取手・医科歯科通信 山本 嗣信 (やまもと つぐのぶ)

医学情報社編集顧問
フリージャーナリスト

<難民と共に生きる>

2018年11月12日 17時53分06秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

一般論としての共生思想は、「異なるもの」を理解し、「受け入れる」ことに主眼が置かれている。
その行為には、<救う側>と<救われる側>という暗黙の前提が見て取れる。
単に受け入れるだけではなく本当の意味で「共に生きる」とことにつながらない。

例えば、<難民を受け入れること>は、<難民と共に生きる>ことを意味しているのだ。

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ライフ・シフト なにを大切に生きているのか

2018年11月12日 10時26分53秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力
 
「大きな意味をもつのは、あなたがどのような人間なのか、なにを大切に生きているのか、なにを人生の土台にしたかとう点だ」

 LIFE SHIFT(ライフ・シフト) 
 

メディア掲載レビューほか

 寿命100年時代、あなたはどう生きますか? 新しい人生戦略を提示した『LIFE SHIFT』が14万部のヒット

過去200年間、人の平均寿命は伸び続けてきた。

そこから導かれる予測によれば、2107年には主な先進国では半数以上が100歳よりも長生きするのだという。

すると、80歳程度の平均寿命を前提に〈教育〉〈仕事〉〈引退〉の3段階で考えられてきたライフコースは抜本的に考え直されなければならない。

そんな難題に英国の経営学者と経済学者のコンビが正面から向き合った本が、ハードな内容をものともせず、ベストセラー街道を邁進中だ。

 「100年ライフの時代には、長い老後のためにお金を蓄えることも当然必要です。しかしそれだけではなく、変化し続ける環境に対応するためには、ライフ(人生)とワーク(仕事)のバランスが重要なんです」(担当編集者の佐藤朋保さん)

 たとえば、機械化やAIの進歩を受けて雇用はどう変わるのか。予測しづらい変化に対処するための人的ネットワークをいかに構築するべきか。健康にはどう留意すべきか……などなど。本書が示す新たな問題の切り口は、極めて多彩だ。

「弊社のウェブメディアでは、著名人や有識者の方に、100年ライフと日本人の新しい生き方を示してもらっています。各地での読書会やSNSでの反響からも、みなさんが『自分ごと』として本書の内容を受け止め、考えた様子が伝わってきますね」(佐藤さん)

 老若男女問わず、人生の岐路に立つ人すべてに、考えるヒントをくれる1冊だ。

評者:前田 久

(週刊文春 2017.06.01号掲載)

 内容紹介

■30万部突破! ずっと売れてます! 
■テレビ東京「池上彰が選ぶ今知っておきたい小さなニュース」にて紹介(2018年7月8日放送)
■Finaicial Times 電子版記事「Japan begins to embrace the 100-year life」にて紹介
■「人生の教科書」「『10年に1冊』の必読書」と大好評! 
■NHKEテレ「ハートネットTV」にて紹介(2018年4月23日放送)
■TBS「林先生が驚く初耳学! 」にて紹介(2018年4月1日放送)
■TBS 水トク!『緊急!池上彰と考えるニュース総決算!2017 ニッポンが“危ない"』にて紹介(2017年12月6日放送)

■流行語大賞2017「人生100年時代」ノミネート
■DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの読者が選ぶベスト経営書2017 第1位
■リンダ・グラットン、政府の「人生100年時代構想会議」に起用! 
■テレビ東京「ガイアの夜明け」、NHK総合「おはよう日本」、NHKEテレ「ニッポンのジレンマ」など各メディアで大反響! 
■読者が選ぶビジネス書グランプリ2017にて、総合グランプリ受賞! 
■ビジネス書大賞2017にて、準大賞受賞! 
■「人生100年時代」ムーブメントのバイブル! 
■反響の声続々! あらゆる世代から圧倒的支持! 

誰もが100年生きうる時代をどう生き抜くか。
働き方、学び方、結婚、子育て、人生のすべてが変わる。
目前に迫る長寿社会を楽しむバイブル。

世界で活躍するビジネス思想家が示す、新しい人生のビジョン。

みんなが足並みをそろえて教育、勤労、引退という
3つのステージを生きた時代は終わった。

では、どのように生き方、働き方を変えていくべきか。
その一つの答えが本書にある。

100歳時代の戦略的人生設計書。

《本書の主な内容》

●人生はより長く、健康になる。
●エクスプローラー、インディペンデント・プロデューサー、ポートフォリオ・ワーカーという新しいステージが出現する。
●スキル、知識、仲間、評判、健康、生活、友人関係、アイデンティティ、人的ネットワーク、オープンな姿勢が大事
●労働市場に存在する職種は、これから数十年で大きく入れ替わる。
●100歳になった自分がいまの自分をどう見るかを考える。
●男女の役割分担が変わる。質の高いパートナー関係が必要になる。
●数十年単位での役割の調整が必要。高度な信頼関係と徹底した計画が不可欠。
●各人のアイデンティティが変わっていく。

《世界を代表する知識人が称賛! 》
明快でタイムリー、オリジナルで書きぶりも素晴らしく、そしてとても恐ろしい。
ニーアル・ファーガソン(『劣化国家』著者)

より健康で長寿になる私たちの人生に関する迫真のケーススタディ。
私たちの知っている世界とはまったく別の未来がくるだろう。
ダロン・アセモグル(『国家はなぜ衰退するのか』著者)


【目 次】
日本語版への序文
序 章 100年ライフ
第1章 長い生涯――長寿という贈り物
第2章 過去の資金計画――教育・仕事・引退モデルの崩壊
第3章 雇用の未来――機械化・AI後の働き方
第4章 見えない「資産」――お金に換算できないもの
第5章 新しいシナリオ――可能性を広げる
第6章 新しいステージ――選択肢の多様化
第7章 新しいお金の考え方――必要な資金をどう得るか
第8章 新しい時間の使い方――自分のリ・クリエーションへ
第9章 未来の人間関係――私生活はこう変わる
終 章 変革への課題

 
 
 
 
 
 
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自分次第と決めれば

2018年11月11日 19時50分11秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

同じ出来事でも、そこから感じる善し悪しは、人によってことなる。
要は一念の転換である。
今いる場所を<いい場所>にするのは、どこまでも自分自身。
自分次第と決めれば、愚痴や不安、迷いも消える。
私が決めて、<今ここにいる>との確信で人生を勝ち飾る。

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パブリックマインド (公共の精神)

2018年11月10日 09時52分21秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

公を考える気持ち。
自分が仕事をする際、自分の利益だけじゃなく、会社の利益だけじゃなく、もっと大きな視点で物事を見える。

自己の利益を超えて、社会全体に尽くす。
その原点は眼前の一人のために行動する心だと思います。
東日本大震災後の東北復興の力になったと思います。
東北に脈打つ心温かなパブリックマインドを、次世代が受け継ぎ、新たな地平を開いていくことを念願し、私の皆さんと共に歩んでいきたいと思います。
日中友好協会副会長 橋本逸男さん
外務省退職後、福島県出身の橋本さんは、郡山市に移住し、仙台の東北大学公共政策大学院の教授に。
学生にパブリックマインド (公共の精神)のある外交を講じている。

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南原繁と現代 今問われているもの

2018年11月09日 18時16分58秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力
 
鴨下重彦
(東京大学名誉教授・賛育会病院院長・南原繁研究会代表)
No.856(平成18年1月)号

はじめに
 鴨下でございます。この度は、伝統ある学士会の夕食会の講演をさせて頂くことになりまして、大変光栄に存じております。 
 夕食会や午餐会での講演は、学者や研究者の方が、ご自分の専門の領域について解説なさる、あるいはそれ以外の方でも、自分のお仕事に関係のある話題について、ご紹介されるのが普通だろうと思うのですが、今回は全く私の仕事とは関係のないことなのです。
 実は本日の講演会の案内が出ましてから、「あなたと南原さんはどういう関係なの」という質問を随分受けました。 
 特にご参加頂いている方々の名簿を拝見しますと、法学部の方が大変大勢いらっしゃいます。

たぶん多少ご説明申し上げないと納得頂けないかと思いまして、初めに少し、説明をさせて頂きたいと思います。
 私が南原繁という名前を知りましたのは、今から半世紀以上も前、もう55年前になります。

新制高等学校の1年生の時に、国語の教科書に『人間革命』の一部が、テキストとして使われていました。

その時に国語の先生が「この南原繁という先生は大変偉い人です。

文部大臣より偉いんですよ」と、こう言われたのです。当時私は文部大臣がどのくらい偉いのかわかりませんでしたが、ともかく大変偉い人として、その名前を心に刻みました。
 昭和30年(1955年)に東京大学の医学部に入学しましたが、もう南原先生はお辞めになっていて、当時の総長は次の矢内原忠雄先生でございました。いろいろ紆余曲折を経て、私は学生時代に矢内原先生がやっていらした日曜日の聖書講義の集会に出るようになりました。

医学部の講義は結構さぼりましたが、毎日曜、聖書講義は一度も休むことなく出席いたしました。

そして当時から南原先生、矢内原先生の著書、演述集を愛読いたしましたことが、現在も私自身の糧になっていると思っております。
 この南原、矢内原、戦後の2人の東大総長は、言ってみれば「余の尊敬する人物」でありまして、いつかその評伝を書いてみたいと思っておりました。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、内部の不祥事で倒産してしまった日本学会事務センターが、『スキエンチア』という月刊の小冊子を出しておりました。

たまたま、最終号に何か書けといわれて、かねてからの思いでありました2人の先生について、「私の見た南原、矢内原時代」という、短いスケッチのようなエッセイを書きました。
 これが大変大きな反響を呼び、いろいろな方から「あなたの意見に賛成する。今の時代にこの2人の精神は非常に大事だ」というような手紙やメールを頂きました。日本学術会議会長の黒川清先生からは、「久しぶりに感激するものを読んだので、これを学術会議の全会員に配ったらどうだ」と言われたのですが、さすがにそこまで恥ずかしいことはできません。ですが関係の人には別冊を作ってお配りはいたしました。
 そういうことがご縁で、南原先生の研究家や先生の思想に共鳴する方々が集まり、勉強会を始めることになりました。先生の著作をまずは読もうということで、毎月集まって読書会をやっております。

それが「南原研究会」でございまして、まだ生まれて1年。老若寄り集まって、熱心に著作集を読んでおります。 たまたま昨年(平成16年)は南原先生がお亡くなりになってから30年に当たり、大きな節目ということで、11月20日にこの学士会館で「南原繁没後30周年記念シンポジウム」を行い、大勢の方にご参加頂きました。

その記録も本として出版いたしましたので、おそらくそのようなことが團藤先生や大内先生のお耳に達して、今日の講演をさせて頂くことになったのかと思います。

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第15代東大総長 南原繁「人間革命」を提唱

2018年11月09日 18時09分41秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

第15代総長 南原繁
真理の探究に生涯を捧げる
 南原繁は、戦後間もなく本学第15代総長になった。
同学在任中は法学部の教授を務め、政治哲学の分野において歴史的な学問業績を残した。また、理念だけでなく現実をしっかりと見定め、政治・教育の分野において的確な意見を語り、政策を実行してきた現実主義者でもあった。

一高で新渡戸稲造と出会う

 1907年7月、17歳の南原は第一高等学校に入学した。
一高入学により南原はそれまでの生き方を根底から揺るがされるほどの文化的衝撃を受けるようになる。
それは西洋文明との出会いであった。

南原はしばらくの間、儒教によって育まれた人生観と新たに出会った西洋文化との二つの世界の中で悩みながら過ごすことになる。やがて南原は新渡戸稲造、内村鑑三との出会いにより、それまでの儒教的人生観から、キリスト教に回心していくのである。
 新渡戸稲造は南原が一高に入学した時の校長であった。
新渡戸の教育理念は、西欧的な教養によって裏付けられたものであった。

その二つの柱は、内省による人間形成を求めるヒューマニズムの精神と、世界平和のための国際協調を訴えるインターナショナリズムである。
 新渡戸のこうした教育理念はあきらかに反時代的であり、その反時代性ゆえに、一高生に大きな感化と影響を与えたのである。
南原もその影響を深刻に受け止めた。家を再興し、「天下国家」に奉仕し、国益を広めることを信条としていた南原にとって、内面世界の重要性を訴える新渡戸の教えは、それまでの生き方の問い直しをせまるだけの重い意味を持っていた。
それからは新たな自己確立を果たすための読書と内省の生活が始まった。

南原の内面には、真の自己を見い出したいと願う切実な欲求があった。
内村を通じてクリスチャンに

 自己確立のために、諸宗教の門を叩くなど精神の遍歴を経た南原は、やがて「生涯の師」に出会うことになる。それはクリスチャンで無教会主義の創始者である内村鑑三であった。深い悩みの中にあった南原は、内村との出会いによってキリスト教に新たな人生の光を見い出したのである。それは南原にとっての「第二の生誕」であった。
 しかし南原はクリスチャンになったことによってそれまで身につけていた全ての価値観を失ったわけではない。例えば、南原が儒教によって与えられた「人間の共同体的結合に、高い価値を付与する共同体的価値観」は生き続けた。
それは、後にキリスト教的神性と国民共同体とを結び付けようとする哲学的立場として復活することになる。南原が内村との出会いによって清算したのは、世俗的な立身を目指す功利主義的な生き方であった。
筧哲学からプラトンに共鳴

 南原が入学した当時の法科大学では、実証的・法解釈的な学風が強かった。その中で南原が哲学に関心を持つ大きなきっかけになったのが、「仏教哲理」「西洋哲理」などの著作で知られ、唯一の哲学的講義をしていた筧克彦である。南原は大学四年間にわたって筧から仏教哲学に由来する普遍我や事物の根本関係を説いた国法学、西洋哲学を内容とする法理学を教わり、大きな影響を受けている。
筧により南原は哲学への興味、関心が育まれたのである。そして目指すべき哲学の方向性の手掛かりを筧から与えられたのである。
 南原は筧の講義によって、プラトンに深く共鳴した。
南原の奥深くには小学校時代に身につけ、キリスト教信仰によってゆるぎないものとなった超越的な存在への確信があった。
そうした南原が、経験主義的、実証主義的なアリストテレスに不満を感じて現象界を超えるイデアの世界の実在を解いたプラトンに共感を覚えたのは自然なことであった。こうして南原は筧により哲学への方向を意識するようになる。
そして、哲学への意識をさらに「政治」についての哲学に向けるようになる。そのきっかけは学問の恩師小野塚喜平次との出会いであった。
政治哲学者になることを決意

 そして、小野塚から受けた三つ目の影響は、南原にとって逆説的で決定的なことであった。小野塚の講義を通して「科学としての政治学」を学ぶ中で、政治学に「哲学的な考え方を取りいれてゆく領域があるのではないか」と感じさせられていたことである。南原は、小野塚の経験主義的な政治学に触れることにより、逆に筧から与えられた経験を超越する哲学への関心をより深めたのである。
 南原は小野塚との出会いを通して、自らの道は政治に関する哲学的研究であることを予感する。
一高に入学して以来ずっと精神の遍歴を重ねてきた南原は、そこに自身の個性に見合う「生涯を通して成し遂げるべき業」を見出していった。
 それは自らが「何であらねばならないか」を問い続けた末に「何を為すか」への手掛かりを得たという意味で、新渡戸の教えに対する南原の答えとなった。
「新日本文化の創造」を演説

 戦争とファシズムが吹き荒れた時代の中、反時代的である自らの立場をジャーナリズムに発表することなく、「洞窟の哲人」として学問に打ち込んだ南原は、第二次世界大戦終了直前に法学部長となり、大戦終了後の1945年12月に東大総長となった。
 南原は、戦後の日本が自主自律的な変革を必要としていると一貫して訴え続ける。1946年2月11日の紀元節にあたって新たな国家の再建を呼びかけた「新日本文化の創造」と題する総長演説を行なった。この演説で南原は、日本に欠けているものは「人間意識」であり、「人間性理想」であったと表明。よってその実現を目指す主体的な人間革命による新たな国民精神の創造こそが世界的な普遍性に立つ、新日本文化の創造、道義国家日本の建設の道であること、それが日本が世界と自らとに犯した過去へのつぐないを果たし、「民族の復活と新生」につながる方向であると熱っぽく語った。
 この「新日本文化の創造」演説が示すように、南原は戦後改革が目指すべき「真の革命」の方向を、「道義国家日本の建設」との結合に見出していた。それを支えていたのは、真・善・美・正義からなる文化諸価値が「相関関係」をもつとする南原の価値哲学であった。この哲学に立つ限り、南原にとって「真の革命」は政治的価値としての正義の実現を目指す「政治革命」と、「真理や人格価値」の確立を目指す「人間革命」との一致によってのみ成就し得るものだからである。
真理の探究に生涯を捧げる

 南原は政治哲学者として理想と現実の中で絶えず現実を克服して理想に近づく努力をしてきた人であるといえよう。
 それが顕著に表れたのが、1949年、冷戦状態を超えて全面講和と永世中立を主張することで独立を図ろうとする南原と、冷戦状態を受け入れて米国を中心とする西側自由主義諸国との片面講話を選択して日本の独立を進めた吉田茂との対立に現れている。
吉田からは、現実を直視せずに空論をもてあそぶ「曲学阿世の徒」と批判された。
南原の取った立場は、現実は克服すべきものとする政治哲学者としてのゆるぎなき信念から来るものであったと推察できるのである。
 南原は、東大総長を離任する際に、「真理は最後の勝利者である」とのメッセージを残している。政治哲学者として真理を探究し、ひたむきに人間としての理想を追い続けた南原の人生から、私たちは、学問に対する姿勢や学生として今何を為すべきかなど学ぶことがたくさんあることを知るだろう。
人間革命による新たな国民精神の創造こそが、道義国家日本の建設の道であると説いたのは、南原茂東京大学第十五代総長であった。
南原繁著『人間革命』東京大学新聞社1948年3月刊。
南原にとって「真の革命」は政治的価値としての正義の実現を目指す「政治革命」と、「真理や人格価値」の確立を目指す「人間革命」との一致によってのみ成就し得るものだからである。
(中略)
南原は、東大総長を離任する際に、「真理は最後の勝利者である」とのメッセージを残している。

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どんな時、どんなことをほめればいいの? 

2018年11月09日 16時12分55秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

 ささいなことでも積極的に子どもを ほめて育てることは大切です。

しかし、特に「困難な場面を乗り越え た時」や「自分で決めた目標を達成した 時」に、がんばった姿やがんばった過程 (プロセス)をほめられると子どもは、 嬉しさから「よし、次もがんばろう」、 「別のことにも挑戦しよう」という気持 ちが高まります。

家庭生活の様々な場面で、鍛えて、ほめることを意識し、実践すれば、次の「その①」から「その⑤」の ような意識や能力を高めたり、伸ばしたりすることができます!!

お子さんの学習に意識してかかわり、家庭学習の習慣化に挑戦させましょう!

◇ 「勉強しなさい!」と注意するだけでは、学ぶ意欲は高まりません。

親子で話し 合って、宿題や読書等に取り組む時間等の

【目標】を決め、チャレンジさせること が大切です。

自ら学習する姿が見られ始めたら、その都度、がんばりをほめましょ う。

◇ 学校の宿題やプリント等については、必ず確認し、時には親子一緒に学習に取り 組んだり、学校での様子や学習状況について、お子さんと会話したりしましょう。

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鍛えるって、どうするの?

2018年11月09日 16時11分28秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

「鍛える」とは、子どもに【自ら考え て課題を決めさせ、困難を乗り越えるこ と】を経験させるという意味です。

日常生活のいろいろな場面で、「ちょ っと難しいかな?」、「できるかな?」 と思えるような【目標】を、大人が勝手 に決めずに子どもと考えて設定し、それ に挑戦させてみることです。

鍛錬や精神修養的なことを意味してい るものではありません。

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知性を磨き、健康な脳を目指す

2018年11月07日 11時15分09秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

目標や夢をかなえるために前向きに生きる。
生活習慣が良くなるような生き方をする。
生涯現役で仕事をする。
ボランティア活動をする。
公民館などの集会場へ行く。
旅行に行く。
森林浴をする。
呼吸を意識して運動をする。
セミナー、講演会などで知性を磨き、健康な脳を目指す。

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効果が期待できる習慣を<やってみる>

2018年11月07日 11時04分53秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

全ての人が、その人でなければ咲かせない<花>を持つ。
どんな逆境にあろうと、自分らしく挑戦を貫く。

「元気に長生きし、人生を最後まで楽しみたい」と願うのは、誰もが同じ。
大切なのは、効果が期待できる習慣を<やってみよう>と思って、行動に移すこと。
何度か中断しても、また続けることで習慣化され、初めて効果が表れてくる

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自分に対する信頼

2018年11月07日 10時39分12秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

「青年は教えられるより、刺激されることを欲する」ゲーテ
若い感性を如何に刺激するか。
挑戦、行動によって、人を感化する。

自分に対する信頼。
いかなる苦難や試練も、全て自身の成長と幸福、人生の勝利へと転換していく。

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人生の指針となる希望の哲理

2018年11月07日 10時27分24秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

フィリピンは、著しい経済発展のさなか、一方で、急激なインフレや貧富の差の拡大、さらに環境問題、麻薬の蔓延、テロの脅威んどの課題を抱えている。
分裂、混乱、人間生命の軽視、困難な社会状況の中で、無気力や失望感に苛まれる若者も少なくない。
混迷の度を増す時代だからこそ、確かな生き方、人生の指針となる希望の哲理が求められる。
一人の人間の可能性を開く哲理。

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夢なき者に理想なし

2018年11月06日 16時57分34秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力
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吉田松陰の名言・格言

 吉田松陰(1830年~1859年)

 江戸時代末期の志士、長州藩士、思想家、教育者、兵学者。明治維新の精神的指導者。

 【 生涯 】

 1830年、長州藩士の次男として生まれる。幼少から叔父が開いた松下村塾で指導を受ける。11歳の時、藩主への御前講義によりその才能が認められる。

1850年、西洋兵学を学ぶために九州に遊学。その後、江戸に出て佐久間象山に師事。

吉田松陰は、友人と東北旅行を計画するが、出発日の約束を守るため、長州藩の通行手形の発行を待たず脱藩。

1852年、江戸に帰着後、罪に問われて士籍剥奪・世禄没収の処分を受ける。

1853年、ペリーの浦賀来航を視察し、西洋の先進文明に心を打たれて外国留学を決意。長崎に寄港していたロシア軍艦に乗り込もうとするも失敗。1854年にペリーが再航した際には伊豆下田港に停泊中のポーハタン号へ赴き、密航を訴えるが拒否される。吉田松陰は、自首し、長州へ檻送され幽囚される。

1855年に出獄を許され幽閉処分となる。1857年に叔父の松下村塾の名を引き継ぎ、松下村塾を開塾。そこで久坂玄瑞、高杉晋作伊藤博文、山縣有朋などを教育する。

1858年、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒。老中の暗殺を計画する。弟子らは反対して同調しなかったため計画は頓挫。さらに、松陰は幕府が日本最大の障害になっていると批判し、倒幕を持ちかける。結果、松陰は捕らえられ幽囚。

その後、井伊直弼による安政の大獄が始まると、江戸の伝馬町牢屋敷に送られる。松陰は尋問に際し老中暗殺計画の詳細を自供し、自身を「死罪」にするのが妥当だと主張。井伊の逆鱗に触れ、1859年に斬刑に処された。享年29歳。

夢なき者に理想なし、

理想なき者に計画なし、

計画なき者に実行なし、

実行なき者に成功なし。

故に、夢なき者に成功なし。


私心さえ除き去るなら、

進むもよし

退くもよし、

出るもよし

出ざるもよし。


 

一日一字を記さば

 

一年にして三百六十字を得、

 

一夜一時を怠らば、

 

百歳の間三万六千時を失う。

 

 人間はみな

 

なにほどかの純金を持って生まれている。

 

聖人の純金もわれわれの純金も

 

変わりはない。


 

今日の読書こそ、

 

真の学問である。

 

 



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人を感化する先駆者

2018年11月06日 16時50分26秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

吉田松陰はその半生を道途(旅)に費やし、足跡をほとんで全国に印し、これによって空漠たる政論(政治的談義)の横行する当時において着実なる見識を養成した。

松陰には、机上の空論などをもてあそぶ姿勢など、みじんもなかった。
どこまでも、行動、挑戦の中で養った<生きた見識>で、人を感化する先駆者であつた。
誰かではなく、自分が動く、自分が語る。
<一人立つ精神>


松下村塾(しょうかそんじゅく)は、江戸時代末期(幕末)に、長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に存在した私塾である。
吉田松陰が同塾で指導した短い時期の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる。

 
松下村塾
 
松下村塾の講義室

松下村塾(しょうかそんじゅく)は、江戸時代末期(幕末)に、長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に存在した私塾である。

吉田松陰が同塾で指導した短い時期の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる。

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目次

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「人権教育2020」

2018年11月06日 11時33分24秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

2011年12月19日に国連総会で採択された「人権教育および研修に関する国連宣言」の第1条には、「すべての人は、人権と基本的自由について知り、情報を求め、手に入れる権利を有し、また人権教育と研修へのアクセスを有するべきである」と記されている。

それから2年、同宣言の中で構想されたような既存の国際基準や公約の履行を支援し強化することによって人権教育を推進すべく、市民社会組織による世界的連合が立ち上げられた。同宣言は、「人種、性別、言語、宗教による差別なく、すべての者のために人権及び基本的自由を尊重することを促進し、奨励する」という国連憲章の目的と原則を再確認している。

 

UN Photo「人権教育2020」HRE2020)として新たに立ち上げられた世界的連合は、アムネスティ・インターナショナル人権教育アソシエイツ(HREA創価学会インタナショナル(SGI、その他9つの市民団体から構成されている。

2020年は、「人権教育および研修に関する国連宣言」採択10周年を翌年に控え、市民に対する良質の人権教育の提供という点で諸政府や国際機関、市民社会の到達度合いを測る重要な年になるだろう。

「人権教育および研修に関する国連宣言」採択2周年を記念して立ち上げられたHRE2020は、「同国連宣言」や「人権教育のための世界プログラム」など、国際人権基準における人権教育条項の各国による履行状況を体系的に監視することを目的としている。

HREAの事業担当でHRE2020のコーディネーターでもあるアデル・ポスキット氏は、「国連宣言と世界プログラムによって、人権教育の明確な基準と公約が存在するようになりました。HRE2020は、効果的な履行が行われるようにするために、これらの基準や公約を体系的に監視することを目指しています。」と指摘したうえで、「私たちは諸政府に対してさらに説明責任を求めていきます。なぜなら人権を基軸にした包括的な教育は、個人に知識とスキルを授け、人権を日常生活の中で促進・擁護・適用する力を与えるものだからです。」と語った。

Sneh Aurora「HRE2020のひとつの目的は、市民社会が国際人権の制度、条約、基準、政策を利用して諸政府に責任を果たさせる能力を支援強化することにあります。」とアムネスティ・インターナショナルの国際人権教育主任スネー・アウロラ氏は語った。

SGIのジュネーブ国連連絡所所長である藤井一成氏は、HRE2020という新しい取り組みの開始を歓迎し、「国連と市民社会が協働して、人権教育に関する国際政策に良い影響を及ぼすことができるでしょう。市民社会は、諸政府による政策とその履行における現実との間のギャップをなくす上で、きわめて重要な主体です。」と語った。

藤井氏は、この世界的連合が形成された経緯について、「アムネスティ・インターナショナル、HREA、SGIは、人権教育をすべての人々にとって現実のものとするためには、市民社会の主体がまとまって国際人権諸制度とより効果的に関与していく必要があり、そのためには、市民社会による協調的なプラットフォームが必要だとの認識で一致しました。私たちは、人権教育が世界的に履行されるよう、HRE2020を通じて他の市民社会の主体と協働していけることを楽しみにしています。」と説明した。

Dr. Daisaku Ikeda/Seikyo Shimbun実際、池田大作SGI会長は、毎年発表している「平和提言」の2011版の中で、国際規模で人権教育を推進する「人権教育のための国際的なNGO連合の形成」を提案し、「『人権文化』という用語は、一人一人が自発的な意思に基づいて、人権を尊重し生命の尊厳を守り抜いていく生き方を、社会をあげて文化的な気風として根付かせることを目指すものです。」と指摘している。

HRE2020は世界各地の団体と協力し、現在の加盟団体は以下のとおりである。アラブ人権研究所欧州民主主義人権教育(DAREネットワーク)フォーラム・アジア米国人権教育者の会(HRE USAヒューライツ大阪インフォーマル・セクター・サービス・センター(INSEC)アフリカ人権開発研究所(IHRDAピープルズ・ウォッチペルー人権平和研究所(IPEDEHPラウル・ワレンバーグ人権・人道法研究所

 

新たな枠組み

HRE2020の関係者によると、同団体は、関係者が人権教育公約の履行状況を監視するために使えるような指標を含めた、簡単で、使いやすい新たな枠組みを検討しているという。

この枠組みは、学校部門や、教員・法執行官・軍人・公務員の研修や、医療関係者やソーシャル・ワーカーのようなその他の専門集団の研修において、人権教育に地位を与えるために必要な様々な指標や関連説明を含んだものになる予定である。また、若者と大人を対象にした不定形型(non-formal)人権教育の取り組みのための指標も含まれる予定である。

この監視枠組みには、「人権教育のための世界プログラム」に沿うように、次のような内容が含まれる。つまり、①立法・政策文書における人権教育、②カリキュラム・学習教材における人権教育、③教育・研修プロセスにおける人権教育、④評価、⑤訓練者の育成、である。

HRE2020は、条約委員会への報告や普遍的・定期的過程)審査(UPR)、および非政府主体からのカウンター・レポート(Shadow Report)の準備に伴う協議過程において、市民団体がこの枠組みを利用することを期待している。この枠組みはまた、諸政府や条約委員会が人権教育・研修を実施する方法を具体的に探るための手掛かりを提供するだろう。

この世界的連合は、とりわけ、1993年にウィーンで開かれた世界人権会議に刺激を受けて作られたものである。同会議は、あらゆる学習機関のカリキュラムに、人権や人道法、民主主義、法の支配を内容として含めるよう、すべての国家と機関に要請した。また、人権への普遍的公約を強化することを視野に入れた共通の理解と意識喚起を達成するために、国際的・地域的人権文書で規定されているように、平和や民主主義、開発、社会的正義を人権教育に含めるべきであるとした。

また、各国首脳が「人権教育のための世界プログラムの履行を通じて、あらゆるレベルにおいて人権教育・学習の促進を支持し、全ての国家に対してこの点におけるイニシアチブの進展を促した「2005年世界サミット成果文書」も、この世界的連合の基盤を提供している。

Mr. Kazunari Fujii/ SGI藤井氏は、「SGIとHREAは、人権教育に関する国連の国際政策決定過程に市民社会の観点と提案を反映させるべく、2003年ごろから長年にわたって緊密に協力してきています。」と語った。とりわけ、「人権教育のための国連10年」(1995~2004)、「人権教育のための世界プログラム」(2005~継続中)、「人権教育および研修に関する国連宣言」の文脈においてこうした協力がなされている。

アムネスティ・インターナショナルは、とりわけ2007年に始まり2011年に国連総会での採択に結実した「人権教育および研修に関する国連宣言」の起草過程が以来、ジュネーブの国連人権理事会の場において人権教育に関するこのようなアプローチを活発化させている。

起草過程では、国連人権理事会に市民社会から効果的にアプローチできるように、SGIジュネーブ国連連絡所とアムネスティ・インターナショナル国際事務局が互いに緊密に協議した。

SGIの藤井氏は、ジュネーブの欧州国連本部を舞台に、人権教育の文脈でこういった国連政策決定の過程全体に参加してきた主要な市民社会ネットワークのひとつは、ジュネーブの「人権教育学習NGO作業部会」(NGO WG on HREL)であると語った。同NGO作業部会は、国連NGO会議(CONGO)の枠内に設置されたNGOネットワークで2006年の設置以来、SGIはその議長職にある。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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