毛呂竜ヶ谷山城は埼玉県毛呂山町阿諏訪にあります。
毛呂竜ヶ谷山城地図
地方道30号線日高方面に向かいで毛呂本郷の信号を右折し300m先の二又を左の道を進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/29/5e9bda5870e5606efb5e643d371909b3.jpg)
二又から900mくらいで、雷電神社入口の案内があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/fe/5f75832ce6c24a47364c7b4683845c0e.jpg)
鶴ヶ島ゴルフ倶楽部の敷地内に雷電神社があります。ゴルフ場からは警告版が出ており不審者扱いされないよう注意して行動してください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/d3/6f5f3348e3259e970f1bba938d2e236a.jpg)
参道ですが長い曲輪です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/5d/12630dd8ecb6658493afa6fac2374e26.jpg)
縄張り図は「余湖くんのお城のページ」より、長い曲輪から南西に下る道があり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/f6/25d2a5716741f2abc1f2c1bc58c822b5.jpg)
曲輪9
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/1e/4759dbb50e48eea826f7a65906352fa0.jpg)
曲輪9の東上に空堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/1e/830393b87e381113b7744c117c55b042.jpg)
長い曲輪の北側に出てきて鳥居があります。これを東に下ると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/c8/b9b494feaafd1cdd01c961490679c284.jpg)
東虎口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/a5/3fef49629e63dc5a9244c2dea6218146.jpg)
両側から腰曲輪に挟まれた大手、先はゴルフ場のファウエイ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/72/e31068ed08c87ca724897de43bdfa141.jpg)
曲輪5
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/f4/a62a123301990c1b9163a02b2a31aa69.jpg)
この階段を登れば曲輪2・本丸ですが次回とします。
毛呂竜ヶ谷城について
上杉家文書」の北条氏綱状によれば、大永4年(1524年)の10月に山内上杉氏憲房が上州勢を率いて後北条氏方の毛呂要害をめぐる戦いが行われたとされています。その時に毛呂氏が立てこもったのが具体的にどの場所かというと、これには諸説があるようで小田谷の長栄寺にある毛呂城も有力な候補ですが、多くの方も主張するように「常設展示解説図録」(1994/毛呂山町歴史民俗資料館)でも、この阿諏訪地区に所在する「竜ヶ谷山城」 ( たぶん要害が訛ったと推定される ) を示唆しています。「城跡ほっつき歩記」竜ヶ谷城記事より
毛呂竜ヶ谷山城地図
地方道30号線日高方面に向かいで毛呂本郷の信号を右折し300m先の二又を左の道を進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/29/5e9bda5870e5606efb5e643d371909b3.jpg)
二又から900mくらいで、雷電神社入口の案内があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/fe/5f75832ce6c24a47364c7b4683845c0e.jpg)
鶴ヶ島ゴルフ倶楽部の敷地内に雷電神社があります。ゴルフ場からは警告版が出ており不審者扱いされないよう注意して行動してください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/d3/6f5f3348e3259e970f1bba938d2e236a.jpg)
参道ですが長い曲輪です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/5d/12630dd8ecb6658493afa6fac2374e26.jpg)
縄張り図は「余湖くんのお城のページ」より、長い曲輪から南西に下る道があり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/f6/25d2a5716741f2abc1f2c1bc58c822b5.jpg)
曲輪9
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/1e/4759dbb50e48eea826f7a65906352fa0.jpg)
曲輪9の東上に空堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/1e/830393b87e381113b7744c117c55b042.jpg)
長い曲輪の北側に出てきて鳥居があります。これを東に下ると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/c8/b9b494feaafd1cdd01c961490679c284.jpg)
東虎口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/a5/3fef49629e63dc5a9244c2dea6218146.jpg)
両側から腰曲輪に挟まれた大手、先はゴルフ場のファウエイ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/72/e31068ed08c87ca724897de43bdfa141.jpg)
曲輪5
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/f4/a62a123301990c1b9163a02b2a31aa69.jpg)
この階段を登れば曲輪2・本丸ですが次回とします。
毛呂竜ヶ谷城について
上杉家文書」の北条氏綱状によれば、大永4年(1524年)の10月に山内上杉氏憲房が上州勢を率いて後北条氏方の毛呂要害をめぐる戦いが行われたとされています。その時に毛呂氏が立てこもったのが具体的にどの場所かというと、これには諸説があるようで小田谷の長栄寺にある毛呂城も有力な候補ですが、多くの方も主張するように「常設展示解説図録」(1994/毛呂山町歴史民俗資料館)でも、この阿諏訪地区に所在する「竜ヶ谷山城」 ( たぶん要害が訛ったと推定される ) を示唆しています。「城跡ほっつき歩記」竜ヶ谷城記事より