tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

「反面」?「半面」?

2016-03-16 17:22:17 | 雑感
「電動自転車は、便利なハンメン、危険性も…」

という時の「ハンメン」の漢字、いったい「反面」と「半面」のどちらなのか。
僕は「反面」だと思っていたのだが…。

【反面】 別の面。一面。他面。多く副詞的に用いる。「陽気な-寂しがり屋でもある」

【半面】 1-顔の半分。2-表面の半分。片側。「コートの-」
     3-物事の一方だけの面。一面。「-の真実でしかない」「隠された-」


大辞林の解説によれば、僕の思っていた通りである。
しかしマスコミでは、こういう場合は「半面」を使うみたいだ。

一部の新聞では「うれしい半面、寂しい」という(中略)決まりになっています。これはどちらが正しいというのではなく、使い分けが難しいので、表記揺れを防ぐためのルールのようです。(毎日まんがニュース)

「表記揺れを防ぐためのルール」…わかるような、わからないような。

まあ、「マスコミが使う方が、正しい方」とは一概に言えないようだ。


自分が整理整頓好きになったきっかけ

2016-03-15 16:46:53 | 雑感
小学1年の僕は、とにかくだらしなかった。物をすぐ失くした。

筆箱(ブルートレインの写真柄だったと記憶している)の中身も、
親から元々揃えてもらった鉛筆や消しゴムがいつの間にか全部なくなり、
クラスの女子に恵んでもらったコーヒーの匂いのする消しゴムや、
ファンシーなキャラクターデザインの鉛筆にすり変わってしまったりしていた。

3学期の終わり、僕は水疱瘡にかかった。
出席停止となり、終業式には出られなくなった。

進級すればクラスも変わるから、
教室後ろの個人棚(高さ・幅・奥行とも30cmくらいの棚が、ひとり1か所割り当てられていた)
に残してある文房具類はすべて家に持ち帰らなければならない。
僕の代わりに母親が引き取りに行った。

帰ってきた母は、
「お前の持ち物は全然棚にしまってなくて、あちこちに散らばってて、教室のみんなが、
『××君(=僕)の粘土はここにあります』『××君のハサミはここに落ちてます』
と教えてくれたんだよ」
悲しそうに、実に悲しそうに言ったのだった。

それからである。
僕が整理整頓に目覚めたのは。

小学4年か5年頃の記憶。
ランドセルは自分の席の椅子の後ろに背負わせるのが習わしだったように思うが、
リコーダーを教えに来た上級生の女子が、何気なく僕のランドセルを開けて驚いたことがある。
「うわーっ!教科書とノートがこんなにぴったり揃えて入れてある!」
国語・算数・理科・社会、それに図工とか音楽とか。
順番も決めて、同じ大きさの教科書・ノートごとに揃えて、もちろん裏表も揃えて、
そうして空いた隙間に、ぴったりフィットするように筆箱を入れる、
こういうしまい方が、そのころにはもう、長らくの習慣になっていたのだ。

…そして現在に至る。
物のしまい方については、人生ずっと、相当几帳面である。


なんかモヤモヤする…広島の中学生自殺

2016-03-11 16:46:31 | 今日の出来事
「1年生時に万引き」誤記録で進路指導 広島の中3自殺

広島県府中町で昨年12月に中学3年の男子生徒(当時15)が自殺した問題で、学校側が「(生徒が)1年生の時に万引きをした」とする誤った記録をもとに進路指導をしていたことが分かった。この記録にもとづき、学校側は生徒が志望した私立高校に対して学校長による推薦はできない、と告げていた。生徒はこの指導内容が保護者に伝えられた12月8日の夜に自殺したという。

府中町教委によると、学校側は生徒が1年生だった当時、別人の万引き行為を生徒の行為として書面に記録。ある教員が校内の会議で誤りを指摘したが、訂正されずに引き継がれた。生徒は私立高を第二志望としていたが、学校側は誤った記録をもとに専願受験はできないと告げていた。

学校側は生徒が自殺した翌日の12月9日に開いた全校集会で亡くなったことを伝えたが、公表していなかった。自殺後、誤った記録に基づく進路指導だったことが判明した。町教委は第三者委員会を設けて一連の経緯を調べるとともに、8日の保護者説明会の後に記者会見を開くことにしている。(朝日新聞)


この事件の一連の報道を見ていると、なんだかモヤモヤするのである。

「記録の誤り」がいけないのは当然。それについては100%学校が悪い。

しかし、なぜこの生徒は「自分は万引きをしていない」ときちんと否定することなく、
自殺にまで突っ走ってしまったのか、そこがわからないのだ。

以下に僕の憶測を書く。憶測であることは自覚している。彼を貶める意図は毛頭ない。
ただ、「何が真実なのか」知りたいと思うばかりだ。

11月16~19日、担任のE教諭は進路指導の個人面談をした。教室前の廊下で男子生徒に「万引きがありますね」と言うと、男子生徒は「えっ」と言った。「1年の時だよ」と言うと、間をおいて「あっ、はい」と答えた。E教諭は、男子生徒が万引きの事実を認めたのだと認識した。11月下旬の2回目の面談で、E教諭が「万引きがあるので推薦は難しい」と言うと、男子生徒は「家の人には言わないで」と答えた。(調査報告書)

「教師の側からの一方的な証言に基づく調査報告書でしかない」という点は踏まえつつも、
教師の確認の仕方が、「否定を許さない」ほど威圧的であったとは思えない。
教師は決して「犯行の追及」をしているわけではなく、
「推薦できるかどうか判断するための事実確認」をしたに過ぎないのだから、威圧的である必要もなかった。

確かに、「教師対生徒」の力関係ゆえに生徒は否定することができなかったのだ、
という事情も、想像できなくはない。
でも、咄嗟に「否定」まではできないにしても、「えっ?それはいったい何のことですか?」
という「驚き」「戸惑い」すらないのは、訝しく思う。

実は彼は、この誤記録の万引きとは別に、実際に万引きをしていたという可能性はないのだろうか?
そのことを図星で指摘されたと勘違いして、このような反応になったのではないだろうか?

その万引き現場では、店員に厳重注意されただけで済んでしまい、学校へも家へも通報されなかった。
あるいは、店員に見つかることすらなく、仲間内だけの秘密で済んでしまった。
だから彼は「どこにもバレていない」と思っていたのだが、
廊下で教師から突然訊かれて、「実は先生にはあの万引きのことがバレていたのか!」と、勘違いしたのだ。
そうなると、彼としては今度は「親バレ」が怖くて仕方なくなる。

担任が「万引きのために専願受験が難しいことが色濃くなった」と伝えると、生徒は「家の雰囲気が悪くなるので、家の人には言わないでほしい」と話し…

生徒は「『3年になってからガラスを割っているので専願受験はできない』と親に伝えたら、『そんなことで受けられないのはおかしい』と親が怒っている」と担任に話した。これに対し、担任が「そうじゃないよ、万引きで専願受験はできないんだよね」と話し…(NHK)


万引きのことを隠し通すために、親には、専願が通らない理由について、
「ガラスを割ってしまったから」という別の理由を作りあげた。
しかし、それでは親を説得できない。一方で、教師は万引きの事実を知っている。
さて、どうしたらいいのか…
困り果てた彼は、最終的に「自殺」という道を選んだのではないのだろうか。

この日の放課後に、担任と生徒と親の三者懇談が予定されていましたが、生徒は時間になっても現れず、電話もつながらなかったため、担任と生徒の両親が教室で面談し、担任が万引きのことを伝え、両親は驚いた様子だったということです。
その後、午後5時ごろに父親が帰宅したところ、生徒が倒れているのが発見されました。(NHK)


「もうこれ以上隠し通せない」と思い詰めた三者懇談の直前というタイミングに、
彼は自死を決断したのだ。

誤った記録をつけてしまい、チャンスは何度もあったのに、
それを修正することができなかった。これは100%学校に落ち度がある。

しかし、その記録内容の「確認」をしたことは、決して間違いではない。
その確認方法についても、「調査報告書」に書かれている内容を基に判断すれば、
(少なくとも今の時点ではそれを手がかりとするしかない)
教師が「頭から決めつけ、反論の機会を与えなかった」ようには見えない。
また、もしも生徒が「教師から身に覚えのない言いがかりをつけられている」
と感じる立場にあったのであれば、それを親に全く相談しなかったというのも解せない。

「教師の理不尽な断定で自殺に追い込まれた」のと、
「自分のした万引きで追い詰められて自殺した」のとでは、
事件の見え方が全然違ってくるはずだ。

もしも仮に、この生徒が本当に万引きをしていたとして、
その行為に「思い当たる」店や友人がいるのなら、名乗り出るべきだと思う。
「死者のことはそっとしておくべき。ほじくり返すべきではない」
「死人に鞭打つような真似はすべきでない」
(まして、これだけ大きな社会現象になってしまうと)
という意識が支配的になるのもわかるが、
「学校だから」「教師だから」あらゆる罪はかぶって当然、とも思えない。

ここに記したことは、あくまで僕の憶測にすぎない。
それが真実であるという根拠を僕は持っていない。
しかし、「可能性」を追求してみること自体は、排除されるべきではないと思う。

あるいはもしかすると、僕のこういった想像など荒唐無稽極まりないものであって、
実は教師が圧力をかけて、やってもいないことを生徒に無理矢理認めさせた…
という可能性も否定できないだろう。

真実は何だったのか、知りたいと思う。


墓を売る夢

2016-03-10 17:25:30 | 今日の出来事
先輩(と思しき人) 「ダメだね、やっぱりこの土地は売れないよ」

自分 「そうですね。路地裏ですし、敷地の幅が4メートルしかないですからね」

先輩 「見学に来た人もびっくりしてるもんね。『えっ!こんなに狭いのー!』って」

自分 「しかもお墓の隣ですしね」

先輩 「だったらさ、いっそ墓場として売ればいいんじゃない?広さもちょうどいいしさ
    (と、メジャーで敷地を測りだす)ほら、ぴったりだよ」


※日付が飛ぶ。


先輩 「やっぱり墓場にしたら売れたなあ。ぴったり4区画分、すべて完売」

自分 「そうですね。そもそも宅地として売ろうとしたところに無理がありましたね」

先輩 「墓場の隣だから、ちょうど元の墓とうまいぐあいにつながったしな。
    (と、元々あった墓に歩み寄る)
    …ははは、見ろよ、卒塔婆が何本も立ってる。卒塔婆は2本だけあればいいのにな。
    (と、2本だけ残して他の卒塔婆を抜き始める)
    あ、こっちも余計な卒塔婆が立ってるよ(と、別の墓の卒塔婆も抜き始める)」

自分 「いいんですか?そんなことして」

先輩 「いいんだよ。みんなさ、『卒塔婆を立てていいのは2本だけ』って知らないのかな?
    (卒塔婆をたくさん抱えたまま立ち去る)」


…今朝方見た夢。

なんで自分がお墓の販売業者(あるいは不動産業者?)になったのかはわからない。
ただ、昨晩見たテレビ番組の影響なのだろうか、
鹿児島・桜島に建つ墓は降灰除けのために1基ずつ屋根がついている、という内容だったのだが、
夢に出てきた墓にもすべて立派な屋根がついていた。


R-1ぐらんぷり2016の感想

2016-03-09 15:17:28 | 今日の出来事
今さらだけど、R-1ぐらんぷり2016の感想。時間が経ってからの方が、整理できていいのかも。
「何を上から目線で」という書きぶりは承知の上で。
ちなみに、1回戦だけで「もういいや」と思えてしまい、ファイナルステージは見ていない。

<「ワザあり」と感じた人>
・エハラマサヒロ
 この人に優勝して欲しかった。一番芸達者だったと思うのだけど。
 この人を無冠のまま埋もれさせてしまうようなことがあってはもったいない。

・横澤夏子
 うまいなあ。でも、もう充分売れてるんじゃないかな?
 そういう意味では下のカテゴリーにも入る。

<あなたはもういいでしょう、充分売れてるでしょう…という人>
・小島よしお
 誰もが知るあの海パン芸から脱していないのなら、こういう場には出てこなくていいんじゃないかな。
 「過去のヒット芸の利息」で笑いを取っているだけのように見えてしまう。

・厚切りジェイソン
 賞のお墨付きを今からもらわなくても、その芸はもう充分認知されていると思う。
 頭は良さそうな人だし、活躍の場もすでに充分広がっていると思う。

・とにかく明るい安村
 一世を風靡した裸芸を封印したのには気概を感じるけれど、その代わりの芸としてはパンチが弱い。

<いいね!という人>
・シャンプーハットこいで
 面白いんだけど、また見たいんだけど、
 「こういう芸、どこかで見たことあるような…」という感じが拭えない。

・ルシファー吉岡
・おいでやす小田
・マツモトクラブ
 面白いと思う。ただ、きれいに整い過ぎている気がするので、
 ネタの中に何かもっと「意表を突くもの」「裏切るもの」がまぶしてあると、化ける気がする。
 オチももっとパワフルに。

<うーん…?という人>まあ好みの問題だな。
・サンシャイン池崎
・ハリウッドザコシショウ
・ゆりやんレトリィバァ
勢いだけで押してる感じがする。
それをもって「技巧がない」などと言い募るつもりはないし、
これも笑いの取り方のひとつであることは認めるけど。
ただ、「R-1」の「R」が「落語」の頭文字であると聞くと、違和感はなおさら。
優勝したハリウッドザコシショウは、会場を味方につけたのがうまかったんだろうと思う。
(審査員も案外その場のそういう「空気」に流されがちなものなのかも)
しかしお茶の間では、チャンネルを変えたくなるくらい白けてた人も多かったのでは?

「R-1」の歴代優勝者は
・だいたひかる
・浅越ゴエ
・ほっしゃん。
・博多華丸
・なだぎ武(2回)
・中山功太
・あべこうじ
・佐久間一行
・COWCOW 多田
・三浦マイルド
・やまもとまさみ
・じゅんいちダビッドソン
か…。もともと名のあったベテラン以外、
特に「人気の起爆剤」としては機能していないみたいだな…