tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

ここ1年でネットで買った物

2016-01-25 16:26:43 | 雑感
ネットで買い物をする条件は、優先する順に、
1、実物を見なくても品質が判断できる
2、送料を含めても店舗で買うより安い
3、店舗で買うより見つけやすく早く手に入る
4、手持ちのポイントを使える

ここ1年で僕がネットで買った物。( )内は、上記条件のうち合致するもの。

海外旅行用マルチ電源プラグ(4、1、3)
昨年ベトナムに旅行に行く際に買い求めた。
ヤフーのポイントが貯まっていたが、その使用期限が切れそうだったので使い切りたく、
ヤフーショッピングで購入。
家電量販店に見に行くより簡単に見つけられたのは良かった。
ただ、ベトナムで泊まったホテルでは
どこも日本の電気製品のプラグがそのまま差し込めたので、結局使わなかった。

半袖下着シャツ2枚組(4)
アマゾンのポイントの使用期限が切れそうで、それを使い切ろうと無理矢理買ったのだが、
これは失敗だった。価格はともかく、(1)の条件が満たされなかった。
実店舗で購入した他の同様のシャツに比べ、圧倒的に生地が薄いのだ。
洗濯するうちにすぐに切れたり穴が開いたりしそうだ。
現物の品質を確認できないこういう商品はネットで買ってはいけないな、と思った。

「人生ゲーム」「カタンの開拓者たち」(1、4、2、3)
どちらも冬に室内で楽しむために購入したボードゲームだ。
「人生ゲーム」は早々に飽きてきたが、小学1年の姪っ子と遊ぶにはちょうどいい。
「カタンの開拓者たち」はなかなか面白い。
まだ2人でしかやったことがないが、より複雑さの増す3人、4人でもやってみたい。

ディスク認識エラーの解消用 マルチレンズクリーナー(4)
10年以上使っているミニコンポが、
CD再生時に1曲目2曲目あたりで必ず音飛びするようになってしまった。
それを解消させたくて購入したが、試しても音飛びは直らなかった。
違う原因があるのかも知れない。ただ、ポイントが使えたので気軽に試せた。

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年寄りこそクレジットカードを活用すればいいのに、と思う

2016-01-20 15:09:15 | 雑感
最近スーパーのレジで何回か続けて目撃したこと。

客の老人が、支払いの際、自分の財布の小銭入れを店員に広げて見せ、
「この中から必要な金額の小銭を取ってくれる?」とお願いしたり、
小銭を無造作にひと握り分トレイに入れて、
「この中からちょうどいい金額分選んでくれる?」とお願いしている、そういう光景。

硬貨を足し合わせる計算が咄嗟にできないのか、目がよく見えず硬貨が識別できないのか、
小銭を選ぶ指が自在に動かないのか、それとも、とにかく何をするにしても億劫で仕方ないのか、
いずれ自分も行きつく境遇かもしれないから批判めいたことを言うつもりは毛頭ないけど、
なんともやりきれない光景だ。

ちなみに、レジでこうした行動を取るようになるのは、認知症に近づく第一歩だそうである。
前にテレビ番組でそう言っていた。
いかにもそうだろうな、と思う。
細かいことでも「自分で考える」「自分で行動する」つまり「自立する」ことの放棄だもんな。
僕も老い先ああいう風にならないよう、意識して生活していかなきゃいけないと思う。

ただ、思うのだ。
「こういう老人こそクレジットカードを使えばいいのに」と。
今はどのスーパーでもクレジットカードが使える。サインだって不要だ。
面倒な小銭のやりとりをしなくて済む。
もちろん、経済状況によってはクレジットカードを作れないこともあるのだろうが、
無職(リタイア後)のうちの母親のように、クレジットカードを作れて持ってはいても、
「カードはなんだか不安で…」と、“現金信仰”を崩さずにカードを使わない、
という老人も多いのではないかと思う。

財布の中を店員にいじらせる信頼はあっても、
クレジットカードに対しては「漠とした不安」ゆえ、信頼を置けない。
まあ僕も、クレジットカードに全幅の信頼を置いているわけじゃないから、
レシートはきっちりもらってその場で金額を確認するし、
請求時には利用明細と保管しておいたレシートを突き合わせる作業も怠らない。
でも、「カードじゃ怖いから」という理由で、スイカ、パスモの類を使わずに
「電車に乗る時はいつも現金で切符を購入する」という人が少数派(だよね?)なように、
(でもまあ、僕もパスモで自動改札を通って過剰収受されたこともあったけどさ)
クレジットカードだってもっと自然に活用されたっていいんじゃないかな、と思う。

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雪の鉄道 大行列・大混雑に耐え忍ぶ人たちは「美談」なのか?「東京の冬の1コマ」に過ぎないのか?

2016-01-19 16:50:15 | 物申す
雪の影響で運行本数が減り、大混雑・大行列に見舞われた京王電鉄。
それを報じた昨晩(1/18)NHK夜9時のニュースには、大いに違和感があった。

(行列に並ぶ人のインタビュー)
・靴の中がビチョビチョです。
・遅刻します。寒いです。
・1時間半待っています。足の感覚もないです。
・(※もう1回、別人が似たようなことを)靴の中がビショビショです。


ひたすら「耐え忍ぶ人たち」を映し出す。
こういう時に「この程度の雪で鉄道会社は何をしてるんだ?」と声をあげることは、
もはやタブーになってしまったんだろうか?
「不満を堪えてじっと待つ」ことこそが「美徳」であり、「たしなみ」である、
ということになってしまったんだろうか?
怒り狂って罵声を発する、暴力に及ぶ、などは言語道断だが、
「不服をきちんと申し立てる」のだって、必要なことと僕は思うけれど。
そういう人は現れないのか、そういう人は編集で除外しているのか。

昨日の積雪は、過去に東京が経験してきた積雪に比べて、「あまりにもひどい」と言えるほどではない。
画面に映し出される人だって、「普通に」歩いている。足を取られるほどの積雪ですらないのだ。
朝には雨に変わってもいた。これ以上さらに雪が降る、という予報もなかった。
それなのに、この程度の雪で鉄道がこれだけ打撃を受けるのは、
やはり「人災」の側面があるのではないか?
ならば、マスコミにはその原因を追及取材してほしいと思うのだが、
NHKニュースはこう続けるのみ。

なぜこうした事態になったのでしょうか。
京王電鉄によりますと、朝のラッシュ時間帯の運行本数を
大幅に減らさざるを得なかったことでした。
理由として、京王電鉄が挙げたのが、こちらの車両基地にありました。
雪の影響で架線が切れ、電車が出発できなくなってしまったのです。
さらに、安全対策として、間引き運転をしたこともあります。
雪による思わぬトラブルの発生や、トラブルが駅と駅の間で起きて、
乗客が混雑する車内に閉じ込められる事態を避けるためでした。
その結果、少ない電車に人が殺到したのです。


「京王電鉄によりますと」「京王電鉄が挙げたのが」という言い回しに現れているが、
「京王電鉄が発表したリリースをなぞっただけ」の報道でしかない。
スキーツアーバス事故では、旅行会社だのバス会社だののドア口に詰めかけ、
経営者やら運転士関係者やらに直撃取材するのに、
京王電鉄にはそういう突っ込んだ取材をしていないのだ。
まあ、「片や死亡事故、片や列車遅延に過ぎない」と言うのだとしても、
京王電鉄の「発表」の内容を、専門家らの見地から検証してみる、ということすらしない。

繰り返すが、今回の雪はさほどの大雪ではない。
そして、「雪で架線が切れる」のは、鉄道会社なら当然想定できる事象であって、
「不可避の出来事」でも「対策し得ない出来事」でもない。
今回の一件には、京王電鉄に責任があるはずだ。なのに、それを追及しようとはしない。

さらに言えば、「間引き運転」以下のくだりも、はっきり言って「ウソ」である。
なぜなら、他の報道によれば、京王電鉄は当初、「100%の運行」を予定していたからだ。
つまり、間引き運転は予定していなかった。
(突っ込んだ取材をしないから、こういう事実にたどり着けない。
 安易に一般論にあてはめて事足れり、としてしまう)。
一件の原因は、「車両基地での架線切れ」という京王電鉄の“失態”以外にないのだ。
それなのに、NHKはなぜか、「京王電鉄の立場を慮ったような釈明」を
わざわざしてあげているわけだ。

その後に続く乗客のインタビューを見ると、
NHKのこの一件への「おかしな報道スタンス」がよく読み取れる。

(乗客の声)
・もういっぱいですよ。ドアが開かないくらいで。(記者:よく乗れましたね?)根性ですよ!
・「すし詰め」以上で、生命の危機を感じました。
 乗客同士が「大丈夫?」と声を掛け合っていて、感動して涙が出そうになりました。
・やっぱり都心は弱いですね。雪に。


あーあ…。
今回の一件はまぎれもない「京王電鉄の失態」のはずなのに、
(本当に「生命の危機」が感じられたのなら、それは深刻な事態だったはずだ)
なぜか文字通りの「根性論」「感動話」にすり替えられてしまった。
かくして、このニュースにおける「鉄道会社の責任」論はどっかに行ってしまい、
最後の乗客の声に象徴されるような「雪に不慣れな東京の冬の1コマ」という
「のどかなエピソード」で片付けられてしまった。

東京だって、雪は降るものだ。「想定外」でもなんでもない。
それへの対策を怠った鉄道会社は、もっと批判的に扱われていいはずなのに、
なぜか、それができない。
雪国では「克雪」という言葉もあるほど、雪は「立ち向かうべき災害」になっているのに、
東京は、そして東京に軸足を置くマスコミは、
「雪は非日常を演出するロマンチックなもの」程度の理解しか持っていないのだろう。
これでは鉄道会社も何の降雪対策も進めないだろうな。

「耐え忍ぶ人」を、「美談の登場人物」とか「ハプニング現場の当事者」として見て
おしまいにするのでなく、
「鉄道会社の不備が原因で虐げられる人」という視点で見てきっちり批判していかないと、
ただでさえ他に競争相手もいない「地域独占」の鉄道会社は、
この件から何も学ばないと思うよ。

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「SMAPには解散しないでほしい」…ふと思った。

2016-01-14 16:45:56 | 今日の出来事
SMAPの解散騒動。
昨晩はNHKのニュースでも取り上げられ、
報道ステーションではトップニュースの扱いだったらしい。

そんなに騒ぐことなのか?と思う。
「メンバー全員芸能界引退」とでも言うならさすがに衝撃的だけど。
大晦日、偶然、紅白歌合戦のSMAP歌唱シーンを見て、
「SMAPっていっこうに歌が上手くならないんだな…」と感じたのを思い出した。
ならば今回の騒動だって、
「歌のうまくないユニットが、一緒に歌を歌わなくなる」だけのことじゃないのか?
…と、意地悪く考える。
今だってすでにメンバーは個々に活躍を遂げているわけだし。

だが、待てよ、と思う。
「自分と同世代」(つまり40歳前後)のメンバーのいる
「現役アイドルグループ」って、考えてみたらすごいことなんじゃないのか?と。
だって40代だぜ。それがいまだ「日本のトップアイドル」の地位にいるんだぜ。
野球選手ならもう引退していてもおかしくない、この年代で。

そう考えると、SMAPにはもっと頑張ってもらわないといけない気がしてきた。
もちろん、メンバーが別れ別れになったって、それぞれ役者として、タレントとして
うまくやっていけるのだろう。
でも、ひとりひとりに切り分けられたら、
彼らはもう「現役活動中のアイドル」ではなくなる。
「元・アイドル」になってしまうのだ。

もちろん、自分がSMAPを“同世代の星”として「目標」にしてるわけじゃないし、
「意識」すらしているわけでもないけど、
(40男は、そこまで青臭くも、おこがましくもない)
「同世代にSMAPがいる」ってことは、実は知らず知らず、
「心の支え」…は言い過ぎにしても、「伴走者」みたいなものになっていたのかも知れないなあ、と。

女性ファンではなく、世の「40歳前後の男」こそ、
SMAPの活動継続を真に望まなくちゃいけないんじゃないか?
ふと、そんな気がした。

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育児休暇を取得しようという国会議員がおかしい3つの理由

2016-01-13 16:50:13 | 物申す
まず言っておくが、僕は男性が育児休暇を取得するのは大賛成だ。
だが、「国会議員が育児休暇を取得しようとする」のにはまったく承服しかねる。
なぜか。

1、国会議員は「労働者」ではない。

「労働者」とは、誤解を恐れずに言えば、経営者の指揮命令系統に則って「働かされる人」である。
そして、どのような種類の休暇であれ、
休暇を取得する権利を持つのは、「働かされる」立場にある「労働者」である。
経営者だって休暇を取得したって構わないが、
それは誰かに対して要求する「権利」ではなく、
自分自身で判断し決定する「裁量」の問題に過ぎない。
(そして経営者は、その「裁量」を誰からも邪魔されない。責任を果たしている限りは。)
ところが、国会議員は労働者のように「働かされる」立場にはない。
むしろ逆で、自分から進んで「働きたい」と訴えて立候補し、その意思が、
選挙というプロセスを経て多数に認められ、
それゆえにしかるべき権限と報酬を与えられることになった立場の人である。
その立場にいる人が、自らが「働かされている」立場の人間であるかのように振る舞い、
自身の「裁量」を労働者と同等の「権利」にすりかえようとしているのがおかしい。


2、国会議員は「取り替えの利かない」「他で穴埋めできない」存在である。

自宅の新築を、腕のある大工の棟梁個人にお願いしたとしよう。
棟梁は契約を交わして工事を請け負ったはずなのに、
突然「子どもが生まれたから」という理由で育児休暇の取得を要求し、
その間、工事はストップ、新居完成に遅れが生じてしまった…。
国会議員はこの棟梁と同様、「取り替えの利かない」「他で穴埋めできない」存在なのだ。
(逆に「誰かと取り替えが利く」「誰か別人が穴埋め可能な」存在なら、
その人は選挙という大仰なプロセスを経てまで国会議員に選ばれる資格はなかったはずだ)
そうした自分の立場を無視して職務放棄しようというのは、
「無責任」の誹りを免れないだろう。


3、国会議員の「あるべき姿勢」に照らせば…。

今の社会が「希望すれば誰もが当たり前のように育児休暇を取れる社会」ならば、
「国会議員にもそうした権利が認められてもいいのでは?」という議論が起きてもおかしくはない。
だが、現実の社会はそうなっていない。むしろ正反対の惨憺たる有り様だ。
ならば国会議員には、
「すべての国民の皆様が安心して育児休暇を取れるような社会を築いてから初めて、
 僕たちも育児休暇を取得します」
くらいのことは言ってほしい。
それが国会議員の抱くべき気概であり、国会議員のあるべき姿勢では?
国会議員はそれに見合うだけの恵まれた権限も報酬も得ているのだから。
少なくとも僕は、そういう人にこそ国会議員になってほしいし、
そうでない人には国会議員になってほしくない。

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