山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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磯部城③

2018-05-29 21:45:29 | 山城ー上州
浜松城最新調査
企画展
浜松の文化財2017
企画展「浜松の文化財2017」チラシ(PDF:191KB)
日程 平成30年5月29日(火曜日)~7月13日(金曜日)
会場 浜松市地域遺産センター2階 ガイダンスコーナー
時間 午前9時~午後5時(最終入館:午後4時30分)
休館日 毎週月曜日(臨時休館あり)
内容 市内における文化財の最新トピックスや調査・活動成果を紹介
「二俣城跡及び鳥羽山城跡」(国指定史跡)や明治屋醤油主屋兼店舗・高林家住宅(国登録有形文化財)の紹介
宿蘆寺大澤家墓所(市指定史跡)、宝林寺山門(県指定有形文化財)、瑞雲院鐘楼(市指定有形文化財)、木造達磨大師坐像(県指定有形文化財)の保存修理事業及び民族芸能の保存伝承事業
発掘調査速報展
文化財の防災に向けた取り組みの紹介
認定文化財「浜松地域遺産」の紹介
浜松市地域遺産センター活動報告
申込 不要
観覧料 無料
問合せ 浜松市地域遺産センター 電話:(053)542-3660 Email:maibun@city.hamamatsu.jp
ギャラリートーク
日時 平成30年6月2日(土曜日) 午前10時30分
会場 浜松市地域遺産センター2階 ガイダンスコーナー
講師 太田好治(浜松市文化財課長)
問合せ 浜松市地域遺産センター 電話:(053)542-3660 Email:maibun@city.hamamatsu.jp


東側遺構と東山


二の丸の北側を下って東へ廻ると

東斜面の中段に南北50mもある中段曲輪

東から見て、中段曲輪の城壁

現在はふれあい広場となっていますが、根小屋ではないかと思います。

東斜面にある中段曲輪を南から見ています。

中段曲輪を北に向かって歩きます。中央に段差

段差があって一段高くなります。中段曲輪を北へ歩き

中段曲輪の西には横堀がやはり築いてあります。

中段曲輪は二段の曲輪で下段曲輪

ふれあい広場の東にある山

東山の北側には曲輪と思われる遺構があります。

東山への登り口

現在はいこいの広場とされていますが、長い平地です。私は東曲輪と考えております。

というのは、この平地の北には櫓台のような跡があります。

次回 本丸

佐々木盛綱 ②
平家滅亡後、源頼朝と弟の源義経との間で対立が深まっており、そうした中の文治元年(1185年)10月24日、頼朝は父である源義朝の供養を行い、盛綱もそれに列している。文治2年(1186年)10月24日、甘縄神明神社へ参拝した頼朝に随行する。文治4年(1187年)7月10日、源頼家が初めて鎧を着る儀式に加わる。建久元年(1190年)8月15日、頼朝の鶴岡八幡宮参拝に随行する。
同年7月20日、頼朝の邸宅での双六の最中に、盛綱の15歳の息子・信実が工藤祐経の額を石で打ち、流血へと至る事件が起きる。信実はその場を逃れ、盛綱はその後を追ったが、翌日に頼朝より信実を捕らえよと命じられる。しかし盛綱は、信実は既に出家を遂げ逃亡し、親子の縁を切ったと述べる。頼朝が盛綱に対し、祐経に対する謝罪を命じると、既に親子の縁を切った事を理由に謝罪を拒否した。
9月から11月、頼朝に従い上洛し、院への参上や石清水八幡宮への参拝などに随行する。建久2年(1191年)10月1日、奥州と越後国より牛15頭を頼朝に贈る。建久3年(1192年)11月15日、永福寺への参拝に随行する。建久4年(1193年)9月7日には後白河法皇の崩御後に荒廃していた御所の宿直を命じられる。建久5年(1194年)2月2日、北条泰時の元服式に、11月21日には三島大社の神事による笠懸に加わる。
建久6年(1195年)4月10日、東大寺供養の為に上洛した頼朝の参内に従い、この時には兵衛尉に任じられている。5月20日の四天王寺参拝にも随行している。
頼朝が没した後の建久10年(1199年)3月22日には、出家しており西念と称する。建仁元年(1201年)4月3日、上野国磯部郷に在り、城資盛・坂額御前の反乱の制圧を命じられる。命令は4月5日に西念の下に届き、越後国鳥坂城に構える城資盛を激戦の末に破った(建仁の乱)。牧氏事件では、元久2年(1205年)閏7月26日京に在った平賀朝雅を討つ軍に加わる。
没年月日は不詳であるが、倉敷市に盛綱のものと伝わる墓が残っている。ウィキペディアより