俳人・中村草田男の生涯

2017年02月28日 11時19分33秒 | 社会・文化・政治・経済
<貝寄風(かいよせ)に乗りて帰郷の船迅(はや)し>

<降る雪や明治は遠くなりにけり>

中村草田男作品は大きく俳壇を動かすことになった。
正岡子規が唱えた俳句の近代化、この草田男によってひとつの成熟へと向かい始めたといっていい。
草田男の文学は思想詩としての深まりを見せはじめた。
定型と季題という伝統俳句の制約のなかで、自然や社会と内面世界との統一が志されていったのである。
<焼跡に遺る三和土(たたき)や手毬つく>
<夜の蟻迷へるものは弧を描く>
こうした人生や社会と深くわたりあう近代的人間的な作家精神に、俳壇は共鳴していったのである。
<全能母に縋れど天然え原爆忌>
<折々己れにおどろく噴水時の中>
一方では瑞々しい愛妻俳句、吾子俳句のリリシズムが読者を魅了した。
<空は太初(たいしょ)の青さ妻より林檎>
<萬緑の中や吾子の歯生え初むる>
評論においても草田男は昭和俳句界の強力な索引者だった。
桑原武夫が俳句を第二芸術と呼んだことに徹底して論駁した。
俳人・横澤放川さん
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「楽しかったな。結構良い人生だったよ」

2017年02月28日 10時20分02秒 | 社会・文化・政治・経済
毎日新聞の「悼む」欄を興味をもって読んでいる。
最近亡くなった方々を悼む筆者の温かい思いが伝わってくる。

松方弘樹さん俳優
脳リンパ腫のため 1月21日死去・74歳

天性の表現力と根性
甘い二枚目スターとして売り出し中の彼と、がっぷり四つ組んだのが「893愚連隊」。
当初イメージの異なる彼の起用に猛反対だったが、撮影所長だった岡田茂氏の厳命に抗するすべもなく主役の座へ。
しかしこの作品を通じ、俳優、松方弘樹の力量を知ることになる。
脚本を読み込む力、そして表現力、それはほとんど天性のものだった。
加えて役者根性。
極度の高所恐怖症ながら役のためなら目を閉じてでもやってのける。
それをいいことに、しばしば過酷な演技を要求したこともある。
酒は飲ませ上手の豪快派、私生活もあっけらかんと開けっぴろげ。
どこまでが実像でどこまでが虚像か。
そんな彼が尊敬してやまなかったのが父・近衛十四郎の剣さばき。
それを次回作のちゃんばら映画で披露してくれる約束だったのに。(映画監督・中島貞夫さん)
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組長責任拡大へ奔走

河野憲壯さん 弁護士
日本弁護士連合会 民事介入暴力対策委員会元委員長
昨年12月16日死去・57歳

18年ほど前に会合で同席したのが初対面だったと記憶しています。
当時から市民や企業を暴力団から守る「民暴弁護士」として活躍されていました。
実際はとても温かい人なのですが、その時はぶすっとした表情で、なんて怖い目をしているのだろうという印象でした。
河野さんは広域暴力団傘下の組員が対立相手と間違えて学生を殺害した事件で遺族側の代理人として暴力団トップらを2005年に提訴し、2007年に損害賠償を勝ち取りました(2008年に和解成立)。
若手を集めて飲みに連れて行ってくれるなど後輩思いでした、2年ほど前にがんを患われてそういう機会も減りました。
最後にお会いしたのは、昨年11月22日。
入院先のベッドに座って「楽しかったな。結構良い人生だったよ」とおっしゃりました。
訃報が届き、黙祷を捧げました。
「河野さんのやろうとしてきたことは、しっかり預かりましたから安心してください」。
そう伝えました。(弁護士・澤田和也さん)
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教師が変わらなければ、子ども変わらない

2017年02月28日 09時33分25秒 | 沼田利根の言いたい放題
道徳は「教化外の活動」と位置付けてきた。
戦前の国家主義、軍国主義への反省を踏まえたものであり、米国の民主主義・自由主義が宣揚されていく。
ある意味で道徳には、封建主義思想の名残があった。
あくまで従順な民でが求められた。
権力者にとって都合のいい民の像である。
それに宗教も協力してきた。
例えば現世を諦め、来世の極楽を夢想する-念仏思想である。
現代の社会にあっては、価値観の画一化ではなく、「物事を多面的・多角的に考える」ことであり、多様な価値観や生き方があることを徹底的知ることが大事なのだ。
考え方や生き方など内面の自由の問題と道徳的価値観には距離がある。
基本的に「心」の問題なのだ。
思いやり、助け合いなど生活に必要な心を育てることが先決だ。
いじめは100%、いじめる側が悪いと諭す教師像が期待される。
「人の不幸の上に、自分の幸福を築いてはならない」
「教育は子どもの幸福のためにある」
教師が変わらなければ、子ども変わらない。
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後奈良天皇について

2017年02月28日 09時01分32秒 | 社会・文化・政治・経済
皇太子殿下57歳の誕生日に先立つ記者会見で<後奈良天皇>という名前が飛び出した(2月21日)。
後奈良天皇は、16世紀、信長、秀吉、家康が現れ、信長が尾張を平定する直前まで31年間、在位した帝(みかど)である。
「史上最も貧乏で最も偉い。皇室が最も難渋した時の天皇で、この方ほど、乱世における自分の役割を深く思索し、行動した帝はいない」歴史学者・磯田道史・国際日本文化研究センター准教授(46)。
この時代は戦国時代のピークだった。
乱世に洪水、飢饉、疫病が相次ぎ、津々浦々、餓死者、病死者であふれた。
室町幕府は存続していたが無力で、朝廷の財政は苦しく、天皇は皇位を継承したものの、即位の礼が10年も滞っていた。
御所は土塀が崩れ、皇室警護も行き届かぬ中、天皇は民の無事を願って祈祷に打ち込んだ。
全国25か国の一の宮(最高位)や寺に写経を奉納した。
殿下はもとより中世史がご専門である。
平安祈願の写経を奉納した先例として中世以前の8人の天皇の名をよどみなく挙げられ、こう補われた。
「・・・私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、(天皇、皇后)両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しみむ、ということを続けていきたいと思います・・・」

毎日新聞から引用(2月27日、1面)
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2月27日(月)のつぶやき

2017年02月28日 02時11分33秒 | 医科・歯科・介護
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北京から来た露々

2017年02月27日 19時43分58秒 | 未来予測研究会の掲示板
「信じる者は救われる」
それは、どのようなことなのか?
利根輪太郎は、神仏を信じていない。
だから、神頼みのような気持ちには到底なれない。
それでも、典子からもらった神田明神のお守りを、言われるままに身に着けていることは矛盾とも言えた。
「私は、信じているからどの神社でも祈ることができるの。信じればきっと、救われると思うの」
20歳になった典子は、成人式を迎えた日、一人で神田明神へ行く。
「輪さんのことも祈ってきたの」
その日、輪太郎は千葉競輪行っていて、帰りに典子が住む中野区中央のアパートへ寄ったのだ。
「食事に行こう」と典子を誘い、新宿のビル3階の焼肉店へ行く。
その店で典子から神田明神のお守りをもらったのだ。
実はその店で、池袋のスナックで出会った中国人の露々(ろうろう)が働いていたのだ。
「センセイ、めずらしいね」と輪太郎の手を握ったが、背後に立つ典子に気付いて手を離した。
中国人の露々が韓国衣装を身に着けていることに、不思議な感じがした。
露々に導かれ窓際の席に二人は座った。
露々は典子を意識して、硬い表情になっていた。
典子の表情も硬くなっていた。
「どのような、関係なの」と典子の目が言っていた。
「彼女は北京から来た露々。俺は彼女の日本語教師のようなものなんだ」
それは事実であった。
彼女が歌うカラオケの声を聞いて、その美声に惚れ込んだ。
席に戻ってきた露々が「私の日本語、どうですか?センセイ、私に、日本語教えてください。いいですか?」と言うので、「ああ、いいよ」と応じたのだ。
その翌日、輪太郎は露々にどのような日本語を教えるべきかを考え、東京八重洲の大きな本屋へ行ってきたのだ。
そして、関連の本を3冊も買ってみたのだ。
日本語は、主にカラオケ店でビールなどを飲みながら教えたのだ。
そして、帰りには1万円札を露々に渡した。
日中友好のためと輪太郎は考え、男女の関係になることを避けた。
「センセイ、わたくし、魅力ないですか?」と露々が問う。
「露々は、とてもいい人だよ。だから、誠実に居たいんだ」輪太郎は男女の友情を貫く覚悟であった。
それは輪太郎に大学時を思い出させた。
現代文学研究会では、文化祭の時には毎年、ペア―を組み二人で研究発表をしていた。
「利根は良い相手と組めて、羨ましいよ」とメンバーの大木克男に言われた。
ペア―を組む戸田里恵は、美しい容貌をしていたのだ。
だが、輪太郎はその時期、ドイツ文学科の田中峰子に惚れ込んでいたが、心を打ちあけずにいたのだ。
戸田里恵の色白の美貌に比べると田中峰子は色黒で10人並みの顔立ちであったのだ。
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心の衰退 心の魔性

2017年02月27日 13時24分46秒 | 社会・文化・政治・経済
自分と異なる人々への排斥は、相手への無知や偏見から起こる場合が多い。
相手を集団としてひとくくりにする抽象化によって正当化される。
短絡的的な思考に流されないためには、互いの一つの属性に縛られることなく、一人一人が“顔を持った存在”
として結びついていくことが重要だ。
そして、その“開かれた心”こそが、人間として大きな力を発揮できる源泉となるものだ。

友情を通して、心が深く通い合う中で、差異は多様性の輝きとして昇華していく。
多様性の尊重に基づいた「平和の文化」の構築が期待される。

「分断をもたらす排他主義や、犠牲を還りみない経済的合理性の追求」
ブラックバイト、ブラック企業は、人間を犠牲にする利潤の追求である。
「企業の人間化」
人間の生命を尊ぶ企業・組織の文化を構築する必要がある。
人間を手段にしたり、犠牲にするのは人間の心の衰退であり、心の魔性に他ならない。
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検診や人間ドック検査などを受けるように

2017年02月27日 13時01分27秒 | 医科・歯科・介護
がんは進行すると、血液やリンパの流れに乗って、他の臓器やリンパ節に転移する。
検診や人間ドックの腹部超音波検査(US)などで異常が指摘されたら、コンピュータ断層撮影(CT)や磁気共鳴画像装置(MRI)検査を受ける。
こうした画像診断に加えて、血液や尿の検査を行うことで、他の疾患との鑑別や病期(ステージ)を確定するとともに、全身への転移がないかどうかも調べる。
確定診断や治療法の決定のために生検による病理検査を行う。
病気にもよるが、基本的のはがんのある臓器を取り除く、「根治的臓器摘除術」が行われる。
正常な組織も含めて臓器全てを摘出する手術である。
場合によっては、所属リンパ節の除去も行う。
だが、最近では、がんが早期で径4㌢以下と小さく、転移がない場合、臓器を残すことを検討する。
手術の方法はには、「開腹手術」と「腹腔鏡手術」がる。

腹腔鏡手術は、腹部に小さな穴を開けて行う手術。
患者の対する侵襲度(身体の負担の度合い)が低く、術後の回復も早いので、積極的に行われるようになっている。
ただし、大きながんや周囲に進展している場合などは開腹手術を選択する。
また、同じく早期の場合で、超高齢者である患者には、がんの部分のみを凍結させて破壊する治療(凍結療法)を行うこともある。
検診や人間ドック検査などを受けるようにしてください。

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40年間以上も、検診をしていなかったのだ。
その報いとして、大腸がんとなり手術をし、入院10日間。
自業自得であった。
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取手ひなまつり恒例「ひなパレード」

2017年02月27日 11時37分06秒 | 社会・文化・政治・経済
毎日新聞の茨城のページ欄で安味伸一記者が記していた。
2月25日の取手ひなまつり恒例「ひなパレード」。
お内裏様は、めぐみ幼稚園児、高橋侑さん(5歳)、おひな様は市立久賀小学校1年、清水詩音さん(7歳)
5~7歳の条件で公募され、お内裏様役は倍率17倍、おひな様役は倍率25倍だったそうだ。
山車を先頭に、市内4幼稚園の園児や100人が仮装し、取手駅前から八坂神社まで30分かけゆっくりと後進した。
沿道で家族や市民、観光客が晴れ姿を見守った。
当日、当方は顔見知りの安味記者を探したが、沿道の反対側から取材し、写真を撮影していたのだ。
地元の立場で安味記者の記事は毎朝、注目して読んでいる。






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行動・実践こそ第一

2017年02月27日 10時39分34秒 | 社会・文化・政治・経済
本当に強い人とは、「心の強い人」である。

心が強ければ、決して自殺もしないはず。

万事、やってみなければ分からないことは多い。

もちろん、事前にさまざま考えることも大切だ。

しかし、それで全てが分かるわけではない。
実際に体を動かせば、心も大きく動きだし、新しい出会いや気付きが生まれる。

行動・実践こそ第一である。

一つの声が世界を変えることもある。

忘恩から人生も社会も乱れが生ずる。

勇気を出せば、一切が楽しくもなる。
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坂本龍馬の発想

2017年02月27日 10時15分29秒 | 社会・文化・政治・経済
AかBの二者択一ではなく、AとBを包含する形でCという第三の道を発見する。
世論が二分したような重要な案件に直面した時、賛成、反対だけの対立を避け、国民的な合意形成力を注ぐ。
つまり、新しい、難しい課題に対しては、創造的な解決策を提示する。

世界の分断は二者択一にあるのではないだろうか?

坂本龍馬が目指したのは、勤王か佐幕かではなく、薩長連合であり、話し合いによって平和に政体を改革する「大政奉還」であった。
龍馬が提起したのは、従来の「藩」ではなく「日本国」であった。
先月発見された、暗殺される5日前に記した書簡には「新国家」との表現があった。
龍馬の発想こそ、第三の道であった。
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障害のある人の可能性に着目

2017年02月27日 09時53分34秒 | 社会・文化・政治・経済
生まれた時から脳に重い障害のある娘を通じ、さまざまな障害者と出会いました。
一般世間では、障害者を「かわいそう」「気の毒」と思いがちですが、私はむしろ障害者一人一人の中に、光る個性や能力があることを実感しました。
福祉施設は「弱者に何かをしてあげることではなく、弱者を、弱者でなくしていくプロセス」です。
私たちが障害のある人の可能性に着目し、チャレンジドという呼称を提唱する大きな理由がここにあります。
障害者に限らず、働くことが難しいと思われている人たちが力を発揮できるようになることは、社会のダイナミックな転換です。
女性でも高齢者でも、その人の力を生かすことは、希望につながります。
社会福祉法人プロップ・ステーションの竹中ナミ理事長
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障害者が望み通りの人生を生きていく、という考えである。
「1億総活躍」というが、お互いに多様性を認め合い、さまざまな個性が共存し、全ての人の力を存分に生かす社会が重要。

障害者という壁は、むしろ社会の側にあるからこそ、政治の役割で、この障壁を取り除いていかなければならない。
夢を描けることは生きる力になる。

文化芸術分野でも、絵画や陶芸など障害のある人の作品が「アート・ブリュット」などと呼ばれ、欧米で高い評価を受けている。
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人間の生き方、生命を変革する

2017年02月27日 02時21分37秒 | 社会・文化・政治・経済
「正しいから勝つとは限らない。正しいからこそ勝たねばならない。
悪に勝ってこそ、初めて、善であることが証明されるのだ」

振る舞いこそ 善の証明

自分の人生の意味を見いだせず悩んでいる人もいる。

意気壮んに生き抜く力は何か。
「学ぶ心」といってよいだろう。

人生の師を得る。
そして師の息吹に触れることが一番の活力源となる。

師と共に学ぶから、小さな自分の殻を破れる。

師のために行動するから、本当の底力が出せる。

限界の壁を破ろう。

何らかの結果を必ず出すことだ。

人生の目的は自分と他者の向上―マッツィーニ

自分の生きる意味、使命が明確なる。

大切なのは、根本となる「哲学」「智慧」を、私たち一人一人が培くことだ。

人間の生き方、生命を変革する。

人間の生命が変われば、地域が変わり、世界も変わるだろう。
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労苦の中で本物が育つ

2017年02月27日 02時14分22秒 | 社会・文化・政治・経済
全力の挑戦を諦めない

どのように捉えるのか?

「労苦と使命のなかにのみ、人生の価値は生まれる」

青春時代の苦闘を経て、生きがいのある人生を見いだす。

悩み苦しんだからこそ自分は今、ここにいる。
これまでの経験に、何一つ無駄はなかった、と思える自分。

自分が苦しんだらこそ、同苦できる人がいる。

苦難のない人生などない。
目の前の試練を、いかにして乗り越えていくかである。

労苦の中で本物が育つ。

「思うようにいかない時も、くさってはならない。上手くいかない時も、自分らしくベストを尽くしていけば、必ず、そこから次の道が開かれる」
ゆえに、周囲と比べる必要などない。
不如意の時も負けないで、全力の挑戦を諦めないことだ。
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2月26日(日)のつぶやき

2017年02月27日 02時10分13秒 | 医科・歯科・介護
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