tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

町が「老化」してるよな…

2016-03-08 16:15:00 | 雑感
家の窓から見えていた広大な月極駐車場。20台以上停められそうなスペースがあった。
先週、気がつくとそこから車が消えており、
かわりに「××ケアセンター」と書かれたワゴンが隅の方に数台だけ停まっていた。
2月末ですべての駐車契約を打ち切り、
この「××ケアセンター」に土地を売ったのではないかと思われた。
広大なスペースに数台だけの駐車場を設けるはずもなく、
ここに新しい老人介護施設を作るのかも知れない。
今朝、事前の地盤整備だろうか、ショベルカーが入っていた。

うちから数軒離れたところの家がいつの間にか空き家になっていた。
違法建築らしかった家の外周の増築部分が取り払われ、
その部分の地面に新しくコンクリートを打っていた。
しかし建物は築40年くらい経っているのではないかと思われ、
それには手を入れないようだから、この家に買い手がつくようには見えなかった。

うちの向かいも10年近く空き家で、少し離れた所にも空き家があるから、
これでうちから徒歩わずか1分圏内に3軒も空き家があることになった。

今朝、最寄駅までの15分くらいの道のりで、なんと4台もの老人介護施設の送迎車とすれ違った。

前から年寄りの多い町だとは思っていたけど、近年さらに「老化」が進行している気がする。


会社の自分のデスクを描写する

2016-03-07 17:01:10 | 雑感
会社の自分のデスク。

奥側半分。左から右へ。
固定電話、ノートPC、ファイルボックス、レターケース。

ノートPCは目いっぱい奥に置くと使いづらいので、少し手前に出す分、
後ろの空いたスペースにファイルボックスを横向きに置いてある。
1か月単位で入れ替わる種類の書類が入っている。
暑い時のためにうちわも突っ込んである。
その上には卓上カレンダーを載せてある。
つまり、ノートPCの画面のすぐ上の位置にカレンダーが見える。
僕は手帳は使わず予定はすべてこのカレンダーに書き込んでいるから、
このポジション取りは重要である。

ノートPCのすぐ右、もう一つのファイルボックスとの間の隙間に、
A4を半分に切った裏紙が数十枚、目玉クリップで留められて立てて置いてある。
メモ帳、あるいは、ガムを噛んだ時の捨て紙などとして使用。
ファイルボックスには、週単位で替わる種類の書類と、
案件ごとに色分けしたクリアファイルが刺さっている。
黄色が最も使うファイル。もう10年以上使っているので、結構ゴワゴワになっている。
でも使い慣れているから替える気はない。

奥側の右端にレターケース、その上にファイルボックスを置いている。
ファイルボックスの縁にハンガーを引っかけ、ジャケットを(冬場はコートも)掛ける。
(僕のデスクの右側は通路状に空いているのだ)。
この「レターケースとファイルボックスの積み重ね」は、
ハンガーを掛けたいがための仕組みに過ぎない。
レターケースはほとんど開け閉めしないし(中にも大したものは入っていない)、
ファイルボックスは重さをかせぐために(軽いとハンガーを引っ掛けるバランスが取れないから)、
無意味に書類を詰め込んである。
PC横の適当な「壁」となって、「囲まれている」感覚を作るのにも有効。

レターケースの前にはB4サイズのマットが敷かれている。黒い下地に透明のカバー付き。
現在進行中の書類はここに挟んでおく。
デスクの「手前側半分」に置かれているのはこのマットのみ。
つまり、手前側半分は、B4サイズ×横2枚分くらい、何もないエリアとなっている。
パソコンを使う時に腕を置き、マウスを動かすエリアとなる。
PCの左側からは、USB接続で、卓上扇風機と、ケイタイの充電ケーブルが出ている。

引き出しは4つある。

お腹の前の広い引き出し。
名刺が8つのブロックに分かれて入っているが、特に整理はしていない。
その隣には人事考課系の書類(つまり人に見られたくない書類)が入っている。
そのほか、予備の割りばしやスプーンなどが入っている。

右側に3段。
一番上は文房具。おかしの空き箱などを使い、見事なまでに区画整理されて入っている。
二番目はほとんど空いている。
ガムのボトルとかポケットティッシュとか予備のネクタイとかが雑多に入っている。
財布もここに入れておく。
三番目は深い引き出し。保存する必要のある書類がおもに入っている。
就業規則とか業界関係のルールブックとか、
およそ読みそうにないが捨てるに捨てられない本も入っている。

机の下(足を入れる部分)は何も置かない。
フットレスト代わりの紙芯があるだけ。

別に面白味はない。
うちの部署では多分一番整然としたデスクだけど(何しろガサツな人が多い業界だから)、
たとえば銀行員のデスクに比べたら雑多だろう。
不要なものもたくさんあるが、うちの会社に関して言えば、
シンプルすぎるデスクは「仕事ができる人間」を演出することにはならず、
「ヒマな人間」「仕事を干された人間」、
下手をすると「入院中で長期不在の人間」に見られてしまうかもしれないから、
これ以上ものを減らすつもりもない。
(まあ、自分に何が必要で何が必要でないかは把握しているから、
いざとなれば15分で捨てるものの仕分けはできるけどね)

会社のデスクはその会社ならではの機密(程度はどうあれ)に溢れてるだろうから、
画像をアップしたりすることはできないけれど、
業界ごとの「デスクの個性」を見てみたくもある。
どっかの雑誌でそういう特集組まないかな。

 

余計な一言だとはわかっていたけどね…路上で名刺交換をねだってきた男に

2016-03-04 18:30:05 | 今日の出来事
会社の近辺の路上で、通行人に片っ端から声をかけているスーツ姿の男たちがいるなとは、
数日前から目の端っこに映り込んでいて気づいていた。
決して繁華街ではないので、こういうキャッチの人間は、いるだけで目立つ。

夜、帰りがけのその道で、男がつかつかと歩み寄ってきて、
首から提げた社員証らしきプレートを示しながら話しかけてきた。
「メ××ランドの××と申します。この辺りで知り合いを作りたくて、
名刺交換をさせていただきたいのですが!」

これに応じるとどのような展開に至るかは、国民生活センターのホームページを参照されたい。
「路上で名刺交換に応じたら、その後しつこくマンション勧誘を受けた」
手法としてはもはや「古典的」な部類に入る。
僕はすでに何年か前にも品川駅前でこれを経験している。

路上に現れる怪しい奴といえば、
前に遭遇したあれ(「路上で『時計さしあげます』という謎の男」)を思い出すが、
リアクションもあの時と同じ。「黙殺」。

フン…鼻からほんの少し息を抜くくらいの最低限のリアクションしかせずに、
歩みを緩めることなく通り過ぎようとした。
奴もそこでおとなしく引き下がっておけばよいものを、
「もし、もーし!」(人を食った物言いだ)などと言ってついてこようとするので、
彼の方に半分だけ顔を向けて、「そんなブラック企業、早く辞めた方がいいよ」
とだけぼそりと呟いて、歩き去った。
後ろの方で奴は、「あはっ!どんだけホワイト企業なんですかー!」と声を上げていた。

…まあ、余計な一言だったな。

彼がブラック企業の犠牲者だとしても、それは彼自身の選択なわけで、
僕が口を挟むことではない。“It`s none of your business”ってことだ。
そもそも「犠牲者」かどうかもわからない。
ブラック企業の「積極的な構成員」かも知れないし。
だとしても、わざわざ挑発してみせることもない。

「どんだけホワイト企業なんですかー」という彼の反応の瞬発ぶりから察するに、
彼自身も自社(のやり方)のブラック評についてはすでに心得ているのだろう。
「そうさ、ブラック企業の俺は、ホワイト企業でのうのうとしてる連中を食い物にしてやるのさ!」という
開き直りの野望を燃え滾らせているかも知れない。

以前品川駅前で遭遇したのは、新入社員と思しきリクルートスーツの女子で、
彼女の場合は「会社から無理矢理やらされている」という悲壮感が全身から漂っていた。
哀れには思ったが、同情はできなかった。だからやっぱり黙殺した。
でも、あの時の彼女は、
「そんな風に『名刺交換してこい!100枚貰うまで帰って来るな!』って
社員を路上に放り出すのって、典型的なブラック企業の営業手法なんだぜ」と
誰かから教え諭されれば、素直に事情を呑み込めたんじゃないかという感じがあった。
あの時それが言えなかったから、今回この一言が出てしまったわけだけど、
彼の場合はきっと、これで人生を切り開こうとしているのだろう。
別に認めはしないが、「俺には関係ない」ことである。It`s none of my business.
自分の頭の上のハエを追うべきだね。

<追記>
これも「マイナス金利政策」の徒花なんだろうか。
「銀行にお金を預けても金利はスズメの涙ほどしか付きません。
しかも、今は住宅ローン貸出金利が過去最低水準。
これから2020年オリンピックに向けて東京はますます活況を呈しますし、
今が不動産投資を始めるチャンスですよ!」
…彼らのセールストークがありありと浮かんでくるようだ。


ゴミの「集積所」はもうやめて「戸別収集」する時代じゃないのかな

2016-03-03 16:32:38 | 物申す
市職員、勤務中にゲームや昼寝 京都・向日市

京都府向日市のごみ収集を担当する清掃職員の大半が、所定勤務時間中にもかかわらず、市庁舎横の職場でテレビ鑑賞やゲーム、昼寝などをしていることが19日、京都新聞の取材で分かった。背景に、業務内容が勤務時間に比べて少ない実態もあり、それを市は把握しながら是正に積極的に取り組んでこなかった。市は「徐々に仕事を増やしてきたつもりだが、踏み込めていなかった」としている。

清掃職員の所定勤務時間は午前8時半~午後5時15分で、現在、アルバイトと嘱託を含めて17人いる。市や関係者によると通常、ごみ収集は午前中には終了し、それ以降の勤務時間については大型ごみ収集などを行う当番以外、犬や猫の死骸収集といった急な出動に備えて待機することになっている。

しかし、急な出動はまれで午後は仕事がない状態が少なくとも十数年、恒常化しているという。関係者の話や取材では、正午前から多くの職員が職場にこもり、携帯電話のゲームや音楽鑑賞、読書のほか、仮眠をとる状態が続いているという。

市は「今後は外部委託や事務事業の見直しを含め改善したい」としている。(京都新聞)


こういうニュースはあちこちでよく聞く。
ゴミ収集という人の嫌がる仕事、キツい・汚い・危険な仕事をしているのだから、
その見返りにある程度多めの休息が与えられるのは、認められてもいいと思う。
ただ、それにしたって、
「午前中に仕事が終わり、あとは夕方まで暇潰しをしているだけ」というのは、
あまりにもルーズな労働環境だし、本人たちにしたって、
終業時刻をひたすら待つだけの不毛な時間潰しを毎日強いられるのは苦痛だろう。
そうかと言って、全員をパートタイム勤務にして、
「実労働時間分しか給料を出さない」というのも乱暴だ。
社会に必要不可欠な仕事なのだから、労働者の身分保障も必要だ。

こういうニュースを聞くたびに思う。
「そんなに労働力が余っているのなら、集積所方式のゴミ収集はやめて、戸別収集にすればいいのに」と。

特に住宅密集地に住んでいると、ゴミ集積所というのがいかに“諸悪の根源”になっているかがわかる。

まず、集積所をどこにするかで揉める。
誰も自分の家の前に他人のゴミをうず高く積まれたくはない。
公園や空き地の前が狙われる。
うちの実家近くでは、小さな児童公園の周囲に4か所ものゴミ集積所がある。
近隣のゴミ集積所がみなここに「吹き寄せられて」きたのだ。
公園も空き地も周辺になければ、誰かの家が貧乏くじを引かざるを得ない。
持ち回りで何年かごとにその場所を変えるにしたって、
週に3度も4度もゴミの山ができるのは、相当なストレスだ。

「自分の家の前ではない」「置いてしまえば混ざって誰のゴミかわからなくなる」状況は、
容易に「分別がいい加減な投棄」や「通りすがりの不法投棄」を生みやすくなる。
近隣住民がきちんと管理しあえる環境にあればまだいいが、
時代はもうそういう雰囲気ではなくなってきているのではないか。
たとえば、昔は宅配便が荷物を配達に来て住人が不在なら、
隣家が代わりに預かるのが当たり前の習慣としてあった。
「隣同士、お互い様」の意識があったからだろう。
今は宅配便もそんなことはしない。何度だって持ち帰って再配達する。
「うちはうち、隣家は隣家」という意識が強まり、
「隣近所のために協力する」ということも、必ずしも自明のことではなくなってきている。
いいとか悪いとか価値判断を挟む余地もなく、今はそういう時代だ。
そうなると結局は、「集積所が目の前にある家」だけにゴミの後始末の犠牲が降りかかる。

また、「ここがゴミ集積所ですよ」と常に明示されている状況
(看板が出ているとか、カラス除けネットがだらしなく垂れ下がっているとか、
そもそも後始末できていなくて地面にゴミが散乱しているとか)は、
それ自体が町の美観を損ねる。

さらに、地域の自治会組織が形骸化しているにもかかわらず、
(集めた自治会費が役員連中の飲み食いにしか使われていない、とか)
「入会しないとゴミ集積所が使えない。ゆえに、ゴミが捨てられない」という一点において、
それがあたかも「人質」のようになり、
自治会の不本意な延命策に悪用されている地域だってあるのではないか。

このように“諸悪の根源”たる「ゴミ集積所」は、もうきっぱりやめればいいのだ。
そのかわり、一軒一軒、ゴミを収集する。

「ゴミを出す家は、自分の家の前に出すゴミについて、自分で責任を負う」
…これほど清々しい道理もないはずだ。

「集積所」にはいい加減な捨て方をしていた人も、自分の家の前に出すことになれば、
(そして「そのゴミはその家に帰属している」ということが傍目にも明白であれば)
捨て方には気を配るようになるだろうし、工夫もするようになるだろう。
実際、戸別収集に移行した自治体では、資源リサイクル率が高まり、ゴミ収集量が減った事例もあると聞く。

どうもみな、「一軒一軒ゴミを集めるのは大変な手間だ」という思い込みが強いのかも知れないが、
引用記事のように、ゴミ収集員の実労働時間はえてして短い。むしろ、短すぎて対処に困っている。
そもそも、郵便・新聞配達や電気・ガス・水道検針のように、
「家を一軒一軒地道に回る」仕事は、決して珍しくもない。
もちろん、マンションやアパートなど、管理人がおり、敷地に余裕もある集合住宅は、
管理人の監督下で、集積所の利用を継続すればよい。

それでも「ゴミ収集員の負担が大きい」という意見が根強く残るのなら、
個人的には収集日を減らしてもらってもいい。自分なら半減でもいい。
可燃ゴミは週1回、プラスチックゴミ・資源ゴミは隔週1回、不燃ゴミは月1回でいい。
(本当はもっと減らしてもらってもいいが、さすがにそこまでできるのは
自分くらいの特殊事情で、広く世間に敷衍できるものではないと思う)

また、「新聞配達員が、配達先でポストに新聞が溜まっているのに気づき、住人の異変に気づいた」
というニュースをよく耳にするように、
ゴミ収集員も、家一軒一軒を毎日のように隈なく回るその特性を活かし、
「地域の些細な変化にも気づける見守り人」の役割を担ってもらうのも良いだろう。
「ゴミ収集員が週に何回か家の前まで来てくれ、様子をさりげなく窺ってくれる」ことが、
生きるよすがになる独居老人だっているかも知れない。いや、冗談ではなく。
各地に現れて問題化しているゴミ屋敷(多くは住人の精神疾患が原因ではないかと思われる)や、
放置されて荒れる空き家などにも、いちばん敏感に気づけるのは彼らではないだろうか。

時代は変わっている。
いかにも前近代的な佇まいを呈している「ゴミの集積所」は、もう、やめにしてよい。


<後日追記>

台東区では2016年から全域で戸別収集に移行したそうだ。
メリットとして下記が挙げられている。

・それぞれの玄関先に出すので、ごみの出し方に対する意識が向上する。
・「分別の徹底」はもちろん、生ごみの水分を絞ったり、
 ごみが増えないよう不要な包装を断ったり等、「排出の抑制」が促進される。
・集積所が廃止されたため、集積所管理の負担が軽減されたり、不法投棄の防止につながる。

その結果、区の収集ごみ量は、2016年度上半期(4~9月)で前年度比1.6%減となっているそうだ。


よかった…「認知症男性JR事故死 家族側が逆転勝訴 最高裁」

2016-03-01 17:01:36 | 今日の出来事
認知症男性JR事故死 家族側が逆転勝訴 最高裁

愛知県大府市で認知症の男性(当時91歳)が1人で外出して列車にはねられ死亡した事故を巡り、JR東海が家族に約720万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は1日、男性の家族に賠償を命じた2審判決を破棄し、JR東海側の請求を棄却した。家族側の逆転勝訴が確定した。

事故は2007年に発生。男性が列車にはねられた事故で、JR東海が「電車に遅れが出た」として同居の妻や首都圏に住んでいた長男らに約720万円の支払いを求めた。

民法は、責任能力のない人が第三者に損害を与えた場合、代わりに親などの監督義務者が責任を負うとする一方、監督義務を怠らなければ例外的に免責されると定めている。

1審・名古屋地裁は長男を事実上の監督者と判断し、妻の責任も認定。2人に全額の支払いを命じた。一方、2審・名古屋高裁は長男の監督義務を否定したものの「同居する妻は原則として監督義務を負う」として、妻には約360万円の賠償責任があると判断。JR側と家族側の双方が上告していた。(毎日新聞)


妥当な判決が出たと思う。
地裁・高裁の判決は首をかしげるものだった。
「認知症の家族を監督できなかった責任をきっちり取れ」という主張を何が何でも通そうとするのなら、
一方で「JRにだって、そうした人間を線路に入れさせないような方策を
講じていなかったという非があったのでは?」
と思っていたからだ。
誰もが容易に入れる“開放的”な線路の構造をそのままにしながら、
「そこへ入った方が悪い」と一方的に責める理屈だけがまかり通る理由もないだろう。
天下のJRが、無辜の一市民相手に「大人気ない」という印象もあったし。

ただ、この判決はJRという大企業が当事者だったからそう思うだけであって、
たとえば「認知症の人間が過って火を出してしまい、その火災に隣家の住民が巻き込まれて死亡した」
といったようなケースともなると、また見え方が変わってくると思う。

いずれにせよ、認知症の人が暮らしていくのに不安のない社会システムや技術革新を、
早急に生み出さねばなるまいね。これからの日本は。