Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

原爆記念日 甲子園開会式

2011年08月06日 | Weblog
甲子園で高校野球がはじまった。
 
今日は、8月6日。
原爆がおちた日。
8時からの式典で黙祷をささげ
甲子園も黙祷をささげる。
 
今朝の我が家は、アルバイトや塾に
出かけるこどもたちに朝ごはんを用意したが
キライなものだったらしく
文句をいわれ、食べてくれず・・。
「もうっ!」と思うが、こんなときに
いきなり、原爆が落ちたら、どうなるだろう?
あの時間が幸せだったんだ!って
後悔しても遅いのだ。
 
小学校の高学年で、広島の原爆記念館に
いった私は、影だけのこっている石や
ひしゃげたお弁当箱をみて
衝撃をうけた。
うちの身内には、戦争で命を落としたという
話が、ほとんどないので、語り伝えも、せいぜい
苦労話の域。
原爆記念館で目の当たりにしたときの
気持ちを忘れない。
 
そして、甲子園。
私には、なじみの深い甲子園。
今年は、うちの県からは、横浜高校がでている。
県の決勝をみていて、「乙坂くん、かっこいい~」と
娘と黄色と黄色より大人の声をだしていっていたが
なんと、息子と同じ年ではないか・・。
えらい違いに唖然。(゜o゜)
そして、テレビの乙坂君をみた息子は
「おっ!乙坂、今は、完全にアスリートの顔だな」って・・。
なんで、知り合い風な口ぶりなのよ?って、いぶかる。
中学校が近いので、中学校のときから有名人だったそうで知っていたそうだ。
だから、息子は、彼を知っているが、あちら様は、息子をご存知ない。
本人いわく「顔くらいしっているとおもうよ」って・・。
あの中学と喧嘩したとき、いたとでもいうの?と責めたくなるのを
ぐっとこらえる・・。
(私の中で、息子は、喧嘩をする、チンピラで、
乙坂君は、そんな場所にいるはずのないヒーローに
なっている・・・)
 
まあ、レンタルショップで、見かけたことにしておこう。(~_~;)
ぜんぜん、知らなかったが、近くの出身ときくと
やはり、応援に力がはいりそうな夏。
 
昔、甲子園球児は、憧れのお兄さんだった。
いつの間にか、年下になり、娘と同じ年になり
ついに、末っ子と同じ年。
うちの息子が、野球をしていたら、こんな体つきになっていたのかなあ?
 
テレビの中の若者は、逞しく、頼もしく。
そして、可愛いと思うあたり、私の母心、全開。
ウルウルしてしまいそうだ。
 
夏の大会歌「ああ、栄冠は君に輝く
これをきくと、涙が出てきそうになってしまう。
 
私の中では、苦しかった大学の教職講習の最後に
隣のクラスのグループが演奏したのだ。
「この歌が似合うのは、甲子園球児だけじゃない!
私たちだって、ふさわしいよね。」とそのときおもったくらい
きつかった夏の終わり。
大学の校歌も自分たちがなにを演奏したのかも
覚えていないのに、あの夏にふさわしいのは
この歌だった。
 
あの講習の経験も、甲子園にでたことが、その後の人生に
大きな意味を成さなくても、栄冠は、君に輝く。
そう、思いたい。