山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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寺尾中城②

2018-05-16 20:39:25 | 山城ー上州
三の曲輪・四の曲輪へ


二の曲輪から東へ下り

中継ぎの曲輪を経て

三の曲輪西城壁を見ています。

三の曲輪の城壁は岩です。

三の曲輪東虎口

三の曲輪は南北に40mほどあります。

三の曲輪南側

東尾根を歩き、四の曲輪へ向かいます。

尾根を下り堀切

さらに下って

土橋

土橋を渡ると四の曲輪

尹良親王の籠る寺尾城(新田郡の尾島町にあるという説がありますが、地名もなく無理があり、寺尾城は高崎市と思っています。)を攻めた上杉憲定の生涯
天授元年/永和元年(1375年)、上杉憲方の子として誕生。
応永元年(1394年)、父の死により家督を継ぐ。応永6年(1399年)、応永の乱が勃発、大内義弘に呼応しようとした3代鎌倉公方・足利満兼を押し止める一方、今川泰範と共に泰範の叔父・了俊の助命嘆願をしている。
応永12年(1405年)、関東管領となって満兼とその子・持氏を補佐した。憲定は満兼時代から既に破綻をきたしていた室町幕府との関係改善に努めたが、応永17年(1410年)に持氏の叔父・満隆の謀反騒動が起こり、翌応永18年(1411年)に管領職を上杉氏憲(禅秀)に譲っている。この騒動は反憲定派が満隆と結びついたためとされている。
応永19年(1413年)、死去。享年38。跡を長男・憲基が継いだ。ウィキペディアより