松下幸之助さんの指摘を肝に銘じたい。
松下幸之助は「人間90%は運命」と考えていた残り10%の努力が運命を切り拓く
人は、ある存在の意志によって、必然的にこの世に生まれてきたという考え方もあるけれど、通常的に考えれば、偶然生まれ、生き、偶然に死ぬということだろう。自分の意志で生まれてきた人はいないし、自殺以外、自分で死にたいという意志で死ぬわけではない。
いわば、偶然と偶然の間で人は生き、だからこそ、必然を求めようと努力する。
その努力こそが、人生を充実したものにするということになるだろう。人生の根底は、偶然が川の水のように流れているように思う。
昭和54年(1979)8月、松下幸之助から、夜中の1時頃に電話がかかってきた。
「別に用事はないんやけど。ちょっとイライラしてね。それで、電話したんや。まあ、疲れのほうは、大丈夫や。心配せんでええで。わしは、そう簡単に死にはせんよ。わしは、身体が弱かったからな。何度か、もうダメやなと思うようなことに出合ってきたけどね、その都度、不思議に生きぬいとるんや。
だいたいな、戰(いくさ)しとってな、矢玉が飛んでくる。そのなかで矢玉に当たる大将もおれば、同じようにしていながら、矢玉に当たらん大将もいるんや。わしは、矢玉に当たらんほうや。そういう運命というか、運が強いわけやな」
松下が、自分は運が強いと思っていたことは確かだ。人間は、運があるかどうかによって、人生が決まってくると考えていた。それが運命ということになるだろう。しかし、だからといって、運がすべてかというと、ある重要な部分は、人間の努力、熱意によって、人生を変えることができる、運とか運命を動かすことができるという考えも強く持っていたように思う。
「これも、ふっといま思ったんやけどな。今日までの自分を考えてみると、やはり、90%が運命やな、運やな。」
人生のすべてが己の意のままではない
「日本人として生まれたのも、この時代に生まれたのも、わしの意志では
ない。たまたま、偶然に生まれてきた。生まれた家も、環境も、いわば運命や。わしが決めたものではないわな。
電気屋の仕事をやるにしても、わしがもし大阪でない別のところにいたらどうであったか。電車を見ることもなかったから、電気の仕事をやろうと、ひらめくこともなかったやろうな。たまたま大阪の街におった。特にとりたてて力のない平凡なわしが、一応仕事だけでも成功したということを思えば、なおさらのことやな。
そういうことを考えてみると、人間は、ほとんどが運命やと、つくづく感じるな。もっとも、わしのこういう考えに反対する人もおるやろうけど、その人は、なかなか力強い人であると。人間には運はない。運命なんかない。すべてその人の力であると。実力であり、努力が人生のすべてを切り拓(ひら)く、と考える人もおるやろう。まあ、そこまででなくとも、努力が大きいと。そう考える人も多いやろうな。
けどな、そう考えるとすれば、人間は、努力すれば必ず成功するということになる。しかし、実際には、決してそういうことではないわね。人生、すべて己の意のままに動かせるということはない。それは、ひとつの運命をそれぞれ担っておるからやな。
成功するためには、努力しなさいという。そして、一生懸命努力したと、あの人と同じように努力したと。けど、あの人は成功したけど、自分は失敗したと。そういう場合もあるな。それは努力が足らんかったとは言い切れんことがある。ひとつの運命として考えんといかんかもしれん。
「運命」について語った深夜の電話