何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

まぶしい

2015年12月21日 19時59分20秒 | Weblog
真正面に朝陽。
まぶしくて目がくらむ。
視線をそらしても、光が目に当たると歩いていてバランスを崩す。
広い場所から狭い所に入ったり、その逆も軸がぶれてよろよろする。
歩道で対面する人がやって来たりすると、道の左によって待つのだが、距離間が測れなくて、電信柱に左手甲をぶつけたり、壁に擦ったりして小さな傷がたえない。

ゆっくり進行する病気だと聞いていたから、気がついたらあんな事がこんな事が出来なくなっていた。
ってな具合いに、進行するものだと思っていたが違ってた。
フラつきも変化がわかるほど大きくなり、倒れそうな身体を支える足に脳からの信号がうまく届かなくなっていて膝が折れて身体がくだけそうになるのを必死でこらえているのは、筋肉の力だ。

脳から信号が伝わらなくなっているのが日に日にわかる。
症状が進んでも、自分の意思で足が動かせなくなっても足の筋肉の記憶だけで前に進んで見せてやる。
足の筋肉に歩き方を記憶させる為にも、歩く事を休んだら駄目だ。

暗い道でつまづきそうになっても、電信柱や壁にぶつかっても、眩しい光に目を潰されても、又明日も朝陽に向かって歩けるように、僕は休まない。

10月の桜、って今12月だよ。

2015年12月20日 18時17分37秒 | Weblog
昨夜の棟集会は、忘年会もかねていたので、来年度4月からの棟の役員と自治会役員の選出を終えて(僕は両方の役員を引き受けることになった)後半は恒例のカラオケ大会。
夏の納涼会の時は、まだろれつも回っていたので、カラオケを唄わされるはめになったが。
近頃は、話していてもろれつの回りが悪く、しゃべっている言葉が伝わらず、「えっ。」と聞き返されることが多くなった。
そんな僕の状態がわかっているから誰からも、カラオケを唄ってくれと頼まれなかった。
でも、おやじ会議で毎朝顔をあわしている渋谷さんが「最後に高橋さんにアカペラで唄ってもらおう。」
高齢者ばかりなので最新ミックスアルバムの「ベストミックス」の最後の曲「SHINO」の1番だけを唄った。
SHINO

かしこい女になるよりも
ばかな女でいるがいい
強い女といわれるよりも
優しい女になるがいい
訳のわからぬ世の中に
産まれてきたのが不幸だと
愚痴って世間をなじるより
人を愛せる心をもて


温室育ちでいるよりも
雨風受けて生きてゆけ
おまえは野に咲く花になれ
旅行く人をなぐさめて


きれいな女といわれるよりも
かれんな女になるがいい
とげ持つ女になるよりも
清い心を武器にしろ
人の不幸に涙して
小さな望みを分かち合え
可愛い女と呼ばれるように
自分も愛せる心をもて

*(繰り返し)
 おまえは野に咲く花になれ
 旅行く人をなぐさめて


自分でも驚くのだが、部屋で練習している時は上手くろれつが回ってくれないのに、人前になると気合いの入り方が半端でなくなり、完璧ではないがろれつがまわりだす。
世界一下手なプロ歌手だから一言一言気持ちを込めて唄うだけ。
80歳を過ぎた棟長が、涙を流して僕の唄を聞いてくれていた。

まだ大丈夫だ。
昨夜はアカペラライヴに対する自信を付けさせてもらった夜だった。
人生の先輩達に背中を押してもらった気がする。
これで勇気を持って浜松市天竜区の鈴木宅ホームコンサートにむかえる。


寒いから今夜は水餃子にしようと、朝、典子さんと話して決めていた。
午後、バスで花小金井駅まで出掛け、帰りは自転車遊歩道を歩いた。
ウソみたいに歩くのが大変。
冷凍の水餃子を買ったが、1時間以上掛けてアパートまで帰ってきたので、歩いているうちにすっかり解凍してしまった。
水餃子は皮が厚いので大丈夫だろう。
冷凍食品を買うときは行き帰りを逆にすべきと反省。

アパートの近くまで来て、延命寺の多摩野神社の入り口に咲いてる花を見つけて写真に撮った。
梅にしても早すぎる、梅ではない。
花びらは、どう見ても桜の花びら。
寒風吹く12月に狂い咲きかー!。
枝に短冊がからめてあった。
短冊には「10月の桜」と書かれていた。
開花時期は10月~11月らしい。
狂い咲きではなく、あえて寒い時期に花をつける桜らしい。
僕も逆境の中でも花を咲かせるぐらいのたくましさを身に付けたい。
負けてたまるか~!。

冬本番‥‥寒‥‥!。

2015年12月19日 20時13分40秒 | Weblog
南向きの部屋には日の出から日の入りまでお日様が暖かい光を届け続けてくれる。
今年の冬は暖かく、まだ一度もストーブを炊いてない。

今朝は違う角度から朝陽に照らされたアパートを撮ってみた。
左から2番目の棟に僕と典子さんは住んでいる。
4階建ての2階、右に3部屋左に3部屋、集合住宅のど真ん中にいるから外気温が影響するのは北側の部屋の窓だけ。
ちなみに、僕の部屋がそこだ。
ちょっと寒いのは僕の部屋だけで、お天気のいい昼間は暑いぐらいだ。
いい環境の住宅に住まわせてもらっている。

アパート各棟は今年最後の大掃除の日。
老人優先のアパートで、部屋は広くてバリアフリー、足腰が衰えても自立し続けるように、適材適所に手すりが付いている。
病状が進んでいる僕が生活できるのも、風呂に一人で入れるのもこのアパートに住んでいるからだ。
ありがたいが、自治活動となると大変だ。
高齢で一人暮らし、障害者や介護を受けている人も多い。
管理会社があるわけではなくアパートの事は自治管理するという条件で入居しているのだが、全員参加の大掃除も出て来れない人が多い。
住み始めて1年半で、クリーンデイや大掃除に出てこれる人は激減している。

個人的行事も含めて、今日は一日アパート行事で過ぎて行った。
散歩、おやじ会議、大掃除、そして夜は棟集会。
棟集会でも自治会の問題が。
役員になる人がいないのだ。
高齢だけが問題じゃない。
問題なのは無関心、無責任。
この国だっていっしょだ、国民のほとんどが、権利は主張するが義務をはたさない、問題が起こっても、まわりの、社会のせいにして対処しないで責任は回避する、‥‥どうしようもないね‥‥。、
倒れるまで頑張るけど倒れる可能性は大きい、それでもよければと来年4月からの役員になる事を承諾した。
2号棟で、僕より健全で、生活保護を受けながら自転車に乗ってパチンコ通いしてる人も居る。
僕がふらつきながらも懸命に刈り込み作業に参加している時、休憩時間にスタスタ歩いてやってきて、ふらついている僕に
「朝っぱらから酒のんでるんか、いい身分だな。」
とぬかしやがった。
その人が掃除をしている姿を見たことが無い。

いい事もあるが、いい事ばかりじゃ無いのも人生か。
嫌な事があっても、嬉しい事だってきっとある。
それが人生さ!。

毎日、自己反省

2015年12月18日 17時03分34秒 | Weblog
最近、僕はやっと自分の考えを堂々と人に伝えられるようになった。
それは、自転車の旅、歩き旅、1000日連続ライブで実質4年間唄い続けた自動車の旅、自転車で様々な体験をし、歩き旅で体験、経験を深めながら生き方考え方を追求して自分を探していた、そして1000日連続ライブの4年間車を運転しながら全ての体験経験から感じた事を繋げていくうちに自分の考えがまとまって来た。

今の僕の考えの基点になっているのは「答えは人の数だけあるが、正解も真理も無い。」という事だ。

この短い言葉にたどり着くまで、途方もない時間が掛かった。
そしてこれからも、この言葉の意味を深く理解する為に音楽を色んな角度から追求し続けていくだろう。

昨日は、自然が創り出した偶然の風景に感動し、今日は1年以上散歩を続けて、すぐ近くに初めて見る景色を発見した。
写真がそうだ。
何処か遠くの山村の、捨て置かれた物置き小屋のようだ。

じつは、アパートのすぐ裏。
1号棟の道を隔てた所で見つけた風景だ。
このアパートに住んで一年半、何度も通っているのに見えなかった。
目で見えるものだけじゃなく、見落としていることが、すぐそばに沢山あるような気がする。

自分探しも含めて、見落としていることを探し続けたい。
答えは無くても…。
それが生きてるって事かな?。

朝の空気と暗雲とお日様

2015年12月17日 17時17分00秒 | Weblog
何時も通りアパートを出て、ふっと立ち止まって寒空を見上げた。
寒さはそれほどでもなかったが、空には、今にも雪が降り出しそうなぶ厚く暗い雲が垂れ込めていた。
1号棟を過ぎる頃、もう一度見上げた。
…オー…!。
いつもの見慣れた景色なのに、朝のキリッとしまった空気と空に垂れ込めた重暗い厚い雲、晴れ渡った東の空から差し込む淡い朝陽に照らされたアパートが浮き上がっ見えて、まるで一瞬にして異次元にスリップした様な不思議な気持ちにまどろんだ。

大げさな話だけど、この一瞬に出会う為に生きてきたんじゃないか、この一瞬に出会う為に病気になったんじゃないか。
この先の人生が何のためにどう進むかはわからないけど、ひとりひとりの人生は、一瞬の驚きと感動に出会う為にあるんじゃないかと思わされてしまった。
そしてその感動を共有出来る人を求めて恋をするんじゃないかなー!。

ホラ吹き忠史の絵空事、恋とは、人生とは、…でした。

歩くは、リハビリ、そしてトレーニング

2015年12月16日 17時34分52秒 | Weblog
朝はもちろんの事、というか習慣になってしまって起き出すとしっかり防寒服を着て、一息つくともう玄関をでてる。
朝の散歩は特別な事ではなく、日常になっている。

だから朝の散歩だけではもの足らなくなって午後も歩くようになった。
日々歩きづらくなっているからこそ、脚の筋肉を鍛える必要がある。
より長く歩き続ける為のリハビリであり、トレーニングだ。
だから、午後は長い距離を歩くようにしている。

お昼過ぎ、出掛ける前に…あっ、そうだ…めがね!。
病気がわかって、ふらつきがひどくなってきた時普段掛けていためがねを外した。
乱視が入っていたので、遠くの景色がぼやけ、まだ車を運転していたので道路標識を見るために掛けていたが、近くを見ようとすると焦点がずれて、ふらつきがひどかったから。
その後、車の運転も怪しくなって車を手放すとともに、めがねはいっさい掛けなくなっていた。
…あっ、そうだ…めがね。
快晴の今日、富士山が見えるかも知れないと思った。
その時。
…あっ、そうだ…めがね。

車をてばなしてからかけることの無かっためがねを久しぶりにかけた。
な…なんじゃこりゃ!。
世界が…くっきりハッキリ。
ふらつくこともない。

いつもと違う美しい景色の中を花小金井駅まで、往復4キロ、ゆっくりのんびり、2時間半かけて歩いた。
めがねを掛けただけで、違う世界を歩いたようでしんせんだった。

リハビリ、そしてトレーニングはめがねというアイテムを手に入れて、パワーアップだ。

唄いそして歩き続ける

2015年12月15日 20時16分00秒 | Weblog
午後、小平駅で松本さんと合流。
駅のすぐ近くのモスバーガーで5時まで語り合った。
東京でのライブもほぼ具体的な事まで決まりました。

では、ライヴ情報です。

12月26日
高橋忠史アカペラライヴ
鈴木 正仁さん宅 ホームコンサート 

PM7:00~開演  

料金 投げ銭

場所     静岡県浜松市天竜区渡ケ島445-1

問い合わせ  鈴木 正仁  携帯090-4258-6611


2016年 1月31日
高橋忠史アカペラライヴ(in東京)
多目的カフェ「マイスペース」

  京王線 明大前駅下車 徒歩数分

14:00開演  
入場料2000円(ワンドリンク付き)

東京都世田谷区松原2-24-5
    明大前フラワーハイホーム202

電話(マイペース)  03-6750-1785

オープニングアクト   松本政昭(三味線・ギター)


2016年2月6日
高橋忠史アカペラライヴ ・ 八曜舎2F

開演 pm:7:30

料金 前売り 2000円
   当日  2300円

愛知県岡崎市明大寺西郷中10

問い(八曜舎)  0564-53-0752


2月6日のライヴの前か後に、ウォーキングを考えています。
唄い。
そして歩く。
大それた意味など無い。
ただ、唄いたいから。
ただ、歩きたいから!。

朝から嬉しい電話が

2015年12月15日 10時15分48秒 | Weblog
散歩、おやじ会議を終えて部屋に戻った頃携帯電話が鳴った。
こんなに朝早く誰だろう。
「お早うございます。」
「高橋君?、八曜舎だけど。」
愛知県岡崎市にある、老舗中の老舗ライヴハウスである、と言うと聞こえはいいが、40年以上前にフォークソングが当時の若者の心をつかまえていた頃「八曜舎」は誕生し、おもに弾き語りのフォークシンガーは愛知県を通過する時、有名無名を問わず、必ずこのライヴハウスを訪れたという伝説もあるが、とにかく今にも壊れそうな2階建ての超ボロボロのライブハウスだ。
「体調は良くなった?。」
悪くなるばかりの病気なので答えに戸惑ったが。
「まだ、歩けています。元気ですよ。」
としか、答えられなかった。
朝はとくに呂律が回りづらいので、多くを説明しなくても分かってもらえるだろうと簡単に答えた。
「まだライヴ出来る?。」
「ギターが弾けなくなったので、今はアカペラでライヴをやってます。今月も浜松に呼ばれて出掛けます。」
「前のライブの時、もう唄えなくなるかもしれないって言ってたから、どうしてるかなって電話してみたけどよかった。じゃぁ、唄いに来てもらえるかなー。」
「唄わせてもらえるんだったら何時でもいきますよー。」
「じゃぁちょっと待ってね、スケジュール表持って来るから‥‥。」
そう言って受話器から外れた。
いつもならスケジュール表を見ながら電話くれるからすぐ日程の話になるんだが、ライブ日程の事より僕の健康状態が心配で電話くれたのだろう。嬉しいね。
「おまたせしました。2月の土曜日はどうかなー?。6日と後20日過ぎが空いてるんだけど。」
「なら、6日の土曜でお願いします。」
と言う事で来年2月6日土曜日、愛知県岡崎市のライヴハウス八曜舎2Fで、午後7時半からアカペラライヴやります。
昭和40年頃にタイムスリップしたような気分になれる八曜舎ライヴ。近くの人は是非お越し下さい。
めっちゃくちゃボロボロで半端でなく小汚い店ですが、僕をプロのミュージシャンとして認めてくれていて、客が一人も来なくてもちゃんとギャラを出してくれる唯一の店です。
昔ライヴハウスはみんなそうだったんですけどね。

午後には1月末に東京でライヴをと企画してくれている松本さんが、わざわざ小平駅まで来てくれます。打ち合わせが済んだら、夜報告したいと思ってます。

もう唄う場所は作ってもらえないと、意気消沈していましたがみなさんの力でまだ唄わせてもらえます。
ありがたいです。
ありがとう。

26日のホームコンサートの後、ウォーキングだ

2015年12月14日 16時57分37秒 | Weblog
27日は滋賀県草津市に移動して草津駅から行けるところまで根性ウォーキングだ。
彦根駅の近くに安く泊まれるホテルがあったので予約した。
ここの所、散歩中もフラつきが激しく、バランスをとるのに必死な状態なので、浜松の後は東京に帰ろうと思っていたが、こんな時こそチャレンジしなきゃ何時するんだ、と奮起して決めました。

歩みはのろくても、まだ歩けるさ!。

どこまで歩けるかはわからない。
東京に向かって、一歩でも前に踏み出せれば、2歩目にチャレンジ出来る。
人生はチャレンジだ、ちっぽけなことでいいんだ。
僕は近い将来歩けなくなるが、あきらめなければ、その日がくるまでチャレンジし続ける事が出来、目標に近づける。
歩き続ける事が出来るみなさんは、どんなに歩みののろい人でも、僕よりもっと目標に近づけるはず、頑張りましょう。

例え一歩でも歩こうと決意した今日の僕は、バキューンです。
意味わからないけど、心ウキウキ、バキューンです!。

望めるのは延命だけ

2015年12月13日 20時03分10秒 | Weblog
治る事の無い病気だから、いかに長く生きるか…。
望めるのは延命だけ。
でもどうしたら延命出来るかは、病院の医師もわからない。
わからない事だらけだから難病認定されている。

一年と少し前、まだ病名も分からなかった頃。
何度も転んで、まともに歩けなくなって、自分の身体が尋常じゃ無い事を感じて、もう唄えない宣言をしてしまった。
その頃はまだ、バリバリ、ギターも弾けていた。
ろれつも回っていた。
でも、原因不明の転倒が続き、まだ軽かったがフラつきも始まっていたので精神的にわるい事しか考えられなくなって、夢も希望も見失っていた。
すべての自信を失い唄う気力も無くしていた。

病気を知ってからもしばらくは明日にでも命が消えてしまうような気になって、死の恐怖から逃げるのに必死だった。
家族や回りの人、そしてブログを読んでくれている人達には、一生懸命強がっていたが、物凄く怖かった。
落ちる夢ばかり見て、どこまでも落ち続けるユメの中で、何かにすがりたくて、でも掴まるものは見つからず、恐怖のあまり自分の顔を血が出るまで引っ掻き、その痛みで目を覚ますという事が続いた。
その頃は、顔の傷がたえなかった。

今年の7月に不治の病、脊髄小脳変性症では無く、尿道が詰まって尿が出なくなって救急車で病院に運ばれ緊急入院したことで気持ちがやっと吹っ切れた気がする。
死ぬ事に対する恐怖は消えないが、生きようとする意欲が膨らんできた。

今僕に出来る事は、延命を願うだけ。
まだまだやりたい事がいっぱいあるから。
今日も一所懸命だ。

雨の中、傘をさして買い物に出た。
杖を持てない、手を振れない、両手で抱えるように傘の柄を持ち、両横に歩幅を広げハの字歩行。
雨の日の買い物は、命懸けだ。
命をかけて、命を延ばす為の挑戦を続けます。