寺山砦は秩父市吉田久長(旧吉田町)にあります。
寺山砦地図
地方道37号線で吉田久長地区に入り、信号龍勢会館前を北に市道を進み天徳寺を目指します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/27/4bacc04e906500b17bdde17d88d30bcd.jpg)
天徳寺山門から北に見える山が城山で、寺山砦があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/4f/f6bcc5d704c1d6b60206e8f401591917.jpg)
天徳寺本堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/b1/301de347526750abd6c5a8b457096152.jpg)
登り道が分からず、本堂の裏手から山を直登しました。第一腰曲輪と第二腰曲輪の城壁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/4c/481ee7eebe5ebb087bbeb58e45bb66b1.jpg)
第一腰曲輪を見下ろしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/96/7275ae9455c0419f19662be58791c37f.jpg)
第二腰曲輪と本丸城壁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/c2/95d4d376fbbcb5ece4b40a45e205a785.jpg)
第二腰曲輪を見下ろしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e8/1d5bae973ed78bbf6306ec354e697599.jpg)
本丸(狭く東西5m南北10mほどの四辺形です。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/97/89e9f73ae045cca0afc8a3ba857ef4b2.jpg)
北尾根を見下ろしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/4a/adec0242cfd1ac7adf9db19c24db9b9a.jpg)
本丸北尾根、第一堀切と小曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/1e/2de4951aff21e41cace4bbd55a1b9c2f.jpg)
第二堀切と小曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/d0/8f41bb35053dcd8f0128ece73c99e9d9.jpg)
第二小曲輪から本丸城壁を見返しています。
梅沢氏の下記の著書などでは地元では「物見平」と伝えられこの通称「寺山」に堀切が所在していることは知られていたと記されています。また、「秩父風土記」(埼玉叢書所収版)によると約800メートルほど北東に所在している竜ヶ谷城には久長但馬守(北条氏邦の家臣か)が居城したとの伝承が記され、永禄年間には用土新左衛門尉が久長の地を安堵されている(永禄6年2月「北条氏康・氏政連署判物写」(管窺武鑑より))ことなどからこれらの人物とのかかわりも考えられます。いずれにしても、こうしたことから永禄年間の武田氏などの侵攻に備えて構築された後北条氏の戦国期の砦跡のひとつと考えるべきなのでしょうか。「城跡ほっつき歩記」寺山砦記事より
旧吉田町地図
地方道71号線(上吉田)女部田城・県道363号線(石間)比丘尼城(未踏査)・県道284号線(阿熊)寺山砦)地図の通り71号線、363号線は上州万場町に通じています。国道299号線で西へ行けば佐久市に出ます。284号線は旧神泉村から北へ上州鬼石町へ通じています。つまり旧吉田町の三本の南北を走る道は上州へと通じ、武田軍の侵攻の可能性ある道であったため、北条氏はいずれも城を築いたと思われます。
寺山砦地図
地方道37号線で吉田久長地区に入り、信号龍勢会館前を北に市道を進み天徳寺を目指します。
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天徳寺山門から北に見える山が城山で、寺山砦があります。
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天徳寺本堂
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登り道が分からず、本堂の裏手から山を直登しました。第一腰曲輪と第二腰曲輪の城壁
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第一腰曲輪を見下ろしています。
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第二腰曲輪と本丸城壁
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第二腰曲輪を見下ろしています。
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本丸(狭く東西5m南北10mほどの四辺形です。)
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北尾根を見下ろしています。
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本丸北尾根、第一堀切と小曲輪
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第二堀切と小曲輪
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第二小曲輪から本丸城壁を見返しています。
梅沢氏の下記の著書などでは地元では「物見平」と伝えられこの通称「寺山」に堀切が所在していることは知られていたと記されています。また、「秩父風土記」(埼玉叢書所収版)によると約800メートルほど北東に所在している竜ヶ谷城には久長但馬守(北条氏邦の家臣か)が居城したとの伝承が記され、永禄年間には用土新左衛門尉が久長の地を安堵されている(永禄6年2月「北条氏康・氏政連署判物写」(管窺武鑑より))ことなどからこれらの人物とのかかわりも考えられます。いずれにしても、こうしたことから永禄年間の武田氏などの侵攻に備えて構築された後北条氏の戦国期の砦跡のひとつと考えるべきなのでしょうか。「城跡ほっつき歩記」寺山砦記事より
旧吉田町地図
地方道71号線(上吉田)女部田城・県道363号線(石間)比丘尼城(未踏査)・県道284号線(阿熊)寺山砦)地図の通り71号線、363号線は上州万場町に通じています。国道299号線で西へ行けば佐久市に出ます。284号線は旧神泉村から北へ上州鬼石町へ通じています。つまり旧吉田町の三本の南北を走る道は上州へと通じ、武田軍の侵攻の可能性ある道であったため、北条氏はいずれも城を築いたと思われます。