tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

東京都青少年健全育成条例

2010-12-15 23:41:25 | 日記


何が正しいのかは知らない。でも人には限界があるのだから本来は保護者として教え導くべきものであるが、如何せん能力がないなんてことも往々にしてあるでしょう。そんな時は責任を社会に求めたりする。それは人の性なんじゃない。

でも民主制の良好な運営は構成員の賢さが必要条件。賢いって自らを見詰め問題を見出し改めることも含まれるでしょう。賢くあればより法に頼る必要はなく幅広く自由でいられるんだ。つまり法の強化を求めるのは構成員全体から見て、自由を放棄し、自ら賢くはないとことを認めたに等しい訳ですよ。

『刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの 』

結論を言うとさ。知ると知らせるの重要性から言えば表現規制は極力やらん方が良い訳でしょう。知らないことの良し悪しなんて計れないからね。重要なのは拒否するべき理由で、その理由が確りしていれば自ずと健全さは得られる。

理由。まぁ、因みに、例えば「インセストの問題性って何。」と言われた場合。宗教的倫理観の薄い日本でどう説明すれば良い訳。確かに性的虐待の問題はあるから、それは重要なポイントだけど、それを除き愛が前提ならどうなの。生物学的にとか、じゃぁ避妊すれば良い訳。倫理観、真の愛に勝るのかなんて考えると複雑になるでしょう。なんてさ。

インセストについて議論したことがある人なら解ると思うけど、性的虐待の問題には明確な答えは出せても、純粋な愛を前提にすると堂堂巡りになるんだよね。だから丁寧に『婚姻を禁止されている』なんて法律上の問題に持って行こうとしているんだろう。

なんかね。インセストなんて刑罰法規に触れる訳でもないんだから、本当は単に主観として不快に感じるだけで、これと言って明確な理由が見出せなかったんじゃない。違うかもしれないけど懇意的には見えるよね。でもさ。マイノリティに目を向けることも重要だよ。明確な理由が見出せないようなものを否定するのはどうかと思うね。ん・・・まぁ、良いさ。

隠すことが重要じゃなくて良し悪しを判断する基準を如何に教えるかが重要なはずなんだ。法の強化を求めるって、つまりPTAやら、保護者だよね。そう言った人達が「私たちは基準を教えるだけの能力がない。」ってことを主張したに等しいよね。

青少年の重大な犯罪は急増しているとは言えないのが事実のようだけど、非行が問題なら責任を社会に求めるのではなく、ものの良し悪しを伝える保護者のあり方を見詰めなおすことの方が何倍も重要に思える。「隠さず、あらゆる素材を投げ掛け考え判断する。」これって重要だよ。

一概に法治を否定する気はないが、当人が良し悪しを判断できるから如何な現実に晒されても健全でいられるのさ。



東京都青少年健全育成条例が通ったみたいね。反発してコミック10社会が東京国際アニメフェアに対する出展を辞退するってことだけど、石原都知事は「これを理由に来ないんだったら来なくて結構。そんなことはない。来る連中だけでやる」なんて言っている。これって単なる切り離しでしょう。

【表現の自由への侵害と反発を強める出版業界に対して条例の趣旨の説明を続ける方針】って・・・。全然、そんな風には見えない。あんなガチガチの付帯決議まで付けられているんですよ。それは、つまり表現の自由においての問題を孕んでいると多くが認めているってことじゃないですか。なのにだよ。どうしてあんなに誇らしげなのか。理解に苦しみます。

彼は良識なんて言っているけど、多くの共感もあるだろうが、対して多くが問題を認める以上、その良識は彼自身の主観でしかない訳だ。「自分の子供にあんなものを見せられるのか。大人の責任だ。」とか言いながら、当の大人に責任を持てと啓発を促している訳ではなく、結局は法律に頼ろうとしているだけじゃない。

条例案が通って懇意的な運用も可能になると思っているのかもしれないけど、波紋は大きい訳だよね。どうして、そっちに目が行かないのか・・・。

また、一部問題になっている同性愛の人たちや性同一性障害の人たちに対する彼の見解もそうだけど、「足りない。」「気の毒だ。」なんて表現を用い反発を和らげようとはしているが、内容を見れば単に主観として「不快だ。」といっているに過ぎないでしょう。これに関しては、そうね。福島瑞穂議員の反論の方が至極真っ当に見える。

まぁ、例えば米国防総省が同性愛者であると公言して軍務に就くことを認めても「任務に悪影響はない」とする調査報告書を議会に提出したりしている現状から言えば、過度に同性愛者をネガティブに扱うこと自体、古臭いポーズが頭に詰っているように見えるよ。


【作品を創作した者が当該作品に表現した芸術性、社会性、学術性、諧謔的批判性の趣旨を酌み取り、慎重に運用すること。】

学術性は断定的判断ができるだろうけど、創作物である以上、あらゆる物に芸術性は見出されるし、人、それに準ずるものを題材にする以上は社会性も付加される。またユーモアを交えた描写があるのは、ある意味として当然だろうからね。ここを厳密に汲み取ることを前提にするなら判断基準はどうなんだろう。懇意的に振舞うなら付帯決議の意味はない訳だしさ。これこそ本当の意味での良識が問われる。



PTAやら都知事やらの言い分は「見せない、触れさせない。」、つまり考えさせないってことを法律で固めようって言っているに等しい訳だからね。結局、温室育ちが何れ親になって行くってことですよ。

18禁ってことは、いつか触れることになるってことでしょう。18歳なんて区切りは単なる法律上の区切りに過ぎなくて、人間、そのものが大人かどうかは当人の精神の問題。精神的に幼ければ目にすることで発生する青少年云々と同等の問題が起きるじゃん。

やっぱり法律に頼らない大人の責任。保護者のあり方を見詰めるべきなんだ。当の青少年の良し悪しの判断が確りしていれば如何な表現があっても反社会的行為など助長されることなどなく、虚構と現実を区別して純粋に創作物として見ることができるよね。つまり自由であれるんです。




参考にさせていただきました

【47NEWS】
http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010120101000122.html

【毎日ニュース】
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20101214ddlk13010236000c.html

【産経ニュース】
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/101215/tky1012152151016-n1.htm

【毎日ニュース】
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101208k0000m040122000c.html