釈迦の入滅後、釈迦の教えである仏法は次第に衰えていくという歴史観です。

平安時代は末法思想に直面した時代。
当時の人々が末法思想をどういう風に受け止めて、どう行動したのか。

末法思想を元にして生まれた新しい思想や文化もありますので、末法思想を知ると、その影響を受けた時代の歴史が興味深くなります。

平安初期から平安中期に貴族たちの間で流行した仏教は、密教でした。
空海が開いた真言宗や、最澄が開いた天台宗ですね。

密教では、加持祈祷を行って、即身成仏・現世利益を求めます。
つまり、現世での救済を求める仏教です。

そこに末法入りが近づくと、死後は極楽浄土に生まれたいと願う「浄土信仰」や極楽浄土の主である阿弥陀仏への信仰が注目されるようになりました。
こちらは来世での救済を求める仏教です。

浄土信仰・阿弥陀信仰を、末法が近づいた頃に流行させた仕掛け人は、比叡山の僧侶「恵心僧都 源信」や、六波羅蜜寺の「空也上人」です。

いずれも末法入りより100年ほど前に、末法入りを危惧して活動した僧侶です。

源信は、いろいろな経典から極楽往生について書かれた部分を集めて解説を加えた「往生要集」を著します。

往生要集では、地獄の恐ろしさをこれでもかというほどリアルに描き、次に極楽浄土のすばらしさが描かれています。
そして最後に、そんなすばらしい極楽浄土への往生の仕方が著されているのです。

地獄や極楽についてリアルに描いたのは、日本では往生要集が初めてなんです。

今までは、善行や徳行によって往生できると考えられていたのですが、

どこに往生するのか?(浄土は極楽浄土だけでなく、浄瑠璃浄土や補陀落浄土など色々あります。)
どのような善行を積めば往生できるのか?

その例となっているものが、特殊な霊験や伝説ばかりで、いまいちピンとくるものではありませんでした。

しかし往生要集では、その辺を明確にしてきました。

その中で源信はこの世に生まれたものは、地獄に落ちる運命にあるといいます。

今までだと、悪行を犯したものが地獄に落ちる。
逆にいうと、悪行を犯さなければ地獄には落ちないイメージがあったのかもしれません。
それが、この世に生まれただけで地獄に落ちるという事実を突きつけられるわけですね。

それには平安貴族たちも恐れおののいてしまいました。
しかし、それを回避して極楽浄土に往生することができる方法があるのです。

どのようにすれば往生するのか?
往生要集によるとそれは、心に仏を思って念仏を唱えること

今までは善行や徳行を積めば往生できると考えられていたのですが、末法の世になると、自力では往生もできなくなります。
下りのエスカレーターを乗り換えることはできないのです。

しかし念仏を唱えて阿弥陀様に頼めば、自力ではどうにもならなくても、阿弥陀様が極楽浄土へ連れて行ってくれるわけです。

「他力本願」という言葉は、ここから来ています。
「他力」は「阿弥陀様のお力を借りて」ということ。
今では人任せのような悪いイメージがありますが、末法の世ではそれが大事だったんですね。

そんな思想が描かれた往生要集は、貴族たちの間でバイブルとして注目を集めるようになりました。
それは、後に法然が開いた「浄土宗」、親鸞が開いた「浄土真宗」、一遍が開いた「時宗」、良忍が開いた「融通念仏宗」などに受け継がれていきます。