山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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仲山城②

2018-05-14 22:07:54 | 山城ー武州
前回記事の北尾根からでなく南斜面からの攻城記録です。


寺の裏に回ると墓地が階段状に並んでいます。墓地の左手から山に入り、薮を潜り抜けて斜面を登ってゆきますと、二段の腰曲輪が待ち受けています。(薮で写真になりません。)

二段の腰曲輪の上に比較的大きな曲輪(東曲輪)があります。

本丸に通じる壕道

本丸、奥に土塁

説明版、正和元年、1312年阿仁和兵助基俣は新田義貞の配下となって、この地を治めたという。二代直家は侍女との縺れから武蔵秋山城主、秋山新九郎継照に攻められ討死したと伝えられている。

西から本丸を見ています。

本丸西下曲輪

西下曲輪から本丸西城壁を見ています。

西第二曲輪

西第三曲輪

西第四曲輪

西第五曲輪

西第六曲輪、この曲輪から北尾根を下ってゆけば、前回記事で紹介した峠に出て諏訪神社へ行けます。


仲山城からもどって国道140号線を走ると南東に金尾山城が見えます。

秋山には秋山新蔵人神社というそのものズバリと言った名前の神社がある、当然、そこが館跡だと思ったが、新九郎の居館は御嶽神社と新蔵人神社の中間あたりにあったらしい。御嶽神社の案内板に秋山新蔵人とその居館についての記載があるのが多少なりとも手がかりとなった。秋山新蔵人は甲斐源氏の秋山氏と同族という。武田信玄に仕えて勇猛ぶりを謳われた秋山虎繁と同じ秋山氏だ。
 秩父の長瀞に仲山城という山城がある。仲山城主の阿仁和兵衛直家と秋山城主の秋山新九郎続照が侍女を巡る色恋沙汰で合戦に及んだというなんとも人間臭い逸話が残る。秋山新蔵人と秋山新九郎は似た名乗りだし時代も同じ南北朝の頃だから同一人物なのかなとも考えた。HP「城郭図艦」秋山新蔵人館記事より