Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

恩師の声と言葉

2010年07月13日 | Weblog
絶不調でねていたら横の携帯がなった。

高校時代の恩師だった。

Hちゃんのお琴の演奏会のお知らせを
先生にもお知らせするように、友人に
頼んだ。私の連絡先をしらせておいてもらったので
ひょっとしたらお電話があるかも?
とはおもっていた。

先生の語り口は、あっというまに高校一年の
教室に私をつれていってくれたようだった。
一年の担任であり、クラブの顧問であった。
2年間、家庭科を教えてもらった。

卒業してから、お会いしていないような気がする。
秋の同窓会では、私が不参加でお会いできなかった。

先生は、しっかりした口調ながら、
狭心症で、入院し、先日、やっと退院した
ところだという。
それで、今回は、失礼します、ということだった。

先生の大阪弁が、懐かしくて懐かしくてたまらなかった。

「あんた、横浜からいかはるねんてねえ~。
人のお世話をすることはええことやさかい、
ドンドンしなさい。
人に頼っていたら、アカン!アカン!」といってくれた。
私が、「遠くで、なにをしているんだろう?とおもいます」といったときの言葉。

自分がしていることが、おせっかいとか、無意味とか
なんというか、人からみたら、ばかばかしいことなんじゃないか?
と自分にといかけても、意地みたいな答えしか
でてこない。
そんな立ち位置不安定な私に、明確な答えを
いとも簡単に授けてくれはるって、やはり、今も
恩師だ!とおもった。

私の不調は、この時期いつもなるが、
ここのところ、毎週末、ひどくて
日曜日に急遽、受診し、薬が増えた。
そして、この数日、寝ている。
家のものは、寝ている邪魔もしない代わりに
様子をみにもこない。

自分たちが、原因なのに、知らん顔である。

神経過敏になった人間のつらさは、健康な人には
わからないことだ。
うちの子供たちは、みんな私のように弱弱しくなくて
自分がしたいことは、譲らない。

友人は、「Poncoの自己主張できる性格がうらやましい」という。
私は、自己主張をするけれども、自分勝手ではないから
結構、人にふりまわされて、おもやもやに、よくなるのよ。
流されっぱなしだったらいいのに、自己というものを
しっかりもっていたいものだから、衝突も多くてね・・。

それから、神経過敏、神経症。

そうものをもっていながら生きているのは
器用そうにみえて、とても不器用な生き様だ。

みんな「がんばりすぎないようにね」といってくれる。
がんばらないと、自分がおもったことができない。
だから、がんばる。
その結果、疲れてくたばってしまうから、
みんな「がんばりすぎないようにね」といってくれる。

がんばっているとき
「その辺でやめときや~」といってくれる人もいないから
私は、自分で、アクセルを踏み続けてしまう。

無能であるより、有能でありたい。
昔、そんな風に教育されなかったか?
今は、損をするなら、しないこと、
みたいな教育になっていない?
ゆとり教育って、自分の能力もださないで、しまってしまうような気がする。

****

高校時代の恩師は、がんばってきた世代の人。
自分もがんばり、生徒にも「がんばる」ことを教えてきた。

いろんなことを否定されているような気がしてならない私に
「ドンドンやりなさい」という明快な言葉は、先生が生徒に
かける不朽の言葉のように思える。

先生、いつまでお元気でいてくださいね。
難波あたりで、小さな集まりができたらいいですね。
先生にあわせて、アレンジできたら・・。とおもいます。