ダイエーの創業者、中内功氏は、大阪の『主婦の店ダイエー薬局』を、小売業売上高トップにまでに成長させた大実業家です。
晩年は、90年代以降の土地下落に伴う凋落から、2001年ダイエーを退任。 中内氏は2005年、私財を投じて設立した流通科学大学を訪れた後、神戸市内の病院で死去。 既に私財を全て売却処分、自宅は差押となっていたため、一度も亡骸を自宅へ戻すことなく、大阪市の菩提寺に搬送されたといいます。
流通業界出身初の勲一等瑞宝章を受章、「流通王」と呼ばれた中内氏自身が晩年、「消費者が見えなくなった」と嘆いていたそうです。 なぜそんなことが起こったか?
橘玲氏は 「貧乏はお金持ち」 (講談社) で、中内氏は「会社を自分の分身と見なしていた」と記しています。
ドラッカー(*1)がもっとも進んだマネジメントと呼ぶのが特定非営利活動法人 - NPOです。 社会は、収益が見込めず民間企業が手を出さない社会貢献事業を必要としています。 日頃の社会とのかかわりのなかで、矛盾を感じたことを、自分たちの力で何とかしたいと思う人は多いはずです。
ドラッカーはNPOから学ぶべきもっとも大事なこと - それは 使命を持つこと - であると云います。 それにより、目標達成の戦略も、規律ももたらされるといいます。 例として、アメリカ南西部のカトリック系病院チェーンがあげ、そのモットーは「患者の利益になることならば行うべきである。 その収支をあわせることが自分たちの仕事である」と。
多くの企業のように内部 - 組織や利益がはじめにあるのではなく、外の世界がもたらすべきもの 使命からスタートする。
そしてボランティアのスタッフが求めるものは (1) 活動の源泉となる明確な使命 (2) 訓練 (3) 責任 であるといいます。
これらは企業に於ける知識労働者に求められるものと同じです。 つまり人は、やりがいを求め、成果と責任を求め、使命を果たしたいと望んでいる。 仕事とはそれに答えることであると。
米国の現状をドラッカーは以下のように表しています。
- NPOは企業の世界では口先に終わっていることを実行している。
- 知識労働者の動機づけや生産性という重要な問題についても、企業が取り入れるべき考え方や制度を生み出し、パイオニアになっている。
- 今日アメリカではもっとも多くの人たちが働いている組織がNPOである。 成人の二人にひとり、8000万人強が、平均5時間、ボランティアとして働いている。
少し古いデータですが1996年現在,米国のNPOで働いている人は約1500万人。 うち1000万人が有給。GDPに占める割合は 6.8%。
2005年9月8日 日経新聞夕刊に 「NPO法人 解散急増」という記事が載りました。 財政問題により、社会的に意味のあるNPOが、活動継続を望みつつ解散しています。 NPOとして認証される数より解散数が多いのです。 1998年に始まった日本の制度を1940年代からの歴史を有する米国のNPOとは比較できないかもしれませんが、なぜ日本でNPOはうまくいかないのか? それは大きな疑問の一つです。
私の経験から言えるのは、最大の原因は (1) 活動の源泉となる明確な使命 (2) 訓練 (3) 責任 の不足であり、それを明確に伝えるのが経営者の役割ではないかと思います。
良質の経営者は、組織のミッションを実現する媒体に徹することができる。 そこにはエゴがない - 以下はその実例です。
「会社の目的とはいったい何だろうか」
私は改めて考えざるを得ませんでした。 しばらくの間、悩み続けた結果、私は会社経営の真の目的は、エンジニアである私の夢を実現することではなく、従業員とその家族の生活を守っていくことだと気付かされたのです。
その時から、私は「稲盛和夫の技術を世に問う」という当初の目的を捨て去り、京セラの経営理念を「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」 と定めました。
このように経営の目的を明確にした瞬間から私には何をするにも迷いがなくなり、みんなのためにいかなる苦労もいとわないという、新たな決意が湧いてくるのを感じました。
それ以来、私はいい加減な仕事をしている従業員を見つけると、「あなたを含めた全従業員の幸福のために会社はあるのだから、みんなで一生懸命に働かなければならない」 と叱るようになりました。
稲盛和夫著 「高収益企業の作り方」日本経済新聞社 17-18pp
稲盛和夫氏は、京セラ創業のみならず、当時独占企業であったNTTに対抗するKDDIを設立した戦後日本の名経営者でもあります。 なぜそんな大きな仕事ができたのか? ここにその答えがあると思います。
ドラッカーは企業の所有者の責任について、3つの定義を述べています。
1) ステークホルダー(利害当事者)のための経営
ひとつめは、 「株主、顧客、従業員、供給業者、地域社会の間の利害をバランスさせる」という、ステークホルダー(利害当事者)のための経営という考え方。
ドラッカーによればこの定義には、成果についてもバランスさせるという言葉についても曖昧で、企業の所有者がマネジメントに仕事と成果の責任を果たさせる責任構造が示されていないといいます。 結局、利害当事者の利益をバランスさせる経営を行っている企業は、今日、一つもなく、このタイプのマネジメントは長続きしないといいます。
2) シェアホルダー(株主)のための経営
もうひとつの定義は、株主の価値の最大化と利益のための経営です。ドラッカーはこれも批判します。 株主価値の最大化とは(半年から1年以内の)短期に株価を高くすることを意味し、それ以上の長期ではない。 このような短期利得の追求は、論ずるまでもなく弊害が多く、誤った目標であるといいます。
3) 「富の産出能力」を最大化する - 組織の使命と目標のための経営
ドラッカーはうまくいかないマネジメントに対して、すでに成功事例があると言います。 ドイツや日本の企業は、所有権は機関投資家に集中しているにもかかわらず、企業の所有者は自らマネジメントを行っていない。 しかし全体としては戦後40年間うまくやってきた。
これらの機関投資家は、「富の産出能力」を最大化しようとした。 この目標こそが、短期、長期の成果を統合し、マーケティング、イノベーション、生産性、人材育成などのマネジメントの成果を財務上の成果に結びつけ、株主、顧客、従業員などのあらゆる利害当事者を満足させる上で必要なものである。
そして、具体的には、組織の使命と目的から8つの領域に関する目標の達成がマネジメントの責任であるといいます。 その8つの目標は、マーケティング、イノベーション、人的資源、資金、物的資源、生産性、社会的責任、そして必要条件としての利益の目標です。
経営の責任を、その企業にコミットして長期的に経営者に委託するという日本の経営についてのドラッカーによる賛辞がありましたが、もちろん全部の企業がうまくいっているわけではありません。 うまくいっている企業はマネジメントの責任を果たしてきた。そうでない企業は果たしていなかった。 日本政府や政権党はどうか? 組織や社会に対するマネジメントの巧拙の違いはどこから来るのか?
ドラッカーは組織の使命と目標のための経営が 「富の産出能力」を最大化するといいます。 ではそれを実行する経営者とはいかなる存在か?
経営者は組織の使命と目標の実現に責任を持つ人のことです。 会社の所有者ではない経営者が結果を残すことができたのは、まさに非所有による意思決定と行動の自由が、短期、長期の成果を統合し、マーケティング、イノベーション、生産性、人材育成などのマネジメントの成果を財務上の成果に結びつけ、株主、顧客、従業員などのあらゆる利害当事者を満足するために必要だったと考えられるのではないでしょうか?
複雑な事象に対処するとき、何らかの制約 - 特に所有欲に縛られるなら決定の純粋さに曇りが出るばかりでなく利害当事者の協力を得るのは非常に難しくなります。 経営者の発言はエゴの産物か、組織の使命と目標のためのものか経営者の周りの当事者は敏感に理解します。
良質の株主は良質の経営者に経営を委託できること。 そして、良質の経営者は、組織のミッションを実現する媒体に徹することができること。 そこにはエゴがありません。
これは、創発経営の基礎になります。
起業に際し、外部から投資を受けるならば、経営者は当然、上場か売却のEXITを意識することになります。
そうなると企業の所有者についても理解しておく必要がありそうです。
私は90年代に米国企業の日本事務所に勤めていました。 私の勤める企業は堅調な利益を上げ、中西部の伝統的優良企業でしたが、突然ニューズウイークで批判されました。 競合他社に比べて成長率が低く株価が低迷していると。 当時のCEOがこれに経営努力を一層していくと即座に反応しました。 それは、迅速かつ真剣な対応でした。
当時、日本社会にいた私には、この変化の背景、経営者の危機意識の大きさの理由がわかりませんでした。 しかしこれが、その後の米国、やがて欧州や日本に飛び火した、企業再編、買収、リストラクチャリングの前兆でした。
90年代の米国の株主と企業の経営者の関係について、P.F. ドラッカー( チェンジリーダーの条件より 「企業の所有者が変わった」 ダイヤモンド社)によると以下のような背景があったといいます。
大企業には、通常、従業員の数以上の株主がいます。
ドラッカーによれば、米国では、年金基金を中心とする機関投資家全体が米国の大企業と中堅企業の株式の約4割を保有している。 投資家は、債券に関し当然高水準のリターンを求めます。 この背景がありながら、持ち株が大きくなりすぎたために、もはや簡単に売ることができない。 株主たる年金基金は、企業の仕事の成果に責任を持つべき立場になったが、株主は所有者でありながら、保有株式を売却できない。 と言って、オーナ経営者にもなれない。 年金基金は、そのような困難な立場で、しかも大企業の仕事と成果に責任を負っていたといいます。
90年代の米国の企業の変化と混乱は、このことについての経営者と株主の理解が曖昧で、資本構造については会社は株主のもの、株式の転売はいつでも可能と思われていた節があります。 企業経営者が株を売却されては困ると過敏に反応したのはそのせいです。
実際、敵対的買収や企業再編で一時的に株価が上昇し、株主が売却益を得られるように見えても、実際に受け取るものは現金でなく、ワラント債や無担保債であわてて売却する頃には、価値自体疑わしくなっているといいます。
しかし、実際企業買収(敵対的買収を含む)、再編が行われたのは株主が株式を売却する意思があったからです。 つまるところ、何が起こったかといえば、
「企業の乗っ取りと解体は、知識労働者に対する裏切りで、生産的かつ献身的に働く上で必要な信ずべきことを全て否定する」行為であった。 また 「その後、経営が良くなった企業は殆どない」。
結局、株主にも、従業員にもメリットがなく富の消失があり、株主が会社を自分の所有物として(語弊はありますが)おもちゃにした結果、誇りをもって働いていた人は傷つき、本来発生すべき富も消失した。
90年代以降の社会構造の変化は企業の本質を変えたでしょうか? 答えはイエスでありノーです。 一つ言えるのは当時も今も自動車のような製品は健在で製造業に関して言えば、国際化の流れの中で、海外に製造拠点は移転しつつも、開発や経営に携わる知識労働者に対するニーズは根強く存在します。
ドラッカーはそれを 「組織の使命と目標のための経営」と呼んでいます。
投資先を求めている企業は意外に多いと改めて思いました。
大勢の前で話すことによりプランを現実化させようという「affirmation (確認)」ができるように思います。 思考する->書いてみる->話してみる->大勢の前で発表する という順に記憶に深く刻まれるので、ない状態と比べたら、ずっと現実化し易くなると思います。
今週 9/16 埼玉県創業・ベンチャー支援センター主催のベンチャーマーケットにてビジネスプランのプレゼンテーションを行います。
日時: 平成23年9月16日(金)13:30~16:30
場所: 新都心ビジネス交流プラザ4階 JR埼京線北与野駅前 JR宇都宮線・高崎線・京浜東北線さいたま新都心駅下車徒歩8分
〒338-0001 さいたま市中央区上落合2-3-2
http://www.biz-startup.pref.saitama.lg.jp/hp/service/2011/market2011-2.html
15:15-15:35 クルマ部品のエンジニアリングサービス 株式会社インプリミス として出場します。
1) 作業 - 言われたことをする。 決められた仕事。 年収で最大300万円程度。 これは海外に移転しやすいし、年収水準はに低下傾向にあると思います。
2) 仕事 - 価値を生む仕事。 正社員であれば求められる仕事。 企業に勤める場合年収は最大2000万円程度。 一般には600-1000万円程度の水準。 実際のところ価値を生む仕事をして
いる人は少数で多くの社員が「作業」レベルの仕事で「仕事」をしていると思っているがそれに気づいていないことが多い。
3) 事業 - 自己の能力で独立して仕事をすること。 売上からコストを引いた金額はすべて自分の利益になるので、やり方次第で収入は1億円以上になる。
事業と仕事は仕事の内容は、非常に近いと思います。 継続して価値を生み出すことができるならば、事業ができる人は、組織で仕事をするよりリターンを高めることができる。
頭の中の想像だけでは、1)から3)への段階の変化は理解し難いものです。 組織にいれば、自分を庇護している屋根つきの家にいるように思えますが、その家は貸家で、ごく一部の人を除いて早晩明け渡さなくてはならない。
情報のフラット化とインフラの整備により、個人事業主が大企業と対等に仕事をできる環境ができつつあります。
創発(そうはつ、emergence)とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。(ウィキペディアより)
生命は創発現象の塊であり、進化には個々の個体による相互作用のほかに、環境との相互作用という側面も加わっています。社会的には、コミュニケーションを通じて、個々の能力を組み合わせ、創造的な成果を生み出すことが出来ると考えられています。
創発という言葉自体は、概念であり実際の現象の在り方を理解するのは容易ではありません。 創発を経営に応用する基本的な考え方は「この社会、あるいは人間は複雑なモノと考えられていますが、相互に依存しあい、局所的な変化が効果的に広がれば全体的な変化に移行し得る」ということです。
多くの人は、理解しにくい複雑そうな存在を目の当たりにして理解できないものと決めつけ、思考停止してしまいます。 そうではなく、実際に変化を起こすことが経営の課題であり、結果として意味ある経営の在り方組織の在り方の例示になると考えています。
ここには現在(いまここにある)のことを記して、概念あるいは思考がどう現実化するか実験してみたいと思います。
Let's see what happens.