goo blog サービス終了のお知らせ 

創発企業経営

15年目の会社の経営、事業報告

シャカリキ

2024年09月15日 | 経営

「でたらめだ!」

30年以上前の話。社内の決算数字が私の上司に届き、巨額の赤字が計上されていました。その時、上司が言った言葉です。

1985年9月のプラザ合意前の為替は1ドル=250円を超えていました。 これが1988年には、1ドル=128円にまで進行しました。2年ほどの間に日本の製造業のドル建てコストが2倍になったことを意味します。

この頃、私は電機会社でPC用記憶装置の海外営業に配属されていました。でたらめだと言った上司は、米国勤務から帰国後「これからはPCの時代です」と社長に進言し、会社は多額の投資を行い、PC部品の市場に参入していました。

この人が意気揚々進言した新規事業が会社にとって大赤字のお荷物になってしまいました。


2024年9月11日付日経新聞で、マネックス松本大会長が日本企業の資本効率やガバナンス(企業統治)の改革について問われ、以下のように答えていました。

「最も大きいのは経営者が世代交代しつつあることだ。 これまでの経営層には強烈な成功体験があった。 日本は焼け野原からたったの23年で世界第2位の経済大国になった。 「ミラクル(奇跡)」を実際に見てきた経営者は世の中が変わってバブルがはじけ、世界のビジネス手法が変わっても、外の意見に耳を傾けなかった」

当時の上司は、海外のビジネス経験に優れた有能な人でした。自身の経験を振り返って「ぼうぼう燃える火の中、シャカリキに働いてきた」と言っていました。

炎の中をくぐって辿り着いたら、世の中が変わっていたと聞いても簡単には受け入れられなかったと思います。

当時の日本企業は成長分野に積極的に投資する果敢さがありました。 今なら、投資に対するリターンを慎重に計算して、不確実なら手を出さないと思います。 そうしている間に、日本の製造業は韓国や中国企業に劣後してしまいました。
 
それから30年以上経ちました。 以前の上司に、「当時は「ミラクル」の追い風が吹いていたようですね。」と言ったら叱られると思います。 

その時代の米国の貿易赤字の大半が日本との貿易によるものでした。プラザ合意は日本の企業戦士が頑張りすぎた結果とも言えます。

当時の上司を含め、その頃の日本人がシャカリキに頑張って「ミラクル」を起こしたのですね。 

「シャカリキ」は、「釈迦力」と書くそうです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。