「そうでしょ。この学習辞典見てください。ようできます。これをお子さんが見れば、教科書をよう見るようになり、成績もあがりますよ」支社長のにこやかな笑顔が相手に対して好感を呼ぶように思われた。

木村は、美人であるが、冷たい表情の秘書の堀君子に対してより、事務員の曽根朝子の素朴さに好感を抱いた。

朝子を相手にして家庭訪問の練習もしたのである。

だが、好感を抱いた朝子には既に婚約者がいたのだ。

「木村さんの写真を母に見せたの。とてもいい人に見えると・・・」

「そうですか」

写真は熱海への社員旅行の際の写真であった。

その熱海の社員旅行では、驚くことに殴り合いの喧嘩もあったのだ。

営業成績を巡りストレスがたまっていたのだろう。

些細なことから、思わぬ荒れた宴会となる。

「いいですね。皆さんとても和やかで」とほほ笑んでいた仲居さんも顔を引きつらせる。

宴会の畳の上には、割れたビール瓶も散乱すのだ。

当然、料理もめちゃくちゃとなる。