小倉城は埼玉県ときがわ町田黒にあります。
小倉城地図
国道254号線の信号平沢から菅谷館方面に向かい600m先の信号を右折します(TSUTAYAあり)日枝神社を過ぎて、大福寺に駐車場があり登り道があるようです。私は大福寺の手前に登り道案内を見つけて登りました。(
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/96/dd5167a974d73fcd10639699b6fbe52e.jpg)
この案内から南100先に路駐帯があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/fd/a79cc133a1c9d2a6b3bf91dbff819a89.jpg)
尾根を西に進み段差があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/0e/4bc152a8798ed4613eaa54a19ff6f12b.jpg)
壕のような堀があり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/dd/9a775b208e6fe3e1ce63737bf0711c90.jpg)
第一堀切
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/85/178f637336e6f713f7a48d54ed2b539c.jpg)
第二堀切と二重堀です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/0b/ecb931a243e41e57f2f4a28b63f184e1.jpg)
二重堀切を過ぎて、虎口が見えてきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/bb/0d68fdda4a7891d0e0bb45db8f956121.jpg)
東虎口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/f1/c9680626007087731d3cc9bdb4405bf8.jpg)
虎口を守る大手曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/0d/29c8d9e16e9bff84e2bb573100dfb4ce.jpg)
桝方に入って、本丸城壁を見ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/c0/813d6b5b08a541e8f72d2433a51adeed.jpg)
桝方虎口を見返しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/ab/59d675eb20f84b0a2457c99d823bd9cc.jpg)
本丸東虎口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/b4/f848e87c372993916be24976c3690d73.jpg)
本丸東虎口の南下の大きな本丸南下曲輪
次回 本丸から二の丸へ
小倉城の歴史については不明なことが多いが、『新編武蔵国風土記稿』によれば、城主は遠山右衛門大夫光景であったという。遠山直景は江戸城城代として、佐倉衆との取次ぎなどの任務を果たしていたが、光景もその一族であったのであろう。ただ、この城の北西には「遠山」という地名があるのが少し気になる。これは遠山氏が来たためにできた地名なのか、それとも、もともと遠山氏の発祥の地であるのか、あるいはここの遠山氏は江戸城代の遠山氏とは違い、この地域の土豪であった遠山氏であるのか、判断に迷う所である。「余湖くんのお城のページ」小倉城記事より
小倉城地図
国道254号線の信号平沢から菅谷館方面に向かい600m先の信号を右折します(TSUTAYAあり)日枝神社を過ぎて、大福寺に駐車場があり登り道があるようです。私は大福寺の手前に登り道案内を見つけて登りました。(
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この案内から南100先に路駐帯があります。
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尾根を西に進み段差があります。
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壕のような堀があり
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第一堀切
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第二堀切と二重堀です。
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二重堀切を過ぎて、虎口が見えてきます。
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東虎口
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虎口を守る大手曲輪
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桝方に入って、本丸城壁を見ています。
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桝方虎口を見返しています。
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本丸東虎口
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本丸東虎口の南下の大きな本丸南下曲輪
次回 本丸から二の丸へ
小倉城の歴史については不明なことが多いが、『新編武蔵国風土記稿』によれば、城主は遠山右衛門大夫光景であったという。遠山直景は江戸城城代として、佐倉衆との取次ぎなどの任務を果たしていたが、光景もその一族であったのであろう。ただ、この城の北西には「遠山」という地名があるのが少し気になる。これは遠山氏が来たためにできた地名なのか、それとも、もともと遠山氏の発祥の地であるのか、あるいはここの遠山氏は江戸城代の遠山氏とは違い、この地域の土豪であった遠山氏であるのか、判断に迷う所である。「余湖くんのお城のページ」小倉城記事より