昨日は、息子のクラブの送別会だった。
今のところ今回の地震で、私が受けたダメージの中で
一番、大きいことである。
何ヶ月もかけて、準備してきた3年生や保護者を
送る会は、2年生のママさんたちが中心である。
豚汁をつくったり、業者からお弁当やお菓子、果物を
配送してもらう。
会場設定、演出、記念品贈呈・・・・。
それらにこの数ヶ月、率先して関わってきた私としては
「中止」ときいて、ショックをうけ、しかし、自分をなだめ、それを受け止めた。
そのあとで、会場をかえて開催となると、連絡がきたときから
大きな津波に翻弄されたような数日間だった。
業者もキャンセルしていたし
いろんな葛藤があった。
私の生活でも、震災後の対応におわれながら
だった。
さて、前日の夜、結構遅くに
「義援金を集めない?」と仲間からメールがきた。
「賛成!」と即決。
私も考えていたのだが、我が家は、すでに、子供たちと
赤十字に募金していたし、どういう形態にしたらよいのか?
考える心の余裕がなかった。
そして、ふと目についたのが、白いシーツ。
お金だけでなく、メッセージも伝えたい!
探せば、未使用の白いシーツがあった。ペンもある。
「翌日、送別会の後は、義援金をあつめて
メッセージを書く会になった。」
この2行は、とても短いものだ。
「送別会」
この3文字も短い。
私が、携帯に仕込んだいろんな音源。
いきなり、かってでた生徒の余興の司会。
ほめてくださった方もいた。
すべてが、評価されたわけではなく
とても傷ついたこともあった。
一番、思い入れがあった応援歌を
四苦八苦して、パソコンから携帯に
音源を録音して、マイクで出すしかなかったのだが
音質の悪さに、司会者にあっさりと「それはいらないって」と
いわれたこと。
もう、が~ん・・・。であった。
アカペラの応援歌は、確かに、ショボイ伴奏より
バンカラでよかった。
だけど、私の音源は、4番まではいっており
式次第をかいてくれたお母さんも、フルコーラスの
歌詞を載せてくれていた。
ああ、もったいないな・・・。
とてもとても、口惜しかった。
私が発揮したことは、私が準備したものの
氷山の一角。
それは、それでいいのだが、
息子に毒づかれたことが、とてもショックで
昨日から、口をきいていない。
今日も寝込んでいた。
必死になって、会を盛り上げようとして目立った母親は、彼の恥なのかい?
やめてほしいのは、わかるような気もする。
でもね・・・。
私がしたいこと、できることは、子供の立場や人格とは
別物だ。
私は、私の人格がある。
私ができること、必要とされることをさせてもらえることは
私のためになる。
息子のために、したのではない。
もっと、パブリックな視点で、物事を考えてほしい。
周囲との温度差に悩まされながらも、私は、
さっきも、熱いエールを届ける先と、方法をずっと
模索していたし、しばらくは、求め続ける。
すでに、いくつかピックアップした。
原発やら、余震やら、被災の様子をみて
ずっと、考え続ける。
私は、東北にまったく、縁もゆかりもない。
報道をみた人たちは、みんな
「自分にできることをしたい」という。
そう思うことは、誰にでもできる。
そして、小さなことは誰でもできる。
その積み重ねで、復興につながると
私は信じている。
昨日、私の呼びかけにこたえて
お金を入れてくれた人たち、子供たち。
メッセージを書いてくれた子供たちの心を
預かった私は、責任重大で、気がついたら
また、重いものを背負ってしまったなあ・・・。
と思う。
アクションを起こしてしまったんだもん。
思いをどこまで形にできるのか?
模索は続く。
新しい自分との闘いが始まった。
頑張れPoncoさん!頑張ろう私たち。
私たちが、できることから、少しずつ・・・。
長くなりそうなので
みんなで、「がんばろう」の意識が大事ですね。