山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

小瀬戸城

2015-02-27 19:21:44 | 山城ー武州
小瀬戸城は埼玉県飯能市小瀬戸にあります。

小瀬戸城地図

飯能第二小の裏山に城址があります。地方道70号線で学校前に公民館というバス停そばから北に入る道があり(細く駐車はできません)
そこから右手の山に取り付きます。遺構は南先端部ですから、奥へ入らないように注意。

尾根に着いて堀切があります。

本曲輪

堀切を北に見返しています。

本曲輪を南から見ています。

本曲輪の南西下にある神社(曲輪があったようです。)

本曲輪の南尾根を下ると腰曲輪

第二腰曲輪

帯曲輪

帯曲輪を横から見ています。道は下っていて学校のフェンスにぶつかってしまいます。大手は
学校の敷地まで通じていたようです。おそらく学校に館があったのではないかと推測します。

「新編武蔵風土記」に岡部六弥太忠澄の後胤である岡部小右衛門が此処に居住したと伝えています。








城山砦(柏原城)②

2015-02-27 18:56:36 | 山城ー武州
本丸へ

本丸を囲む空堀をまず歩きます。

西側の堀

北側へ

東側の堀、土塁が伸びて横矢となっています。

土塁の先端の堀、これを右に迂回すると

本丸東虎口

本丸

本丸東の横矢

本丸東側から北の犬走

本丸西虎口を見ています。

本丸を西から東に見ています。

以上で城山砦は終ります。次回 飯能市 小瀬戸城


城山砦(柏原城)

2015-02-26 18:47:25 | 山城ー武州
城山砦は埼玉県狭山市柏原上宿城の腰にあちます。

城山砦(柏原城)地図

信号柏原から県道260号線に入り、左手に常楽寺があり、その反対側の南に林が見えます。そこが城山砦です。民家と畑の間の道からアクセスできます。

駐車スペースがあり、そこから入り口になっています。

入り口付近にある稲荷神社、櫓台でもあった感じを受けました。

稲荷神社西に位置する二の曲輪

稲荷神社の東に位置する二の曲輪

二の曲輪の東に空堀に守られた本丸西虎口

本丸西虎口から北に横矢が出せる土塁を伸ばして、その周囲を空堀で囲んでいます。

本丸西虎口は南にも下っています。こちらが大手であったと思われます。

大手

大手の横にある説明板

戻って本丸虎口前の空堀を見ています。右上が本丸、左手が二の丸

本丸西虎口を横から見ています。その先が横矢

横矢

次回 本丸




三峰城

2015-02-24 22:28:59 | 山城ー武州
三峰城は埼玉県大滝村三峰にあります。観光地としての三峰神社も有名です。

三峰城地図


三峰神社の駐車場から見た城山

鳥居をくぐって西へ行くと、この階段を上ったところにお宮があり北側の景色を見る展望台が設置されています。

駐車場にある登攀ルートには雲取山への案内があります。

写真の上部に鳥居が見えます。お宮から尾根に登りました。

重要な曲輪で東曲輪とします。

東曲輪の東側にある大堀切

大堀切の東尾根を歩くと、岩を利用した東第二曲輪

堀切

この先は100mくらい尾根が続いていて曲輪もあるようですが雪で判別できません。お宮に戻ります。

お宮から西へ歩いてゆくと、この高台があり

本丸

本丸は円筒形の形状です。

三峰神社本殿

三峰城は雲取山から山梨県の丹波山村、東は奥多摩町へと通じており、城からの山岳ルートがあったのかもしれません。

塩沢城③

2015-02-23 19:00:43 | 山城ー武州
二の丸から本丸・詰め丸へ


二の丸は扇形の形をしています。

第四腰曲輪

本丸(本丸は二段となっていて、北側はやや傾斜があります。)

本丸南側

本丸から南尾根を登って詰め丸へ

詰め丸までは40mくらいです。

本丸を見下ろしています。東側に土塁が確認できます。

詰め丸1

詰め丸1を振り返って見ています。

20mほどの尾根の先に

詰め丸2(物見では山々ばかりで見通しはよくありません。)

詰め丸2から南尾根が伸びています。こちらは搦め手でしょう。

さらに尾根は細尾根となっています。実は山を下って、土地の親切な坂本さんという方と話したところ、いくつか
耳寄りな話を聞けました。この先に相撲平という平場があり、おそらく根小屋があったのではということでした。
山を下りての話であったので後の祭りでした。雪が解けて、この塩沢城を登る際には、この細尾根の先の
平場をぜひ見てください。できればコメントをいただければ有難いです。

坂本氏の話では長尾景春は秩父市の国道140号線の信号美の山入り口から東に市道を進むと
瑞岩寺(この裏山が長尾城、前のビッグローブのブログ「山城めぐり」で紹介しています。)
で長尾景春は自害したとされており墓もあるが、実際は影武者に腹を切らせて、本人は上州白井城に逃れたという
伝説があると教えてくれました。裏山が長尾城であり、この山城も景春が一時期拠点としていたこともわかっています。

もうひとつ、塩沢城の南尾根を伝っていけば、県道367号線(薄小森線)が走る小森に出ることができる。
この地域の土豪は最初は長尾景春に従っていたが、太田道灌に凋落されて寝返り、長尾景春を裏切ったとの話もしてくれました。

次回 三峰城