Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

横須賀 大津

2010年10月23日 | Weblog
   横須賀市大津の信楽寺(しんぎょうじ)。
ここにお龍さんは眠っている。

龍馬が暗殺されたあと、土佐、京、横浜、東京、そして横須賀。

商人と再婚し、横須賀で、晩年の30年をすごした、ということは知っていた。
さぞかし、寂しかったのでは?
と思っていた。

お参りにいって、わかったことがあった。
明治8年7月2日に再婚した西村松兵衛は、近江商人だった。
「ひょっとして、家では、関西弁が話されていた?」
お寺には、お龍さんの母、楢崎貞の位牌もあって、実母を横須賀に
よび寄せたのもわかった。

波乱万丈で、決して、楽な人生ではなかった。
明治39年に昭憲皇太后より御下賜品を賜り、同年1月15日午後11時に
没した。享年66歳。

戒名「照龍院閑月珠光大姉」

お寺の墓地の中でも、高い墓石には「贈正四位坂本龍馬妻龍子墓」とある。
高い身分になったのだ。

テレビでみたときは、タレントさんたちが
「再婚していたほうが長いのに、龍馬の妻の墓石にして
再婚しただんなさんは、優しいですね」とコメントしていたが、
大物の女性と再婚した近江商人は、やはり大物だったかな?
母・貞の孫を養子にして、(つまりは、お龍さんの甥?)
西村家を継がせて、お龍さんのお墓をつくっている。

今、話題の人とあってお寺の周辺にはこんな幟があちこちに。



お龍さんに興味をもってこのお寺を訪れる人たちも、私のほかに
何人もいた。

本堂に、月琴がある。
お龍さんのもので、上手だったという。
龍馬とともに長崎で小曾根家に世話になっていたが、小曾根家は、月琴の正当な伝承者であり
そこで手ほどきを受けたといわれている。

今、ドラマででてくる長崎の「小曾根家」ここで、月琴を習っていたわけだ。

日本の海軍の基礎を作った、坂本龍馬の妻、お龍さんが眠る街。
その街角に、古い文房具屋さんがあり、キリッ!としたポスターが貼られていた。


防衛大学校 開校祭
その文字の横に、目立たないが、「矜持」とかいてある。

軍国主義と思われるかもしれないが、この街は、のんびりしていて
ポスターも特に目立たない。
ただ、私が、キリッ!とした若者の写真に惹かれただけだ。

考えてみたら、防衛大学校や、海上自衛隊があり、米国の基地がある
この横須賀は、日本の防衛を考えた龍馬にとっては
大事な土地だから、お龍さんが眠るのに、ふさわしいかもしれない。


私は、今年の2月(旧暦の正月)京都、護国神社の前を通った。
坂本龍馬のお墓がある。
新聞によると、100数年ぶりに、先日、護国神社から、龍馬の魂をこめた木札が
お龍さんのお墓まできたそうだ。

私もまた、京都と横須賀をつないでみた気分。
お龍さんの人生に、思いを馳せた年である。

え~と、今日は、横須賀遠足が目的ではなくて
近くの大津グランドでのラグビーの試合の応援にいったのだった・・・。
帰りには、横須賀の海軍カレー本舗で、
今回はコーヒーでコクを出した海軍黒カレーをいただいた。
そして、「秋山真之豆」をかってみた。
坂の上の雲は、やっと、次の巻に読み進んだ。


横須賀および、三浦半島は、私には、面白くて美味しいところだ。
ちょっと、体力を使いますが・・・・。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (miya)
2010-11-07 10:49:55
お盆に程近い今年の8月のある暑~い日、護国神社に参ってきました。山の中腹に坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓がふたつ並んで建っていました。その隣には お二人の像がありました。
京都の町を一望できるいいところでした。
         
返信する
miyaさんへ (PONCO)
2010-11-07 22:46:19
お参りしたのですね。
冬は、雪がふって寒くて
いけませんでしたね。
本堂には、龍馬さんお龍さんの
木造がありました。
龍馬さんは、よき友よき妻を
もっていたのですね。
返信する

コメントを投稿