千馬山城は埼玉県皆野町三沢にあります。
千馬山城地図
皆野寄居バイパスの皆野長瀞ICで降りて地方道82号線に入り、三沢地区を南に進み900mくらいに竜谷閣というホテルがあり、それから400mくらいに強石橋があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/06/e3372d3d3aaecba8143c7a9b9509ad4a.jpg)
強石橋から北に入る市道があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/bf/25305b22abc41b2a56b42f3adff1ebe9.jpg)
市道10m左手に説明板があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/f5/365fe2092366ec010b988231ccaa3ce0.jpg)
強石集落に入り、沢沿いに300mくらいに、この登り道があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/91/c627d8b4bdc3c72d3d3dc8fcf7c6d692.jpg)
千馬山城は別名竜ヶ谷城と言います。埼玉県には竜ヶ谷城は三つあり、あえて千馬山城としました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/f6/3246a750c9019a8a8bf39a439e16d238.jpg)
登り道を進むと民家があり、家の南に倉庫のような建物の前を歩きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/1f/da1d40699d02f3f3cc1a266f79a98472.jpg)
神社があって、これを左手に歩きます。
山道を歩いて15分、土橋に着き、右手には石積があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/05/25c8678a300cdef1f0b7931ceceb6428.jpg)
土橋を角度を変えて見ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/08/8811a1bd5403b47060b07565c5859ea8.jpg)
第二虎口、この虎口の縄張りは北条氏の影響が強く出ていると思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/80/18d0ecfe4a6de42d76bad8bf8425683d.jpg)
第二虎口を上から見返しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ff/385b2e3459ceb8bc8a50d289ab240818.jpg)
壕を進み
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/fd/869ef341757498b52f5e91b3861cdf5c.jpg)
第三虎口、壕道には木柵を連ねて大手を狭くしているのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/5b/750d605f991f2274e1cee28506b9b398.jpg)
第四虎口(土橋)左手
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/18/2604521fa05b6d8ad517dcb64c72e4b2.jpg)
第四虎口右手
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/11/eb2ce4e4881d53dba8aede29ce60d0dc.jpg)
第五虎口(土橋)、ようやく主郭部に近づいてきましたが次回とします。
■竜ヶ谷城とも
「新編武蔵風土記稿」などの近世に編纂された地誌などによれば山上の主郭に祀られていると伝わる用土新左衛門正光(政光、正道など)が築城したとされる山城です。「皆野町史」などでは武田氏などの侵攻に備えて鉢形城の西方秩父方面を押さえる役割を担っていたとされています。ただし眺望や距離の点で荒川が流れる秩父盆地北部に直接睨みを効かせるのにはやや無理があるように思われ、そうした機能については尾根筋の北西に所在していたと推定される「田野城」が補完していたものと思われます。「城跡ほっつき歩記」千馬山城記事より
千馬山城地図
皆野寄居バイパスの皆野長瀞ICで降りて地方道82号線に入り、三沢地区を南に進み900mくらいに竜谷閣というホテルがあり、それから400mくらいに強石橋があります。
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強石橋から北に入る市道があります。
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市道10m左手に説明板があります。
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強石集落に入り、沢沿いに300mくらいに、この登り道があります。
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千馬山城は別名竜ヶ谷城と言います。埼玉県には竜ヶ谷城は三つあり、あえて千馬山城としました。
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登り道を進むと民家があり、家の南に倉庫のような建物の前を歩きます。
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神社があって、これを左手に歩きます。
山道を歩いて15分、土橋に着き、右手には石積があります。
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土橋を角度を変えて見ています。
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第二虎口、この虎口の縄張りは北条氏の影響が強く出ていると思います。
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第二虎口を上から見返しています。
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壕を進み
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第三虎口、壕道には木柵を連ねて大手を狭くしているのかもしれません。
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第四虎口(土橋)左手
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第四虎口右手
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第五虎口(土橋)、ようやく主郭部に近づいてきましたが次回とします。
■竜ヶ谷城とも
「新編武蔵風土記稿」などの近世に編纂された地誌などによれば山上の主郭に祀られていると伝わる用土新左衛門正光(政光、正道など)が築城したとされる山城です。「皆野町史」などでは武田氏などの侵攻に備えて鉢形城の西方秩父方面を押さえる役割を担っていたとされています。ただし眺望や距離の点で荒川が流れる秩父盆地北部に直接睨みを効かせるのにはやや無理があるように思われ、そうした機能については尾根筋の北西に所在していたと推定される「田野城」が補完していたものと思われます。「城跡ほっつき歩記」千馬山城記事より